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アーモとベカの訓練は続いた。少しずつアーモは成長しているが、相変わらずやんちゃで言うことは滅多にきかなかった。毒キノコ誤飲でソラにぶん殴られた一件から、彼女を避けるようになり始めた。
教育という名目の元で暴力を働く行為に対して、ベカは批判的な考えをもち、同時に、ソラがアーモを殴った事実にショックを感じていた。そのようなことをする子だとは思っていなかったのだ。彼女は冷たいというか、どこかむすっとしているが、やることはちゃんとやっていたからだ。ベカのわからないところをすぐに見抜き、丁寧に教えた。彼がミスをすると、その尻ぬぐいをし、アーモがものを壊すと、ソラも謝っていた。
ダラットが言っていた、「ソラは消極的だが優しい」とは、このことを言っていたのだろうか。
この日、ベカとソラはアーモを連れて岩石地帯に来ていた。養成所の南西に位置するヨセキ山の麓に広がる岩石地帯は、草木一本も生えておらず、火を扱う訓練には最適だった。
ドラゴンに様々な種類があるのと同様、ブレスも多種多様である。広範囲に火を吹き出すことができる個体がいれば、一点に集中してより遠くに攻撃が得意なものもいる。
単体のブレスはそこまで強力とみなされていないが、複数体が連携したブレスは、戦術的に有効で、町をひとつ飲み込むほどの威力をもつこともある。
だがアーモはなかなか上手に火を吹くことができなかった。
ドラゴンの種類ごとにブレス訓練のコツがあるらしいのだが、アーモは珍しい種族なので訓練のコツがわからず、また寝不足も相まって、ベカは手をやいていた。
ここ最近、急激にオルダンブルグの気温が上昇し、夜は暑くて眠りにつけないのだ。ただの暑さではなく、湿気のもやっとした暑さが肌にまとわりつくのが、一番不快だ。
訓練は難航したまま、雨が降ってきたので、切り上げることになった。
同日の夜も、苦しい暑さで眠れないでいると、隣の部屋からドアが軋む音が聞こえた。ソラが外出しているのだ。だが、きっと明日の夜中に音は聞こえないだろう。なぜならソラは数日に一度だけ、夜に外出をしているからだ。外出する頻度からあらかじめ予想することができる。
最初は気にしないようにしていたが、どうしても気になっていたベカは、この日、こっそりと尾行することにしていた。
訓練中、ソラに気を張っていたが、彼女は普段通りだった。雨で訓練が少し早めに切り上げることになると、ベカはすぐに自室に戻った。ソラが外出するのは夜だけれども、時間はバラバラだ。真夜中のときもあれば、夕食の時間帯のときもある。
時計が真夜中を示す時、ドアの軋む音を聞いたベカはしばらくすると外に出た。
暗いと腕が勝手に震えだす。
パラパラと降る雨を避けるように、尾行がばれないように、ベカは建物から建物へと移りながらソラを追った。一方、ソラは雨粒の中をなりふり構わずすすむので、距離が開いてしまい、見失いそうになったが、彼女が古竜舎に入っていくのが辛うじて見えた。
古竜舎でこんな真夜中になにをしているのだろう。まさか、エッチなことでもしているのか?
