48. 真姫と父(後編)
親子の2人旅は続いた。
洞爺湖を回って、国道453号をひた走り、続いて支笏湖へ向かう。
真姫は、直樹の背中で、歌を唄うほど陽気になっており、幼いながらも、初めて乗るバイクに、そしてそこからの眺めに夢中になっていた。
それが、バイク乗りの直樹には嬉しかったのだろう。
予定を変更し、その日のうちに旭川まで突っ切って、旭川で一泊。
翌朝、今度は日本海側に出て、留萌経由で、国道239号、続いて国道232号と、左手に日本海を見ながら北上。
しかも、その日は快晴で、蒸し暑くもなく、快適なツーリング日和だった。
途中、道の駅えんべつ富士見に立ち寄ると、バイクが2台、駐車場に置いてあった。ナンバープレートには「札幌」とある。
真姫を降ろすと、そのタイミングで、ちょうど持ち主が戻ってきた。
「キャー、かわいい!」
それらの主は、2人とも女子大生っぽい、20代前半くらいの若い女性ライダーだった。どちらもスタイルが良く、モデル体型の綺麗な女性だった。
直樹の後ろから現れた、小さな真姫を見て、途端に目を輝かせ、彼女に近づく。むしろその勢いに、真姫は驚いて目を見張っていた。
「君たち、札幌から?」
「はい。札幌の大学生です。親子でツーリングなんて素敵ですね」
そう声をかけられ、デレデレしている父を見て、娘の真姫は頬を膨らませていた。
「パパ~。そういうの、浮気って言うんだよ。ママに言いつけてやる」
瞬間、女子大生2人組は盛大に大笑いし、直樹は慌てて、
「真姫。浮気じゃないって」
と弁明する羽目になる。
「ホントにぃ? デレデレしちゃって。怪しい~」
その後、真姫はしばらく不機嫌だった。
だが、日本海を横目に、ひたすら真っ直ぐで、交通量が少なく、信号機もない、滑走路のような道を走り、やがてオロロンラインを走破し、夕闇迫る宗谷岬にたどり着いた時。
「パパ。バイクは、どうしてこんなに楽しいの?」
その幼い娘が、宗谷岬のモニュメント前で、不意にそんなことを呟いたから、父の直樹は困ってしまった。
「真姫は、難しいこと聞くなあ」
「難しいかなあ?」
「難しいよ。哲学だな」
「てつがく? って何?」
「お前にはまだわからないか」
その娘の頭を撫でた後、直樹は、真姫の手を引いて、歩き出した。
歩きながら、考えていた直樹。父にどこか期待の籠った眼差しを向ける娘。
直樹は、さすがに緊張したのか、試されている、と思ったのか。
言葉を選び抜いた上、考え抜いてから、決め台詞のように言い放った。
「真姫。バイクはな。『自由』な乗り物なんだよ」
「じゆう?」
「そう。好きな時に、好きなところに行ける。時間にも人にも、距離にも縛られない。人はバイクに乗っている時だけは、『自由』なんだ。だから楽しい」
直樹としては、これ以上ないくらいに、「決まった」と思った自信があったセリフだったのだが。
肝心の幼い娘は、
「ふーん」
わかったような、わかってないような、何とも言えない微妙な表情だった為、直樹は内心ではがっかりしていた。
ところが、その娘の口から意外な言葉が漏れる。
「ねえ、パパ。私もバイクに乗りたい。運転したい」
さすがに、直樹は苦笑いをする。それだけは妻・南から止められていたからだ。だが、娘の強い意志の籠った瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
迷った末に、
「お前にはまだ早いな」
とだけ返していた。
「早いって。あとどれくらい待てば乗れるの?」
「10年くらいかな」
「えー! 10年。長いよ、パパ」
「そう言うな。それまでパパがお前を乗せてやる。そして、10年後まで、お前がバイクを好きでいてくれたら、運転免許を取らせてやる」
「約束だよ」
「ああ、約束だ」
父と娘の、小さな約束。そして、これが真姫が、「バイク好き」になるきっかけでもあった。
宗谷岬を立ち去り、稚内へ向かおうと思っていた、直樹の耳に、不意にその娘の意外な一言が飛び込んできたのはその時だった。
「パパ。ママのアレは、きっと嘘だね」
「嘘? 具合が悪いってやつか?」
「そう。ママはきっと、パパに私と仲良くなって欲しかった。だからあえて二人にしたし、バイクに乗ることも認めた」
それはとても7歳、いや正確にはまだ6歳の子が言う言葉とは思えなかった。それほどまでに、洞察力が高く、どこかクールで達観したところがある。
直樹には、娘がそんな風に見えた。ある意味、「子供らしくない」と。
「ホントかなあ? パパは嘘じゃないと思うけどなあ」
「ホントだよ。私の勘」
稚内へ向かう途中、2人の会話はそのことで持ち切りだった。
それまで、「お母さんっ子」だった真姫が、「お父さんっ子」に変わった瞬間。そして、その「お父さんっ子」の期間は、中学生くらいまで続いた。
中学生に上がる頃。真姫は、思春期特有の恥ずかしさもあって、父から距離を置き始める。その微妙な「距離感」は今も続いていた。
稚内で一泊し、翌日には札幌に戻って、車に乗り換え、2人は仲良く、苫小牧からフェリーに乗って、帰京した。
自宅に戻ると、南は元気そうだったが、それが真姫が言ったような仮病だったのか、本当に具合が悪かったのかは、直樹にはわからなかった。
結局、その後、東京に戻ってからも、母の南には内緒で、こっそりと直樹は、娘の願いを叶えるように、時折タンデムに連れて行った。
恐らくは、南は気づいていたのだろうが、あえて止めることはなかった。
10年後。真姫は、普通自動二輪免許を取得した。




