57. スズキとバイク乗り
翌日の午前中。
杏が、昨日と同じように後ろに柚を乗せて、真姫を誘った場所。
それは、浜松市南区のスズキ本社のすぐ南側。東海道本線の線路沿いにある、研究室のような建物だった。
スズキを象徴する「S」マークが刻まれた建物の名は。
スズキ歴史館。
そう。そこは二輪・四輪メーカーである「スズキ」の企業博物館であった。
杏は、わざわざこの日のために、この博物館の見学をインターネットから「予約」していた。
駐車場にバイクを停めて、話を聞くと、
「知らないの? ここは完全予約制なんよ。それに、スズキ乗りとして、浜松の本社前にあるここには、何としても来たかったからね」
杏は、珍しく、真面目そうな表情で、「S」マークを見上げて、愉悦に浸ったような笑みを浮かべていた。
幼い柚は、何がなんだかわかっていないような、きょとんとした表情をしていたが。
入ってみると、受付でインターネットで予約した「ID」を伝えて、ようやく入館が出来た。
その「厳重な」セキュリティーの、博物館に一歩足を踏み入れると。
そこは、スズキという会社の「歴史」そのものを振り返る展示物で溢れていた。
古くは昭和の時代の二輪・四輪。さらに、スズキの歴史を振り返る展示や、古今のスズキの自動車、バイクで溢れていた。
(これで無料というのは、貴重かも)
思わず、スズキ乗りではない真姫でも、目を奪われるような、貴重にして、バイク乗り垂涎の展示物が並んでいた。
杏は、
「ぱおん! バイブスあげあげ! めっちゃじわるわ」
いつものようなギャル語に戻って、喜びを全身で表現していた。
1階には、1909年の創業からのスズキの歴史を振り返ると共に、現在までに至る多数の展示車が置かれてあり、2階には現代の「車」の開発・生産にまつわる展示が中心であり、所要時間としては、せいぜい1時間から1時間半くらいで回れるものだった。
だが、終わってみると。
「マジ、映えるわー。ワンチャン来てみたかったんだよね」
杏が、真姫がこれまで見たことがないくらい、満面の笑顔で、満足しているようだった。
「やっぱ、あんたは鈴菌なの?」
「当たり前じゃん。スズキこそ、バイクの頂点。スズキこそナンバーワンにして、オンリーワンよ!」
「真姫おねえちゃん。すずきんってなあに?」
「柚ちゃん。鈴菌ってのはねえ」
仕方ないから、幼い柚にもわかるように、真姫は「鈴菌」とは、極度のスズキ愛好者のことだ、と丁寧に説明をするのだが。
「でも、スズキ乗りって、変り者が多いよね。ウチの父もそうだけど」
ふと思い出したように呟く真姫に、食いついてきたのは、当然、彼女だった。
「何、あんたの父親、スズキ乗りなの?」
「うん。GSX-R1000に乗ってる」
「おお! いいね! あたしも将来乗りたいんだ。カタナもいいけど、GSXもいいなあ」
勝手に盛り上がって、妄想して、恍惚とした表情を浮かべている杏に、
「でも、バイクなんてどのメーカーでも変わらないんじゃない?」
ふと呟いた真姫の一言が、逆に杏に「火を点けて」しまった。
「なにぃ。あんた、バイク乗りがそんなこと言っちゃダメでしょ。ちょっと場所変えて、説教する!」
とりあえず、スズキ歴史館の駐車場ではまずいと思ったのか、場所を変えて、今度は市内の「うなぎ店」に案内した杏。
そこは、浜松市では割と「庶民的な」値段の「うなぎ店」だったが。
値段が書いた札を見ると、3000円以上という高価な値が並び、真姫は内心、戦々恐々としていた。
そんな中、
「真姫。あんた、全然わかってないね。いい? 一言で言うと、ホンダは優等生、ヤマハはオシャレ、カワサキは漢、そしてスズキはカッコいい、と言われてるのよ」
杏は力説してくるのだが。
「いや、他の3つはともかく、最後のは完全にあんたの『個人的な感想』でしょ。だって、ネットで見たら、その3つは合ってるけど、スズキは『変態』って書いてあったよ」
「いやいや。おかしいから! スズキは確かに、『変わってる』バイクが多いけど、優れたデザイン性と独自性を持ってるわけ」
「そうかなあ?」
「そうだよ。スズキの良さを、1時間かけて、あんたにじっくり教えてやるわ」
さすがにそれを聞いて、真姫はうんざりしてきて、話題を変えることにするのだった。
「ところで、この『うなぎ』。浜松の名産なのはわかるけど、3000円は高くない?」
「いや、高くないよ」
「高いって。女子高生に3000円は」
「あんた、京香のところで、バイトしてるんじゃないの?」
「今はやってない」
「しゃーないなあ。せっかく浜松に来てくれたし、今日はあたしが多少、出してあげるよ」
思わぬところで、あの杏が「助け船」をしてくれて、真姫にとっては、これもまた意外に思えるのだった。
やがて、運ばれてきた「うなぎ」は、さすがに香ばしい匂いを漂わせ、山椒の匂いが鼻腔をくすぐるのだった。
食べてみると、普段スーパーなどで売っている、いわゆる「中国産」の安いうなぎとは違い、身がふっくらしており、口の中で、柔らかい食感が心地よいと感じるのだった。
おまけに、舌触りもよく、程よい味付けにご飯が進み、気がつけば、あっという間に平らげており、味噌汁を飲んでいた。
(悔しいけど、美味い)
初めて食べる「本場」のうなぎ。真姫にはこれはこれで、「いい思い出」になると思わざるを得なかった。
結局、食後にまた、杏の暑苦しいほどの「スズキ愛」の語りが再開し、真姫は、食後のお茶を飲みながらも、話半分に聞いて、実際には、ほとんど「右から左に」流して、柚と話をしていた。
「あたしの話を聞け!」
杏は、不機嫌になっていたが。
真姫にとっては、「スズキ」だけが「一番」という考え方は理解ができないのだった。
バイクは全ての人間にとって、平等。そして、「バイク乗りは、自分が乗りたいバイクに乗ればいい」が彼女の信条だったからだ。
メーカーにこだわってしまい、そのメーカー以外に乗れないことを「己に課す」ような乗り方は、彼女の好むところではなかった。
それは、彼女の「父」がスズキ乗りではあるが、「鈴菌」ではないことに繋がっていたのだが。
真姫の父、直樹は若い頃から、様々なバイクメーカーのバイクを「乗り継いで」きており、「スズキ」にだけこだわっているわけではなかった。
こうして、浜松2日目も無事に過ぎて行った。




