55. 浜松からのたより
夏休みの間に、思わぬ形で「父」との距離が縮まった、と感じていた真姫。
そんな彼女の身に「意外な」たよりが飛び込んでくる。
時は、8月末。
残りわずかな夏休みを、猛暑の東京から離れて過ごそう、と思い、その日は誰も誘わずに、「1人」で、彼女は山裾へと向かったのだった。
山裾、つまり標高が高い富士山の裾野を目指していた。
神奈川県から道志みちに入り、やがて山中湖へ抜ける頃。
少しは、東京よりは涼しく感じられ、そのまま標高の高い、御殿場市から県道23号、同152号と、富士山裾野をひた走り、水ヶ塚公園で休憩して、やがて富士宮市に入っていた。
(暑い!)
富士宮市に降りてくると、それまでとは空気感が明らかに違った。
富士山裾野に位置しているとはいえ、富士宮市中心部は、標高が非常に低い。市域での富士山との最大高低差が、なんと3741メートルもあり、富士宮市の最低地点の標高は35メートルしかない。
猛烈な暑さに嫌気がさしながらも、コンビニで休憩しつつ、スポーツドリンクを飲んでいると。
不意に、電話の音が鳴った。
見ると、LINEだった。
それは、以前、京香が勝手に真姫を巻き込んで入れていた、ツーリング用LINEグループであり、送信元は、「杏」だった。
―今、静岡県にいる人、手挙げて!―
一瞬、真姫は「なんだ、このメッセージ」は、と思ったが。
―いないよ。私、東京でバイト中―
―私、神奈川県の箱根にいるよ。もうちょっとで静岡県だね―
京香と蛍が、素早く返信していた。
―真姫ちゃんは? 確か、静岡に行くって言ってなかった?―
京香からだった。
一瞬、面倒だから隠そう、嘘をつこう、とすら画策していた真姫の思惑は、瞬時にして破られる。
―マジ! んじゃ、ちょい浜松まで来てくんない?―
その一言に、真姫は、顔を顰めながら、苦々しげにメッセージを返していた。
―浜松? いや今、富士宮なんだけど。遠くない?―
時刻は、すでに昼の1時を回っており、富士宮で「B級グルメ」の富士宮やきそばでも食べてから帰ろう、とすら思っていた真姫。
しかし。
―遠くないって。新東名使ったら、2時間かかんないしさぁ。せっかく静岡来てるんだから、よろたん。それに―
―それに?―
―柚が会いたがってるよ―
(くっ)
その言葉には、とことん弱い真姫。
話を聞いてみると、現在、夏休みを利用して、母方の祖父母が住む、浜松市に帰省中という、白糸一家らしく、当然、柚も浜松にいるという。
彼女の祖父母の実家が浜松とは初めて聞いていたのだが。
それでも、躊躇していると、不意に電話がかかってきた。
LINE通話だった。
杏、と書いてあるから、ぶっきらぼうに、
「はい」
と取ると。
「真姫おねえちゃん」
「ゆ、柚ちゃん?」
相手の声があまりにも幼い。それはあの柚だった。恐らく、真姫を抱き込むために、杏が策を練ったのだろう。
悔しいとは思いながらも、久々に聞く、柚の声が弾んでいるように聞こえ、真姫の自制心を奪って行った。
「あの……はままつ、に来るの? おねえちゃん?」
舌足らずな口調で、可愛らしくそう言ってくる柚の言葉に、もう逆らえなくなっていた真姫は、
「うん。今から行くよ」
あっさりと完全に屈していた。
「やったー。待ってるから、気をつけてきてね」
姉の杏とは、あまりにも違いすぎる、おとなしくて、控えめで、可愛らしい、それこそ真姫には、穢れを知らない「天使」にすら見える柚。
すでに初めて会った時から1年近くが経ち、彼女は幼稚園年長組の6歳になっていた。
「じゃ、そゆことで、よろたん。とりま、浜松着いたら、連絡して」
いきなり電話口に、杏が出てきたため、苦々しげに、
「杏。柚ちゃんをダシに使ったな」
抗議の声を上げていたが、
「悪い? 柚はね、マジであんたに会いたがってるよ。ま、来てみればわかるし。柚は、この一年で面白い子になったよ」
杏は、開き直りつつも、どこか意味深なセリフを残していた。
(しょーがないな)
またも、杏に騙された、と思いながら、それでも柚の笑顔を思い浮かべながら、真姫はバイクを飛ばすのだった。
最寄りの新富士インターから、新東名高速道路に乗り、制限速度110キロが、ある意味では、名物の、ひたすら真っ直ぐな新東名高速道路をかっ飛ばして、一路西へ。
東西に細長い静岡県を横断し、右手に、真夏の入道雲が山頂を覆い尽くしている富士山を眺めながら。
やがて、食事休憩を挟んで2時間あまり。
浜松浜北インターを降りた頃には、午後3時半を回っていたが、真夏の長い陽はまだ落ちる気配を見せず、そして「うだる」ような暑さだった。
(暑い!)
浜松は、西、つまり愛知県との県境からの風によるフェーン現象で、近年、夏の最高気温が上がっている。
冬は、「遠州のからっ風」と呼ばれる、冷たい強風が吹くことでも有名な地だが、今や浜松は、有名な「猛暑」地帯に変貌していた。