ベカは入り口から入るのではなく、建物の外から、こっそりと伺おうとした。
「なんでよッ!」
びゅん、パン……びゅん、パン。
聞こえてきたのは、細いものを素早く振ったときに聞こえる鋭い音と、そのあとに雷管が弾けたような、小さな爆発にも思える音、そして叫び声だった。
なにがおこっているんだ? びっくりしたベカは、すぐに明かりのついている部屋を覗いた。
そこには予想外の光景が広がっていた。それは一瞬で、頭に浮かんでいた卑猥な妄想を吹き飛ばすほどだった。
ソラが鞭で勢いよくドラゴンを打ちつけて、虐待をしていたのだ。その一撃一撃には渾身の力がこめられている。
惨憺な状況を目の当たりにしたベカは絶句した。
ドラゴンは片目が潰れていた。体のありとあらゆるところに傷があり、翼は穴があき、ところどころ破れてしまっている。完全に弱り切ってしまっているのか、鞭で打たれているドラゴンは床に顎をのせ、藁の上でぐったりとしている。
ドラゴンを殺そうとしているのか? こんなことをソラがやっているなんて……
鞭が振るわれるたびに、血しぶきが壁に飛び散っている。
ベカは大慌てで古竜舎に入り、鞭を大きく振りかぶったソラに、
「なにしてるんだ。やめろよ」と、慎重を装って声をかけた。
振り上げた鞭をゆっくりとおろすと、ソラは息を切らしながらたたずんだ。肩で息をする彼女の服は、腕から手にかけて真っ赤に染まっていた。
ぎゅっと唇を噛みしめている彼女の紅い瞳になにが宿っているのか、ベカはまったく想像がつかなかった。
鞭がやんだと判断したドラゴンはゆっくりと顔を上げた。
「なんでこんなことするんだ?」
ソラを刺激しないようにと、深く、静かな声で尋ねた。
「あんたには関係ないし、言っても理解できない」と、ソラは鞭を置くと部屋を出ようとした。
「いま、叫んでたよな? なにか、事情があるのか?」
「ないよ」
ソラは構わず、部屋を出た。
「待てよ」
彼女の背中に脅しを投げつけたが、ソラは雨の降る暗闇の中へと去ってしまった。
開いたままのドアから水を含んだ風が流れてきた。
どうしたらいいのかわからなかったベカは、ダラットに報告することにした。
事務所のドアを壊れない程度に開けると、机で突っ伏しているダラットを言葉で叩き起こした。
「ダラットさんッ」
驚いたダラットは跳ね上がると、気迫を放つ、濡れたベカを見てパチクリと瞬きをした。
「どうした……?」
「どうしても、緊急に相談したいことがあります」
「なんだ?」
「ソラが、ドラゴンに……虐待をしてました」
「虐待?」
「はい、鞭でドラゴンを叩いてたんです」
「アーモを叩いていたのか?」
「いえ、古竜舎のドラゴンです。数日に一度くらいのペースで夜中に外出していたので、変だなって思ったんです」
ダラットは緩慢に立ち上がった。天井に届きそうなほどの巨体はベカを覆いそうなほどだった。まるで熊と対峙しているようだ。しかし、そのデカさとは対照的に、目はとても落ち着いていた。どこか鋭いがどこか暖かさを孕んでいる。その目は徐々にベカの気持ちをしずめさせた。
「ソラが鞭打ちプレイしていたのか」
「いえ、虐待です。ドラゴンを血だらけにしてたんです」
ダラットはため息を吐くと、「血だらけか……」としばらく考え込んだ。
「そうか、事情はわかった……ソラには私から一切やめるように注意しておく」とおもむろに言った。
「わかりました……でも、それだけですか?」
「それだけというのは?」
「ドラゴンに酷いことをしていたんです。もうすこしなにか……」
「まあ、罰ならもう受けてるだろうね……それより……このことはあまり触れないでやってくれ」
ベカは怪訝な表情を浮かべた。
「どうしてです?」
「まあ、色々な事情があるんだよ。そのうちきみもわかるさ。ありがとうね」
納得がいかなかったが、ダラットこう言う以上、竜舎に戻るしかない。
意味がわからない。なにも理解できない。なぜソラはドラゴンに鞭を打ち付け、ケガさせていたのだ。なぜその事実を聞いても驚かなかったのだ?
ここでは、日常的にドラゴンに暴力がふるわれているのか。ソラの言っていた「最悪の仕事」とは、このことを指していたのか。
部屋に戻ってベッドに仰向けになって寝転ぶと、震える手を自分の体とベッドに挟み込み、暗い天井を眺めた。
しばらくして、雨音に紛れて、どこからか、ドラゴンの幼く可愛らしい咆哮がきこえてきた。
ドンドンドン!
誰かが勢いよくドアを叩いた。
「ベカくん!」
よっぽど慌てているようだ。声からしてロカだろう。ベカはすぐに、「どうしました?」と起き上がった。
「大変よ! アーモの部屋が燃えてるの! どうやらブレスでやちゃったみたい! なんかすごい怒っているみたいなんだけど、心当たりある?」
「あ……」
一つ、心当たりがあった。
ソラの外出に気を取られていて、アーモに餌をあげるのを忘れていた!
「すいません! エサやり 忘れてましたッ!」
「えッ——‼ もう、ドラゴンは空腹になるとすごい怒りやすくなるって習ったよね!」
「はいッ‼ 習いましたッ‼ いますぐ消火してきます!」
ベカは宿舎を飛び出すと、一目散に竜舎に向かった。
部屋の中でアーモは吠えながら藁に火を吹きつけていた。
「すまん、アーモ!」