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生まれたドラゴンの青い毛並がモフモフになったことから、そのドラゴンはアーモと名付けられた。
アーモはとても希少な【スカイフューリー】と呼ばれる竜種で、狂暴な性格に加え、青空にカモフラージュする潜伏能力、獰猛な牙と爪、強力なブレス、加えて高い知能を持つので、太鼓の昔、人々から恐れられていたと言われている。そんなスカイフューリーが戦争に出陣すれば、大小さまざまな戦果を挙げ、一度人間と打ち解けると、どんな命令でもこなすとされている。
ベカはそんなアーモをきっと素晴らしいドラゴンになると期待していた。
「おい、アーモッ! うんこはちゃんと、スノコの上でしろ! 藁の上にするな! お前の寝床だぞ!」
アーモはベカの声に反応すらせず、竜舎の部屋の中を暴れ馬のように、走り回っている。ドラゴンといえどまだ子供、中型犬ほどのサイズで、捕まえればどうにか抑え込むことができるが、俊敏で捕まえるのが難しい。
狂ったように駆け回るアーモは、藁を散らかしながら、壁を登って降りてはベカの尻に突進した。
吹き飛んだベカは糞がある、藁の山に突っ込んだ。
「てめえええええっ‼」
糞まみれになったベカは、怒鳴ったが、アーモは耳を貸すことなく暴れ回っている。それを目の当たりにするとため息をついた。手が付けられない状態だ。
アーモはまったく言うことをきかない、やんちゃなドラゴンだったのだ。すぐにいたずらを試みて、ばれたら逃げるために部屋の中を駆け回る。
「朝から本当に元気なやつだ。今日から訓練が始まるっていうのに……まあ、訓練すれば従順になってくれると思うんだがな。とりあえず、散歩にでも連れてくか」
ベカはものを静止させる魔法を使い、強引に暴れ狂うドラゴンを鎮めた。空中でピッタリと固まり、動けなくなったアーモはそれでもなお、走り回ろうとしているのか、目玉だけがキョロキョロと動いている。
「少し早いけど、散歩してそのまま訓練にいこう」
糞を回収すると、アーモを空中で静止させたまま、ベカは竜舎を後にした。
駆け出しドラゴントレーナーは、ドラゴンを勝手に散歩や訓練することができない。必ずサポーターの同伴が必要なのだ。オルダンブルグ飛竜養成所では、新人のトレーナーはサポーターから、ドラゴンについての教育を実践しながら受けることになっている。
宿舎に戻った。ソラは隣の部屋なので、近くてとても便利だ。
いつものように、ドアをガチャンとあけた。
「ソラ、少し早いけど、もう散歩と訓練にいきたいんだ——がッ!」
目をまん丸と見開いた。なんとソラが部屋の中で着替えている最中だったのだ。彼女の下着姿と、真っ白くとても柔らかそうな肌を見たベカは、
「次から来るときはノックするよ」と微笑んだ。
顔を赤くしたソラはすぐそばにあった枕を手に取ると、激烈な勢いで投げつけた。それは見事、顔にクリーンヒットし、ベカは吹き飛んだ。
「わるかった。あとで何でも言うことをきくから、なにされたっていいから、ロカさんにだけは言わないで」
ベカは立ち上がると、枕を拾いそれを返そうとしたがソラは受け取らずに「それ洗って返して」と言った。
「わかった。じゃあ、外で待ってるから」
枕の匂いを嗅ぎながらベカは部屋を出て、竜舎に戻った。
魔法で固まっているアーモにリードとしてひもを巻きつけようとするが、不器用なせいでなかなか上手く巻くことができない。ああでもない。こうでもない。としばらく試行錯誤の末、不格好ながらもようやくリードをつけることができた。ドラゴンは強い力を持っているが、アーモはまだ幼いため、御するのに紐で十分なのだ。
「反省したか?」
魔法を解くと、アーモは喉を唸らせ牙をむき出しにして、ベカを警戒した。
これは、全く反省していない。むしろ、魔法をかけられたことに怒っているようだ。当分、この魔法を使うのはやめておこう。
「お前、ちゃんと俺の言うこときけよ」
ため息交じりにアーモのリードを引っ張った。
まさか、ドラゴンがこんなにやんちゃで、言うことをきかなくて、糞ったれているなんて……
少し、期待外れだ。想像していたドラゴンと随分と違う。とベカは残念そうな表情を浮かべながら壁扉をあけると、全く動こうとしないアーモを強引に引っ張りだした。
竜舎は、大きいドラゴンを竜舎に出し入れするために、外側の壁一面を、開閉することができるのだ。
外では、しっかりと、ソラが待ってくれていた。
「呼びに来たのに、待たせるってどういうこと?」
「紐つけるのに時間かかっちゃってな……」
アーモにぐるぐると巻かれた紐を見たソラは驚くと、すぐに駆け寄り紐をほどきはじめた。
「時間かかってこれ? あなたって指ついてるの? 本当に不器用なんだね」
「ほんと、この世の中、不器用は生きずらいよ。それで、どこに行くんだ?」
「ここから大平原を北のほうに行くと、川があるから、そこまで散歩して、そこらへんで訓練する」
「どんな訓練を?」
「知らないの?」
ソラはアーモのリードを付け直し、紐をベカに渡すと、呆れたようすで先に歩きはじめてしまった。
「初めての訓練だから、気合を入れないとな」
先を行くソラについて行こうとしたが、アーモは動こうとしなかった。歩くどころか、逆に伏せてしまい、じっとベカを睨んでいる。
「おい、歩け!」
