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 ソラとベカは執事の見送りを受けて、レストランの外に出た。もう日が差し込んでいてもよい時間帯なのに、厚い雲が空を覆っているせいで、外は真っ暗だった。

 勘違いをしていた。レストランの中はコートが要らないくらい暖かく、ロウソクが必要ないほど光に溢れていたので、きっと外も暖かく、明るいに違いないと感じていた。だが実際の外は、なにも見えないほど真っ暗で、凍えるほど寒い。これだから貴族の生活に触れるのは嫌なのだ。


 アーモはレストランから少し歩いた先にある竜舎に泊めてもらっていて、二人はそこに向かった。

 ベカはソラのずっと後ろを歩いていた。

 先を進むソラは、横目で足取りの重いベカを見つつ、たまに立ち止まって彼を待ったり、歩く速度をわざと緩めたりしていた。


 アーモは適応能力がとても高い。全く未知の場所でも堂々と寝息を立てていた。アーモはかなり熟睡している。軽くトントンと叩いても起きる気配がない。ベカが声をかけると、獣の耳がひくりと反応した。緩慢に目を開けると、大きなあくびをした。そのあくびが移ったのか、ベカもあくびをした。


 竜舎の一角を貸してくれた主に礼を言い、アーモを竜舎から出した。太陽が昇っているので、徐々に外は明るくなっているが、厚い雲は光をよく遮る。ベカとソラはお互いに白い吐息を確認し合った。


 三人は、東雲の帝都を飛び立った。

 ベカは前に座って手綱を握り、後ろにソラが座っている。アーモの力強い羽ばたきで高度はみるみる上昇する。上空は地上より何倍も寒い。あっという間に指先がかじかみ、体が震えはじめた。だが、ベカは寒さなど気にもせずに真上に広がる真っ暗な雲を眺めている。


 ソラが荷物入れから毛布を取り出すと、ベカと自分の体をそれで覆った。


「ありがとうな」

「いいよ……」

「俺、ようやくソラの気持ちを理解したよ」

「私の気持ち?」


 ソラの気持ち。自分が愛情をかけて育てたドラゴンと別れなければならないという深い悲しみ。そのドラゴンに、人やドラゴンと殺し合いを強いらせる自分や国への憎しみ。

 さっき感じた胸にぽっかりと穴があいた感覚、あれはきっとそういった寂しさと空虚の権化なんだ。


 ベカは自分のことをソラほど心が優しい人間ではないと思っている。それは先の戦争で心が壊れイカれてしまったからだ。ソラの気持ちはよくわかるが、アーモに戦いを強いる自分や国に対して嫌悪や憎しみを抱くことは一切なかった。だが壊れたと思い込んでいる心にでも、哀情はあった。


 冷たい風の奔流が心の一部を空から吹きとばす。落ちた大切な欠片は、、やがて見えなくなるほど小さくなり空に吸い込まれる。心に開いた孔にそのまま風が吹き抜け、体の内側から凍らせる。これはベカの深い悲しみだ。


 ソラはこんな別れの辛い気持ちを何度も経験していたのか。ダラットさんや他の職員のように、自分もいずれこの別れの辛さに麻痺して、何も感じなくなるのだろうか。それとも、ソラのように、ずっと悲しみ続けるのだろうか。


「前に言ってただろ。『この仕事は最悪だ』って。確かに、嫌だよな……」

「やめるの?」

「……」


 答えることができないベカの背中にコツンと何かが寄り掛かった。

 ベカは深呼吸をした。空気に微粒な氷の粒でも含まれているのではないかと思うほど風は冷たく、肺が痛くなった。まさか自分が、受取人と会って初めてアーモと馬鹿馬鹿しくとも暖かい時間が終わろうとしていることに気付き、悲しくなるなんて思いもしなかった。二年前の自分が知ったら、腹を抱えて笑うだろう。


「そうだな……」


 ベカが答えようとしたときだった。アーモが急に高度を上昇させた。振り落とされないように、二人は踏ん張った。


「アーモッ! 急にどうした!」


 やがて雲にぶつかった。ベカは手綱を引いて高度を下げようとしたが、アーモは無視して力強く空の中を登っていった。雲の中は真っ暗でなにも見えなかった。二人を雲の中から追い出さんと、猛烈な風が吹き荒れ、襲いかかっていた。


 アーモは雲の中でながれる上昇気流をつかみ、さらに高度を上げた。その間ソラは目を瞑り、ベカは雲をかき分けるアーモの先を見据えた。


 暗い。ここ最近右腕が痙攣を起こさなかったので、もう二度とこの煩わしい症状と離縁できると思っていたが、気づくと、暗闇のせいで腕は痙攣を起こしている。


 ああ、またこれか。

 その時だった、急に光が差し込んできた。

 吹き荒れていた風が収まり、あたりはひっそりと静まりかえった。雲の上に出ていた。深い空と、海のように波うつ雲がどこまでも続いている。右手側からは、暖かく眩しい朝日が彼らを照らしている。東の空は赤く、西側になるにつれてだんだんと青色へとかわっていく。


 アーモは揺れない舟のように空の海をゆっくりと航行した。手を伸ばせばときたま雲に触れることができるが、手が濡れることはない。ベカは驚いた。下の世界は灯りがないと一寸先も見えないほど暗く、凍え死にしそうなほど寒かったのに、すぐ上にはどこまでも見渡すことができ、透徹とした世界が広がっていたなんて。風は冷たく、寒さを持っているが、それを補うように太陽が暖かさを出している。


「アーモ……また俺に気を使ったのか?」


 と尋ねたベカ。アーモはただただ、楽しそうに雲を顎でなでたり、空を見上げたりしながら、飛行していた。もしかしたら、単に雲の上を飛んでみたかっただけなのかもしれない。


 ベカはふと、雲に伸びている影をみた。翼を広げて飛んでいるアーモと、それに乗っている自分とソラ。彼女は、頭をベカの背中によっかからせていた。

 気づくと、空がベカの痙攣する右手を握っていた。震えは徐々に収まっていった。


 きっとこれは外が明るいからじゃない。ソラの手が暖かいからだ。

 二人と一匹の影を見たベカは、くすりと微笑んだ。


「確かにこの仕事は嫌なことがあるが、俺はやめないぜ」


 ソラは伏目のまま「あっそう……なんで?」と小さく呟いた。


「ただでさえ、ソラは大切なドラゴンと別れ続けないといけなくて苦しい思いをしてるのに、俺までいなくなったら、寂しくて悲しいだろ?」

「そんなわけないじゃん……べつに、ベカがいなくなったって……なんとも思わないよ」

「え、そうなの⁉ 俺はソラと会えなくなったらすごく寂しいけどな」


 ソラを照らす朝日が赤いせいか、彼女の頬が染まっている。ベカは遠いそらを眺めている。


「じゃあ、俺はソラの孤独を、ソラは俺の欠点を埋め合わせるっていうのはどうだ? 相互扶助みたいなもんだ。それだったらいいだろ?」

「うん」とソラは囁くと、そっとベカの服をつまんだ。


 二人はオルダンブルグまで雲の上を飛翔した。これ以降、手の震えは二度と起こらなかった。


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