56. 柚の中のバイク
浜松浜北インターチェンジを降りると、そこは浜松市ではあるが、中心部からははるか北に外れている。
だが、杏が指定したのはそのインターチェンジで間違いなかった。
彼女から送られてきたLINEに書かれた住所は、浜松市でも北西方面であり、どちらかというと浜名湖の「へり」に近い辺りだったからだ。
浜松は大きな街で、実は人口規模では、静岡県の県庁所在地の静岡市を上回り、80万人近い人口を擁するのだが、それにしては郊外の、実にのどかな丘陵地帯のような場所に、彼女の祖父母の家はあった。
着いてみると、すぐ近くには浜名湖から伸びる、細長い川が流れ、天竜浜名湖鉄道の線路が伸びる、閑静な住宅地だった。
その一軒家に着いたことをLINEで告げると、ほどなくして、家のドアが開いて、飛び出してきた、小さな「物」があった。
真姫の体に当たった、それは「柔らかくて」、「小さな」人形のような、女の子だった。
「柚ちゃん」
「真姫おねえちゃん。会いたかった」
突然、タックルするように、足元に抱き着くように飛んできたのは、あの柚だった。
真姫は、愛おしくなり、その小さな体を受け止めて、頭を撫でていた。
「ったく、あんたが全然遊びに来ないから、柚が寂しがってたじゃん」
次いで、飴玉を頬張りながら出てきたのは、ラフな半袖Tシャツにジャージ姿の杏だった。
「ごめんごめん。まあ、バイトや勉強で忙しかったからさ」
「まあ、いいや。とりま入んな」
促されて、中に入る真姫。
そこには、杏の母親、妹の桃、弟の林太郎、そして杏の祖父母がいて、再会を喜び、また新たに挨拶を交わし、ついでにお菓子やお茶をごちそうになるのだった。
そして、その席上、杏が意外なことを口走ったのが「きっかけ」だった。
「明日、ちょっと行きたいところあるからさ。今日は泊まっていきなよ」
「えっ。まあ、いいけど」
断ってから、真姫は一応、両親に電話をして事情を説明すると、両親はあっさりと認めてくれるのだった。
そのまま泊まるのか、と思いきや。
「まだ晩飯まで時間あるね。柚、せっかくだから出かけようか。真姫も一緒に」
「うん。行く」
あの杏が、妙に張り切って、妹の、しかも一番おとなしい柚を誘い、おまけに彼女自身が喜んでいるように見えるのが、真姫には意外に思えた。
そして、さらに予想の斜め上の事態が、目の前で起こることになる。
杏は、わずか6歳の柚に、小さな子供用のヘルメットを渡し、自分のバイクの後ろに乗せて、子供用のタンデムベルトを装着していた。
「えっ。柚ちゃんも行くの?」
「だから、そう言ったじゃん」
真姫にとっては、あまりにも意外な出来事に思え、反面、杏にとっては何でもないことであるようだった。
「じゃあ、ちょい走るから、ついて来て」
そのままエンジンを吹かして、さっさと発進してしまう杏。
慌てて、真姫も自分のバイクで追うのだった。
見ると、柚は小さな体で、懸命に姉の体にしがみついているように見えるものの、全然怖がっている様子がなく、むしろ真姫の目からは「楽しそうに」見えるのだった。
(あのおとなしい柚ちゃんがね。意外すぎる)
真姫にとっては、どちらかというと、姉にそっくりの桃、あるいは行動力がある林太郎が、バイクに興味を持つならまだしも、静かに絵本を読んでいるのが好きな、柚が一番バイクに興味を示すとは思ってもいなかったのだ。
夏の長い陽はまだ落ちず、夕方の通勤ラッシュ渋滞も始まってはおらず、また浜松の中心部から「帰って」くるのとは逆に、「向かう」方向だったから、道はそれほど混んでいなかった。
真夏の猛烈な暑さが、襲い来る中、杏のGSX250Rは、右手に浜名湖を眺めながら走り、やがて、特徴的な「カーブ」の形状の橋を渡り、とある「駅」の前の駐輪場に停まった。
見ると、駅には「弁天島」と書かれてあった。
そこから、横断歩道を横切ってすぐのところに、それはあった。
弁天島海浜公園。
浜名湖の南に位置し、湖に浮かぶように建つ、大きな赤い鳥居と、その先にある巨大な浜名大橋が特徴的な公園だった。
同時に、真姫の目には、周囲の砂浜、ホテル、そして何よりも、まるで南国のような、無数に生えている「ヤシの木」が、どこか縁遠いリゾート地のようにも見えるのだった。
歩きながら、
「それにしても、柚ちゃんがバイクに興味を示すなんて、意外」
気になっていたことを口に出すと。
「そんなことないでしょ。あたしに言わせれば、真姫。あんただって、似たような性格だし」
「そうかな?」
「うん。あんたと柚は、ちょっと似てる部分があるからね。きっとあと10年くらいしたら、この子はバイクに乗ってるよ」
そう言われて、柚本人は、姉に手を引かれながらも、真姫の方を見て、微笑んでいたのだが。
(その頃まで、私がまだバイクに乗ってるかわからないけど、もしそうなったら一緒にツーリング行きたいな)
本能的に、直感的に、そう思うのだった。
真姫は無意識のうちに、幼い頃、ちょうど今の柚と同じくらいの年に、父の背中にしがみついてバイクに乗った自分と重ねていた。
丁度、西日が傾いてきており、3人は、砂浜のようになっている、公園の一角のベンチに座り、鳥居に沈んで行く、夕陽を眺めるのだった。
「柚は、感受性が強い子でね。前にここの夕陽を見せに行ったら、気に入ったみたい」
2人の女子高生に挟まれる形で、ちょこんと可愛らしく座っている、人形のような、愛くるしい瞳を持つ、柚がじっと夕陽を眺めていた。
「柚ちゃん。バイク乗るの楽しい?」
「うん。楽しいよ」
「どういうところが?」
真姫は、そんな小動物のような、人形のような、彼女の横顔を見つめていたが。
「うーん。わかんない」
まだ幼い彼女は、まだ自分の中の「本当の気持ち」に気づいていないようだった。
「そっか。大きくなって、一緒にバイク乗れるといいね」
真姫にとっては、それは単なる「願望」であり、「希望」にしか過ぎないのだが。
「うん。私もおねえちゃんみたいに、バイク乗るから、真姫おねえちゃん。一緒に走ろう?」
そんな幼い妹に、10歳以上も年が離れている、姉の杏は、小さな頭に手を置き、
「柚。バイクは楽しいけど、危ない乗り物なんだ。おねえちゃんみたいに、事故ったらダメだよ。まあ、柚は優しい子だから、大丈夫だと思うけど」
まるで、母親が子供を慈しむように、優しげな微笑みを浮かべていた。
姉に頭を撫でられて、どこか照れ臭そうに、嬉しそうにしながら、頷く柚と、それを見守る真姫。
浜松での、1日目は意外な形で過ぎ去って行った。
2日目は、さらに「意外な」場所に案内されることになるのだった。




