27. 京香の家族
真冬のツーリングから1か月。
年が明けて1月に入った。
寒さがますます本格的になり、もはやツーリングそのものが寒さで億劫になり、行きたくないとすら真姫は感じていた。
バイクを本格的に乗り始めて、初めての「冬」。それは彼女の想像以上に過酷だった。
そんな折、前にツーリングで誘われた時の約束を果たそうと、真姫は帰り際にクラスが異なる、京香をLINEで呼び出し、一緒に駐輪場に向かった。
「今日、バイク用品店で防寒グッズ買ってから、京ちゃんの家に行って、ご飯食べていい?」
「もちろんだよ。歓迎するよ」
久々の来訪に、京香は大袈裟なくらい喜んでいるように見えた。
2人は放課後に、そのまま府中市内にある、某バイク用品店に向かった。
甲州街道とも呼ばれる国道20号沿いにあり、この辺りでは一番大きなバイク用品店であり、簡単な修理やメンテ、オイル交換を代行してくれたり、様々なバイクグッズが置かれてある。
学校からほど近いそこへ向かった2人。
真姫は、
「とにかくめっちゃ寒い。何か対策ない?」
と京香に訴えるように意見を聞いていた。
「そうだねー。バイクにウィンドスクリーンをつけるか、グリップヒーターをつけるか、かな」
「それっていくらかかる?」
「まあ、安くても1万円はするね」
「却下。お金がない」
真姫にとって、実はそれが一番の難題で、最近特にお金がなかった。
バイクは必要以上にお金がかかる。ましてや高校生で、最近はバイトすらしていない真姫にとっては、死活問題だった。
だが、それ以上に防寒対策も死活問題だった。
「しょうがないなあ。じゃあ、アレつければいいんじゃない?」
そう言って、店内のコーナーの一角にあった、ある物を指差す京香。彼女の指の先にあったのは、よくスーパーカブなどのハンドルに使われる、ハンドル全体を覆うような防寒カバーだった。ハンドルカバーとか、ナックルガードと言ったりもする。
真姫は、それを見て、思いきり顔を顰める。
「却下。カッコ悪い」
「もう、ワガママだなあ、真姫ちゃんは」
「そういう問題じゃない。美意識の問題。あれじゃ、ただの田舎のオバさんみたい」
「言いたいことはわかるけど~。じゃあ、バイトでもすれば?」
「いいバイトがない」
それを聞いていた京香が、何気なく思い出したように、口走ったのがきっかけだった。
「じゃあ、ウチでやってみる? お父さん、最近、手が回らないって嘆いてるし」
「え、マジで?」
「うん。今日、どうせウチ来るでしょ。聞いてみるよ」
真姫にとっては、渡りに船ではあった。お金がなくて、防寒グッズもロクに買えない。バイク乗りとしては、この時期の防寒対策をしないことには、もう走る以前の問題になってしまう。
もはや藁をも掴む思いで、バイク用品店で何も買わずに、真っ直ぐに京香の家へと向かうことになった。
やがて、京香のPCXが停まったのは、府中市の中心街になっている、駅前のメインストリートから一本、北側に外れた通りだった。
その辺りには、図書館や公園があり、閑静な住宅街になっているが、飲食店の数は中心部に比べれば少ない。
その一角に、人々の需要を満たすかのように、佇んでいるのが、「矢崎飯店」と書かれた、昔ながらの中華料理屋だった。
庇が黄色く塗られ、そこに赤い文字で「矢崎飯店」と描かれている、小規模な飲食店。そこが京香の実家だった。
京香がPCXを店の裏のスペースに駐車し、同じように隣に自分のYZF-R25を停める真姫。すぐ近くに、見知ったバイクが2台あった。
1台は90ccのスーパーカブ、もう1台は50ccのスーパーカブ。共にこの店の出前配達用のバイクで、荷台にいわゆる銀色の「岡持ち」がセットされている。ここだけは昔から少しも変わっていないように見えて、真姫には少し懐かしく思えた。
「いらっしゃいませー」
暖簾をくぐった京香に続いて、真姫が入ると、どこか懐かしい野太い、しかしながら元気のいい声が響いてきた。
彼女の父の声だった。
カウンターの奥、厨房から顔を覗かせていたのが、矢崎吾郎。京香の父であり、年齢は50代前半くらい。ただ、髪がだいぶ後退しており、そのことを気にしているように、頭全体をコック帽で覆っていた。
一方、その厨房にはもう1人、影が薄い人物もいた。矢崎美里。京香の母にして、吾郎の妻。年齢は40代後半くらい。ただ、いつも元気で明るい京香とは正反対の、物静かというより、むしろ「暗い」雰囲気を纏っているような女性だった。
ある意味で、正反対で対照的な2人だが、真っ先に真姫に気づいた吾郎が、大きな声を上げた。
「真姫ちゃん! 久しぶりだね。元気だったかい?」
「ええ、まあ」
少し苦笑しながらも、愛想笑いを浮かべて返す真姫。
だが、実は彼女はこの京香の父が苦手ではなかった。
それは、どちらかというと、彼が「料理人」っぽくなかったからだ。
かつて、ファミレスでバイトをした経験もある真姫にとって、「料理人」とは、自他共に厳しくて、妥協を許さず、厳格で、近寄りがたい雰囲気を感じていたし、実際にかつてバイトをしていた時の、バイト先の料理長がそんな感じの人だったからだ。
だが、この「吾郎」はその対極にいるような、明るくて気さくで、とっつきやすい性格だった。
(京ちゃんの性格は絶対、父親似だ)
常々、真姫がそう思っている理由がそこにあった。
逆に彼女の母の美里の方が、とっつきにくい上に、無口で無表情すぎて、一体何を考えているのかわからないため、どちらかというと真姫は苦手だった。
その美里は、かろうじて厨房から真姫の姿を目に止めて、小さくお辞儀だけをしていた。仕方ないから会釈だけ交わすことになる真姫。
やはり、どうも彼女は苦手とは思うものの、容姿に関してだけは、京香はこの母の美里によく似ていた。
京香は丸顔で愛嬌のある顔立ちをしているし、目元が母の美里によく似ている。
むしろゴツゴツした、岩のような大きな顔をしている吾郎に、京香が似なくて良かったとすら思えてくる。
ひとまず、京香が厨房に入って、二言三言、父と交わしてから帰ってきた。
椅子に座って、注文を待っている真姫に対し、
「今、忙しいから後で話聞くってさ。とりま、注文頼んじゃって」
いつの間にか、制服姿にエプロンと三角巾を頭につけた京香が戻ってきた。
ある意味、店の看板娘の彼女が、この学校の制服にエプロン、三角巾という姿なのが、無性に可愛いと思ってしまう真姫。いつの時代も、「女子高生」に対する一定の需要はあるのだ。
「チャーハン定食」
メニューを見もせずに、あっさりと答える真姫に不満顔の京香。
「また、チャーハン定食? それ好きだねえ、真姫ちゃん」
「別にいいでしょ」
「いいけどさ。チャーハン定食入ります!」
府中市の夜は更けていく。




