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ゆるツー  作者: 秋山如雪
7章 茜音の旅
37/82

36. 木曽路はすべて山の中

 結局、この道の駅信州蔦木宿で、食事と短い休憩を取り、出発したのが、午後1時30分頃。


 幸い、その日は雨の心配はなかったものの、次第に山深い土地に入って行くことになり、真姫には肌寒く感じるほどだった。


 そこからは、割と順調に進んだが、寄り道好きで、気まぐれで、我が道を行く茜音は、モンキーを湖畔の駐車場に停めた。


諏訪湖すわこだ。ここから先が、いよいよ下諏訪しもすわ。つまり、中山道だ。かつての江戸の頃の旅のように、気分が高揚するな」


(はいはい。茜音ちゃんは、江戸時代の人か)

 内心、呆れながらも、目の前に広がり、陽光を照らしてキラキラと湖面が輝いている諏訪湖を眺める真姫であった。


 諏訪湖からは、岡谷おかや市に入り、細い県道の山道を通り、塩尻しおじり市を抜けて、やがて国道19号に出た。


 いわゆるそこからが「中山道」になる。


(マジで山しかないなあ)

 と、真姫が呆れるほどに、周囲の景色が山だらけで、山の緑しかなかった。


 道は空いていたが、この辺りは一応、主要国道だから、大型トラックが多く、時折、恐ろしいスピードでかっ飛ばすトラックに道を譲りながら、マイペースで2人は南下した。


(一体どこまで行くつもりだ? つーか、今日の宿はどうするんだ?)

 もはや諦めの境地に至っているとはいえ、それでも茜音の心中が全くわからず、予測がつかないことが、真姫の不安をかき立てるのだった。


 道の駅信州蔦木宿の出発から1時間半ほど。いい加減飽きるほどの山と、細い川の風景に、真姫がうんざりする頃。


 不意に、再び茜音がバイクを道の駅に停めた。


 道の駅奈良井(ならい)木曽の大橋。


 と書かれてあった。

 そして、この道の駅から歩いて行けるところこそが、今回の旅で、実は密かに茜音が行きたいと思っていた場所でもあった。当然、真姫は知らなかったが。


 JR中央本線の線路の下をくぐる細い、小さなトンネルを越えて、右折し、三つ又の交差点を左折すると、風景は一変する。


 道の両脇に、一際目を惹く、歴史的な建造物が並んでいた。


「おお! これが奈良井宿か。素晴らしい。この圧倒的な江戸時代の風情。これぞ日本の原風景!」

 あの面倒で、常に不機嫌な茜音が、いつになく上機嫌になって声を上げていたが、真姫にはそれも納得できると思えるくらいに、絶景が広がっていた。


 道の両脇には、張り出した軒先が特徴的な、江戸時代風の瓦屋根の建物が、通りの向こうまで、どこまでも続いている。


 それはまるで、江戸時代にタイムスリップしたか、のような不思議な感覚が味わえる場所でもあった。


 軒先には、店の名前が漢字で描かれ、格子柄の窓の着いた伝統的な建物が並ぶ。通りのはるか先には、またも緑の森があった。


 中山道の34番目の宿場町であり、かつては多くの旅人で賑わい、「奈良井千軒(せんけん)」とも呼ばれていた。また、最も標高が高く、難所の鳥居とりい峠を控えていた。


 現在は、重要伝統的建造物群保存地区として、当時の街並みが保存されている、一大観光地になっている。


(確かに、これはレトロでいいな)

 あまり歴史、特に日本史には詳しくもないし、興味もないような真姫でさえも、この偉容には見入ってしまうのだった。


 茜音は、すっかり機嫌が良くなっており、いつもの不機嫌そうな表情はどこかへ消えてしまい、道すがら、軒先の店を冷かし、土産物を見たり、みたらし団子を買い食いしたり、写真を撮ったりと、まるでコマネズミのように、忙しそうに動き回るのだった。


