23. 海の上から
季節は12月。
寒冷前線が南下してきて、関東にも冬をもたらす寒気を運んでくる。
この時期、関東のライダーは、主に「海沿い」を目指す。
理由はもちろん、寒冷による路面凍結がある、山間部を避けるため。
そして、その日、日曜日だった。
真姫は、目の前に見える、不思議な光景に見入っていた。
(デカい)
それは船だった。真姫の想像を超えた、大きな船体が待合室から見えた。
神奈川県横須賀市久里浜。
数日前に突如、蛍から誘われた房総半島ツーリング。参加者は、真姫の他に京香。杏は事故による打撲は完治していたが、まだ周囲から止められているらしく、来られないという連絡があった。
今回のツーリングの発起人は、蛍であり、蛍は真姫に先日買った、インカムを持ってくるように指示していた。
つまり、初めて「通信」をしながらツーリングをすることになる。
それはいいのだが、あえて便利なアクアラインを使わず、わざわざフェリーで対岸の房総半島まで行こう、というのが蛍の案だった。
蛍には、蛍の考えがあるのだろう、と思い、真姫は文句を言わずにそれに従い、自宅から国道と高速道路を経由し、わざわざ横須賀まで来たのだった。
距離的に一番遠い真姫が、一番最初に着いており、他の2人はまだ姿が見えなかったため、すでに入船していた船を眺めていた彼女。
彼女にとって、人生で初のフェリーツアーだった。
いや、正確には、真姫は昔、家族旅行で車で北海道に行っており、その時にフェリーに乗っていたが、幼い頃のことであり、記憶に薄っすらとしか残っていなかった。
ともかく、そうしてしばらく佇んでいると、
「Hey, 姉ちゃん。1人かい? お茶しない?」
おかしな口調で現れたのが、京香であった。
そのすぐ後ろに、くすくすと笑っている蛍の姿も見えた。
「京ちゃん。変なナンパ、やめて」
極めて冷静な口調で返すも、目が笑っていない真姫を見て、京香は、
「ごめんごめん。朝から黄昏てる真姫ちゃんが、あまりにも絵になってたから、つい。真姫ちゃん、イケメンだからね」
「それって褒めてるの?」
「褒めてるよー」
「真姫ちゃん、めんこいからねー」
それを見ていた蛍の言葉に真姫が反応する。
「めんこい?」
「可愛いってこと」
「もう、2人してやめて」
「あ、真姫ちゃん、照れてるー」
「照れてないし。行くよ、もう」
などという、女子高生らしいやり取りをしながら、フェリーの出航手続きを行い、出航時間を待つ3人。
ひとまず話題は、今日の行き先についてだ。
「で、今日はどこ行くの、蛍ちゃん? 私は普通のつまらない観光地は行きたくないけど」
真っ先に切り出す真姫だが、その本心がすでに垣間見えていた。
普通のツーリングはやりたくない、変り者の彼女。
それに対し、主催者は、
「大丈夫、真姫ちゃん。今日は、とっておきの変わったところに連れて行ってあげるから」
自信満々に、強気な瞳を、特徴的なふわふわの髪の下から覗かせていた。
「えー、どこに行くの、蛍ちゃん?」
「内緒」
京香と蛍が仲良く話している間に、船へのバイクの積み込みの時間になり、各々のバイクへと向かう。
そこからは、真姫には少し不思議な光景が展開された。
巨大な船底が大きく口を開き、その口に向かって、鉄の小さな橋が架かり、それをたどってフェリー本体の船底へとたどり着く。
係員に誘導され、船底の前方部分の壁際にバイクを停めると、係員が手慣れた手つきで、次々にロープでバイクを固着していく。
それを横目に見ながら、真姫はヘルメットを脱いで、興味深そうに見守っていた。
初めてのフェリー旅、そしてバイクで行くフェリー旅。
彼女の興味は船の係員の手際の良さと、その巧みな固着技術だった。
(本当にこれで倒れないのかな)
心配になって、係員が去ってから、縛られたロープを、直に手で触ってみると、そのロープは思いの他、頑丈に固着されていることがわかり、彼女は胸を撫で下ろしていた。
(うん。これなら、きっと嵐が来ても大丈夫)
彼女は、腕組みをしながら深く頷いていた。
他人が一般的にはあまり考えないような、同時にバイク乗りにとってはあまり興味がない、ある意味どうでもいいようなことに、彼女は心惹かれるのであった。
「真姫ちゃん、何してるの?」
そんな彼女を怪訝な表情で見つめる姿があった。真姫の後ろに停めたバイクから降りて、ヘルメットを脱いで、視線を向けてきた京香だった。
「何でもない。上に行くよ」
「わかってるって」
しかも、そうして船体の上へ続く階段を上りながら、なおも真姫は考えていた。
(それにしても、係員のあの手際の良さ。ハンパない)
ようやく、蛍も合わせて3人が船の甲板に揃う。
出航の時間だった。
(風が気持ちいいけど、めっちゃ寒い!)
真っ先にそう思った真姫は、2人を誘って船内に入る。
「蛍ちゃん。確かに船は気持ちいいけど、この時期は、さすがに寒いね」
「まあ、それはそうだけど、しばれるほどじゃないべ」
「しばれる?」
「めっちゃ寒いってこと」
「いや、まあ北海道に比べたら寒くないだろうけど」
「っていうか、何でアクアライン使わなかったの?」
二人のやり取りを見ていた京香が横から口を挟む。
すると、主催者の考えは明白だった。
「だって混むべさ。私、渋滞はバイクでツーリングする時、一番嫌いなんだ」
蛍の真の理由。それは「渋滞の回避」だった。
そして、事実として、日曜日のその日。
携帯の地図アプリを開いた真姫が目にしたものは、午前中から、ひたすら赤い色、つまり渋滞中を示す表示が神奈川県の川崎市から対岸の千葉県の木更津市まで続いている「アクアライン」だった。
「ああ、確かに。私も渋滞、嫌だ」
「だよねー。渋滞ほど時間の無駄と、疲れることはないべ」
「激しく同意」
意気投合する真姫と蛍。
蛍は、少し遠くに目をやってから、ふとこんなことを口走った。
「あと、フェリーってのは、昔、乗った函館から青森のフェリーを思い出すんだ」
「へえ」
と、頷いては見たものの、ごく小さい頃にそのフェリーに乗って北海道に行ったはずの真姫には、何だか別世界のように思えていた。
だが、北海道民、特に南に住んでいる者たちにとって、この函館から青森のフェリーというのは、特に重要である。
古くは青函連絡船として、それが廃止されてからも北海道と本州を繋ぐ青函トンネルは、電車しか通さないので、車やバイクにとっては、この路線は重要だった。
もっとも、北海道でも北東の北見市出身の蛍が、このフェリーを頻繁に使う機会はなかったのだが。
3人を乗せた東京湾フェリーは、対岸の房総半島を目指す。
時間にして、およそ40分。
東京湾を横断する、小さなフェリーの旅。
その先には、房総半島の金谷というターミナルがあった。