命令をきかないアーモに我慢の限界だったベカは「痛い思いをしても知らないからな」と強引に引きずり始めた。草原なので、引きずるのに危ないものは落ちていないだろう。その後、小走りでソラに追いついた。
「そもそも、どうして訓練をするか知ってるの?」
ソラはムスっと言った。
「知ってるよ。帝国に戦争用のドラゴンを献上するのに、試験があって、それをクリアする必要があるんだろ?」
ドラゴンは試験に一回だけ受けることができ、それに合格しなければならないのだ。
「でも、もし試験に落ちたらどうなるんだ?」
「試験に落ちたら、戦闘ドラゴンとしての素質はないと見なされて……・養成所から追放されるの」ソラは意味ありげな、暗い声色になった。
「そうなんだ。アーモ、お前危ないぞ」ベカは鼻でアーモを笑うと、「ふん」とアーモは鼻息で応戦した。
オルダンブルグの大平原は中心に向かってゆるく傾いているので、厳密には平原とは言えない。たかがドラゴンの子供と言えど、されどドラゴンの子供。アーモは重く、引っ張るのは大変なはずだが、下り坂なので、まだ楽だった。
「あんたはアーモの心配をしている場合じゃないよ」
ソラは冷たい声で言った。
「ドラゴントレーナーも初めてのドラゴンが試験に落ちた場合、トレーナー不適格として、仕事を首にさせられるよ」
「えッ! クビッ!」
縮こまったバネを放したときのように、ベカは飛び上がった。
「は、初めてなのにどうして?」
「サポーターがついてるからでしょ」
「り、理不尽だろ!」
空気が変わった。表情は一切かわっていないのに。一体はどうやって雰囲気をかえたのだろうか。さきほどまで大平原に流れていた、暖かく生命力を感じさせる風が、ソラの周りだけ水を一瞬で凍らせ、触れると、刹那に肌が割れてしまいそうなほど、冷めたい風に変わっている。
その優しく、暖かそうな赤い瞳から、どうしてそんなつめたいものが生まれるのか、ベカは不思議に思った。
「帝国は戦争をしているの、戦争のための私たちとドラゴンなの。しょうがないでしょ。戦争そのものが理不尽なんだから。まあ、元兵士のあなたにはわからないと思うけどね」
ベカは、なにも言い返そうとはしなかった。いや、できなかったのだ。ソラの静かな迫力に背筋に寒気を感じたのだ。
先にすすむソラをただ、追いかけることしかしなかった。
平原の中心部分から、北にある川まで、上り坂となっている。ベカは、アーモをなんとか歩かせようとしたが、アーモは意地でも歩こうとしなかった。
ソラはお構いなしに坂を上っていくが、ベカが見えるか見えないかの丁度はざまにくると、しっかりと止まって待っていた。
水の流れる音が聞こえてきた。どうやら川が近づいているようだ。すると、引きずられているアーモが鼻をクンクンとし始めた。川のにおいを嗅ぎつけたのだ。
川を見たことも、においを嗅いだこともなかったアーモは突然立ち上がると、ベカを追い抜いて猛烈に走り始めた。
アーモに括り付けられた紐を腕に巻いていたベカは、前を追って走るしかなかった。
最初はなんとか追いつこうとしたが、アーモは足がはやく、やがて紐の限界まで差が広がってしまい、引っ張られる力でベカは倒れ込み、引きずられてしまった。
「と、とまれ! アーモ!」
もちろんアーモ止まることはなく、むしろぐんぐんと加速していく。前歩に大きな岩。
アーモは勢いよく、岩を飛び越えた。
「あ、まずい」
ベカは陸にあげられた魚のように飛び跳ねたが、股間を岩にぶつけてしまった。
「あああああああ! 馬鹿ドラゴンッ——止まれえええええッ!」
アーモはこのまま川に飛び込む勢いだ。丁度ソラが川の岸に立っていた。
「ソラ! 助けてくれ!」
すれ違いざまに、白目をひん剥きながら、ソラの腕を掴んだ。
アーモはとても楽しそうに、勢いよく川に飛び込んだ。初めての川なので興奮したのだろう。紐に引っ張られたベカと、彼に掴まれたソラが続いて川にダイブした。
「ヘックション!」
ベカはくしゃみをしながら岸へと上がった。アーモは川の中で呑気に泳いでいる。ソラは怒りからか、もしくは寒さからか、胸のあたりで腕を組んで川岸にむかっている。起こってしまったことはもうどうしようもないと思いながら、ベカは手をとって、岸に上がるのを手伝った。
「すまなかった」と謝ったが、
「さいあく」
ソラは憎しみのこもった声で言い放つと、泳ぐアーモを眺めた。
「わるかったな」ベカは上の服を脱ぐと、水を絞った。
「その傷なに?」
ソラの方を振り向くと、彼女はベカの体を指さしていた。体は大きな傷が無数にある。いったい、いくつの激戦と死地を乗り越えれば、ここまで体に傷がのこるだろうか。彼がいかに壮絶な戦いを乗り越えてきたのか、ソラは容易に想像できた。傷を見られるのが恥ずかしかったベカはまだ濡れている服を着ると、「まあ、昔の名残りだよ」と鼻で笑った。
「それより、ソラの服も絞ってあげようか?」
話題を変えるために、冗談を言った。また無表情のまま怒ってくるのだろうと予想したが、それに反してソラは「いい」と冗談をスルーした。
「で、師匠、これから俺はなにをすればいいの?」
「教えない」
「なんで? サポーターだろ? 教えてくれなきゃ、俺もアーモも追放だぜ?」
「私からしたら、そっちの方がいいよ」
「おいおい、そんな酷いこと言うなよ。ダラットさんにチクるぞ?」
ソラは嫌そうな顔をしながら、
「アーモを連れてきて、訓練を始めるよ。形式だけ教えるから」
アーモを無理やり川から出すと、二人は訓練を開始した。