16. 事故
「先に現場に向かってます」
真姫は、杏の母親に告げて、足早にバイクに向かった。
母親は後から自転車で追いつくという。
警察に知らされた、事故現場はそこからさほど遠くない場所だった。国道246号、通称「厚木街道」。
その幹線道路沿いのガソリンスタンド前ということだった。
深夜になり、この辺りの交通量は少なくなっているが、それでも主要街道に当たる国道246号には、配送用の大型トラックやタクシーの姿が目立っていた。
そんな中、10分ほどで現場に到着する。
辺りには、赤色灯を回転させているパトカーが2台。その周りに、1台の軽自動車と杏の乗るスズキ GSX250Rの姿が見えたが、見たところ、大きな物損事故にはなっていないようで、バイクの右側のミラーが曲がっているのと、車の左側のミラーが傷ついているように見えた。
警察官が2名いて、それぞれ杏と自動車の運転手らしき中年の男性に事情を聞いているようだ。
見たところ、実況見分だろうが、幸いにも杏はどこにも大きな怪我を負っていないようで、ひとまず真姫は安心する。
「杏」
バイクを近づけ、おもむろに声をかける。
「真姫……」
警察官と話しながらも、彼女はバイクで近付いてくる真姫に気づいていたようだったが。
さすがに表情が暗かった。普段の底抜けに明るい、パリピギャルの面影はどこにもなく、深く沈んで、憔悴しきったような、生気のない顔だった。
「ご家族の方ですか?」
真姫に気づいた警察官が声をかけるも、真姫は首を振り、
「いえ。もう少しで彼女の母親が来ると思います」
そう告げて、遠巻きに様子を眺めることにした。
話を聞いていると、どうやらガソリンスタンドから出ようとしていた杏のバイクの右側に、走ってきた車のミラーが衝突し、そのはずみで杏がバイクごと転倒したようだった。
ただ、幸いにもスピードは出ていないし、転んだ際に左足を打っただけらしい。
物損ではなく、人身事故になるため、この実況見分が長くかかり、それで時間がかかっているようだった。
まもなく、
「杏!」
ママチャリの自転車で駆けつけた、杏の母が、さすがに心配そうな面持ちで、娘に声をかけて、慌ただしく自転車を降りた。
「母さん。ごめんなさい」
そこにいたのは、いつものようなパリピ全開の少女ではなかった。
過失がどちらにあるにせよ、事故を起こしてしまったという、重い責任と後悔の念に苛まれ、おまけに身内にまで心配をかけたという、自責の念にかられているのだろう。
結局、この実況見分 ―現場検証とも言うが― は、それから30分あまりも続き、警察官は、母親にも事情を説明し、当事者同士の言い分も聞いて、調書を作成し、午後11時頃にようやく解散となった。
過失については、後日正式に決められるそうだが、どちらかというと、車の方が不利になるとのこと。
つまり、この場合、バイクに乗る杏がガソリンスタンドから出る時、車に乗っていた方は、バイクが小さく、遅く見えたため、「まだ大丈夫だろう」という憶測で進んでいたという証言があった。
逆に言うと、杏は、まだ十分距離があるから、行けると思っていた。
車から見ればバイクが小さく、というより遅く見えてしまうことはよくある。
だが、その予測とは反対に、バイクは思った以上にスピードが出るため、車の運転手が予測するより速く到達してしまう。
そのため、こういう事故は特に交差点などでは起こりやすい。一種の右直事故に近い部分があった。
「ごめん、母さん。それに、真姫も」
さすがに沈痛な面持ちで、俯いている娘に対し、しかし母は怒るよりも、
「それより足は大丈夫?」
彼女の異変に気付いていた。
見ると、転倒した際にぶつけた、左足のふくらはぎ部分が痛むようで、びっこを引いて歩いているようにも見える。
「大丈夫。骨までは行ってないから、打撲だよ」
そう気丈に答えていた杏だが、
「油断しない方がいい。ちゃんと病院には行きなよ」
真姫が、声をかけると、神妙に、
「うん。わかった……」
と頷いていた。
ひとまず、傷心している杏を後ろに連れて、彼女の自宅まで向かうことになった。
だが、どうも足の痛みを我慢しているように、真姫には思えた。
恐らく本人にしかわからないだろうが、相当痛みはあるはずだ。
その証拠に、杏は左足を抑えて、顔を歪めていた。
何とかバイクにまたがり、家路へと着く。
家に着いた時には、11時20分近く。
彼女たちにとって、「長い」1日がもうすぐ終わろうとしていた。




