20. 甲府盆地
柳沢峠で、雨に当たり、日帰り温泉で昼まで時間を潰した真姫。
スマホのナビを頼りに、次に向かう場所は「笛吹川フルーツ公園」だった。甲府盆地を見下ろす絶景が見られるという場所だったが。
その前に、交差点に差し掛かり、「フルーツライン」という表記を見つけた彼女。
それに吸い込まれるように、左折していた。
丁度、山裾から甲府盆地を見下ろすように走る、小高い丘状に築かれた農道のような道だった、そのフルーツライン。
だが、初めて走るその道が、彼女を感動に導いた。
(走りやすい!)
ここにはほとんど信号機が見当たらない。
交通量も少ないため、バイクにとっては快適に走ることが出来る、数少ないルートだった。
やがて、右手に景色を眺めながら走ること数分で、ちょっとした休憩スペースになっている駐車場が見えてきて、そこにバイクを停めた彼女。
「牛奥みはらしの丘」
そう呼ばれる小さな休憩所だった。
実際、ここには何もない。ただ、目の前に甲府盆地が広がる景色が見えるだけ。
ただ、
(いい眺め)
目の前に広がるのは、畑とビニールハウスと、甲府盆地と山の風景のみ。
それでも、東京のような都会に住んでいると、味わえない自然とのどかな街並みが広がるその何気ない風景が、真姫を感動させてくれた。
―甲府盆地なう―
早速、親友の京香にLINEで写真を送っていた。
恐らく仕事中なのだろう。京香からの既読はなかったが。
しばらくここでまったりと景色を眺めた彼女は、再度バイクにまたがって、出発する。
再びフルーツラインを通り、あえて遠回りをしながら、交通量の少ない山裾のルートを通って、20分ほど。
今度は山道を登り、笛吹川フルーツ公園にたどり着いた。
「山梨県笛吹川フルーツ公園」。
そこは、ちょっとしたアスレチックの遊具があったり、飲食店や土産物屋があったり、近くには日帰り温泉もある、大人も子供も楽しめる観光スポットの一つ。
そして、その駐車場に程近い展望台からは、絶景が迎えてくれる。
目の前に薄っすらとだが、富士山の威容が見えた。
小高い丘の上に位置するそこからは、目の前に甲府盆地を見下ろすことができ、遠くには青々と茂る山梨県の山々を眺めることが出来る。
その日、ようやく雨が上がったとはいえ、まだ曇っていたため、富士山がくっきりとは見えてはいなかったものの、彼女にとって、初めてまともに見る富士山だった。
(大きいな)
恐らく子供の頃に、両親と共に富士山は見ているはずだったが、あまり覚えてはいなかった真姫にとって、その威容は十分に心に感動を植え付けるものだった。
早速、京香に、
―ちょっと曇ってるけど、富士山―
というメッセージを写真つきで送っていた。
駐車場に戻る途中、携帯にメッセージ着信音が鳴り響いた。
―甲府盆地まで来たんだね。その近くにある日帰り温泉とかいいよ~―
という京香からのメッセージだったが、それを苦笑しながら、真姫は返していた。
―日帰り温泉なら、さっき別のところに行ったんだ。雨に当たってね―
―ありゃりゃ。雨女だね、真姫ちゃん―
―そんなことないよ―
―にしても、その辺、わかりにくくない? 甲州市、甲府市、甲斐市でしょ? 全部「甲」がついてるから―
言われてみると、確かに混乱する。そう思う真姫ではあったが、事前に調べてきた情報だと、昔は違ったらしい。
―確かにね。でも、昔は甲州市は塩山市だったんだよね。甲斐市も竜王町とかだったはず―
―そうなんだ~。でも、まあ合併してわかりにくくなるより、塩山とか竜王の方がわかりやすいし、竜王ってなんだかカッコいいね!―
LINEを通して、感じる京香の謎の感性。だが、真姫もまた合併する前の名前の方がわかりやすいとは思うのだった。
市町村合併は、人口減少による副産物として、2000年代頃から全国各地で行われたが、その結果、実際に名前がわかりにくい、あるいは昔ながらの名前が消えてしまったことが多い。
「地名」とは往々にして、その土地の「歴史」を現していることが多く、塩山市という地名も元々は「塩」に関連する地名だった。
いわば、合併によって、「歴史」が消えて、「わかりにくさ」が残ってしまっているのだった。
―これからどうするの?―
そう尋ねられて、その先のプランをまったく考えていなかったことに気づかされた真姫は、少し考えてから、返信を返す。
―まだ時間あるから、富士五湖の方に行ってから帰る―
漠然とそれしか考えていなかった彼女に対し、親友は、
―んじゃ、せっかくだから山中湖行って、道志みち通って、帰りなよ。あそこは信号機ないから走りやすいよ~―
―サンキュー、京ちゃん―
思わぬ情報ソースを手に入れ、真姫は駐車場に戻って、再度バイクにまたがって、エンジンをかける。
甲府盆地から、富士五湖方面へ。
山梨県の旅は、続く。