49. 父と娘
話を聞いた後、蛍は、
「へえ。なまらいい話だべ。それなのに、なんで真姫ちゃんはお父さんのこと、嫌いなの?」
大袈裟なくらい感動しているようだった。
「別に……。嫌いじゃないけど。それより、別のところ行こう?」
真姫が誤魔化すように、先に行くことを促すため、蛍は渋々ながらも、席を立って、今度は別のところに行くことになったが。
その蛍は、内心、まだ諦めてはいなかった。
結局、彼女の先導で、軽井沢から少し戻る形にはなるが、群馬県の温泉街として有名な、伊香保温泉に向かうことになった2人。
丁度、昼過ぎから夕方にかけて。
混んでいる時間ではあったが、温泉街の外れにある、伊香保露天風呂へ向かった。
幸い、東京からの観光客が多く、その観光客が帰京する、夕方の時間になり、人出がまばらになってきていた。
その露天風呂にゆっくりと浸かりながら、蛍の質問責めは続いた。
「で、なんで仲が悪いの?」
「だから、別に仲が悪いわけじゃないって」
(意外としつこい)
真姫は、さすがに少しうんざりしてきていたのだが、同時に父のことを思い出していた。
普段の言動についてだった。
「なんていうかね。お調子者なんだよ、父さんは」
「お調子者?」
「そう。好き勝手にバイクに乗って、乗ってることをカッコつけて。そのくせ、普段は私に言いたいことがあるはずなのに、はっきり言えなくて放任主義なくせに、変なところで絡んでくる」
思いの丈をぶちまけるように、珍しくペラペラとよく話す真姫に、蛍は少しだけ驚いているようだったが、やがて、彼女はやんわりとした笑みを見せた。
「それが父親なんだよ、真姫ちゃん」
「そうかなあ」
「そうだよ」
「蛍ちゃんのお父さんも?」
「うん。まあ、そうだね」
今度は、蛍が語る番になる。
「ウチのお父さんは、それこそ世間的には『ダメ人間』だよ」
「うわ、それはディスりすぎ。かわいそう」
「いやいや」
首を振った後、彼女はゆっくりと続ける。
「だって、仕事って言っても、全然出世はしない、残業もしない。仕事より趣味が大事な人だからね」
「別にいいんじゃない?」
「そうかな。世間的には、父が稼いで、母がそれを補うくらいでしょ。共働きって言っても」
「うん」
「ウチは完全に逆。母は、バリバリのキャリアウーマンで、働くことが趣味みたいな人。父は、全然仕事できない窓際族。世間体としては、結構情けないよ」
「いや、蛍ちゃんの言い方が辛辣」
真姫がそう感想を告げると、それでも蛍は納得いかないのか、難しそうな顔をしていた。
「で、なんでそんなお父さんなのに、好きなの?」
「なんでだろう? ある意味、日本人らしくないから、かな」
「何それ?」
「日本人って、特に男は、『仕事、仕事』でしょ。仕事が命。それ以外はどうでもいいって、人が圧倒的に多いと思うの」
「まあ、そうかもね」
「でも、ウチのお父さんは、本当に趣味人。旅行、キャンプ、釣り、ゴルフ、野球、スキーまでやる」
「へえ」
「だから、楽しいことは、ぜーんぶ、お父さんから教わったんだ、私」
目を輝かせるように、自慢気にそう言う、そんな蛍が、少し羨ましい、とすら思ってしまった真姫。
真姫は、小さい頃はともかく、最近は父とそうした時間を過ごしたことはなかったからだ。
「逆にお母さんは、いつもいつも仕事のことばかり。家事までお父さん任せだからね」
その言動から、蛍は、母に強烈な不満を持っているのだろうことは、真姫にも予想できた。
(そういう意味では、ウチはまだバランスが取れている)
真姫がそう思うほど、父も母も、そこまで仕事や趣味に没頭している感はなかった。
同時にこうも思うのだった。
(蛍ちゃんは、相当変わり者だな)
父が、バリバリ仕事して、カッコいい、と思うならまだしも、真逆だからだ。
「真姫ちゃん」
急に真剣な表情で、正面から声をかけてきた蛍。
「何?」
「親子関係は大事だよ」
「何、いきなり?」
「だってそうでしょ。親がいつまで元気かなんて、誰にもわからない。明日事故で死ぬかもしれない」
「縁起でもないなあ」
「ごめんなさい。でも例えだって。それに、女は結婚したら、家から離れちゃうからね。今のうちだよ。お父さんに甘えてられるのは」
―結婚― という言葉を聞いて、真姫には、それが何だかとても遠くにある、手が届かない物のように感じたのだが、それでも人は年を重ね、多くの人間がいずれは結婚という選択肢を選ぶことになる。
(甘える……か。それはちょっと恥ずかしい)
そう思いながらも、真姫には、蛍が言うように、「父に甘える」ことはできそうにない、と思うのだった。
昔は、「お父さんっ子」だったこともある真姫。
今は、「お父さんっ子」でも「お母さんっ子」でもない、どちらかというと、クールで一匹狼的な娘になっていた。
ただ、真姫は思い出してもいた。
自分が「普通自動二輪免許」を取りたい、と言った時。
母は、大反対したのに、父は認めてくれたことを。お金こそ出してはくれなかったものの、父が認め、背中を押してくれたから、今こうしてバイクに乗れているのは間違いないのだ、と。
真姫はようやく、重い腰を上げて、決心することにした。