 その後ろに着いていく真姫が、

「でも、この辺、マジで山しかないんだなあ」

 と呟いたのがきっかけだった。


「ああ。『木曽路きそじはすべて山の中』とはよく言ったものだな」

「何、それ?」

 その真姫の何気ない一言で、茜音の機嫌が悪くなった。表情が曇り、眉間に皺を寄せていたからだ。


(しまった)

 と思った真姫だったが、もう遅い。


「あんた、そんなことも知らないの? 最近の若いモンは、教養がないな、まったく。島崎藤村しまざきとうそんの『夜明け前』だろ」


(いや、若いモンって、あんたも若いだろうが。大体、私と1個しか違わないし。それに私は、日本文学より、海外文学の方が興味あるんだよ)


 真姫にしてみれば、内心ではそう言いたかったし、ゲーテの詩集を読んでいたように、彼女自身は、文学においては「日本文学」より「海外文学」に興味があったから、知らないのも当然だった。


 俄然、不機嫌になってしまった茜音だったが。


 この島崎藤村の「夜明け前」の冒頭の書き出し、それが「木曽路はすべて山の中である」であった。


 幕末から明治維新初期の激動期を描いた、日本近代文学の傑作と言われる長編小説「夜明け前」。その中で描かれた中山道の宿場町。それは実際にはここではなく、「馬籠まごめ宿」の方だったが、それでも茜音には満足だったのだろう。



 結局、またも茜音に付き合わされ、気がつくとここで1時間あまりも過ごし、午後4時頃。


 3月のまだ早い日の入りが徐々に迫る頃。内心では、早く宿へ向かって欲しい、とすら思っていた真姫の予想に反して。


 茜音は、日の入りまでの残りわずかな時間すら惜しむかのように、さらに活発に動いていた。


 続いて、奈良井宿からさらに南にある、同じような中山道の二つの宿場町を回った。


 妻籠つまご宿、そして「夜明け前」にも登場する馬籠まごめ宿である。


 二つとも、同じようなレトロな雰囲気を残した宿場町で、観光地でもあるが、田舎の観光地に特有の、「閉店が早い」ことが災いして、結局、茜音は店先を回って、写真を撮るくらいしか出来なかった。


 特に馬籠宿の方は、ほとんどが急な坂道ばかりの、体力的に疲れる宿場町だったため、それに散々付き合わされた真姫が、

(疲れた~)

 と思っていた頃。


 ピコン。

 不意に、LINEの音が響いた。


 よく連絡が来る親友の京香だった。

―真姫ちゃん。春休み、暇? 明日、一緒にどっか行こうよ?―


 相変わらず、絶妙なタイミングで、そしていつものように、可愛らしいスタンプを送ってきた彼女だったが。


 真姫が、渋々ながらも、

―ごめん、京ちゃん。今、茜音ちゃんに付き合わされて、京都に向かってるんだ―

 と返すと、すぐに返信があった。


―えっ。また”姫”に付き合わされてるの? 大変だねえ。気をつけて帰ってきてね―


(姫、か。懐かしい言い方。確かにあれは、ワガママ姫だ)

 茜音のことを、京香も知っていたが、彼女だけは「姫」と呼んでいた。最も本人の前では絶対に言わないが。

 要は、ワガママに付き合わせ、周りを巻き込んで振り回す様子が、「姫」っぽいと思ったのだろう。


(私は従者じゃないんだけどな)

 苦笑しながら、携帯を見ている真姫に、その「姫」から鋭い声がかかった。


「ほら、真姫ちゃん。何してんの? さっさと行くよ。もう暗くなってきたし」

 当然、ワガママな姫様の茜音だったが。


(いや、茜音ちゃんがのんびりしてるからでしょ)

 と思いつつも、とりあえず面倒なので、黙って真姫はついて行くのだった。


 陽が暮れる時間は、この時期は大体午後6時前後。


 もう午後5時半を回っていた。

 暗闇が迫る中、かつて小説で「すべて山の中」と言われた木曽路を走ることになる。


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