37
帝都ネガウト ベカの故郷にして、世界で最も大規模な都市と言われている。全世界の三人に一人は、全ての道はネガウトに通じると信じているとされ、一年中、二十四時間、灯りが消えることはない。そんなネガウトの中心部にある、超高級レストラン、キビ・コ・ギャリッホ は皇帝御用達の食事処として知られ、ニジュ帝国内の郷土料理はもちろん、大陸中の美味な料理を堪能することができる。
店内は煌びやかに装飾されており、深紅の絨毯、白銀のシャンデリア、そして個室だというのに、美しい音色を奏でる合奏団がいる。一般階級の人間は入ることすら許されない異質な空間だ。
正装に包まれたベカは、上流階級の心の何倍も純白そうな、卓布を見つめながら、食事が運ばれるのを今かと待っていた。
「今日は、遠路はるばる来てくれてありがとうね」
ベカの正面に座るマンフリートは軍服に身を包んでいた。
「こちらこそ、ご招待いただき光栄です」
「好きなもの、食べていいからね」
「はい、ありがとうございます」
「……」
「……」
「オルダンブルグって結構遠いよね、どんなところなんだい?」
「なにもないところですね」
「……」
「……」
「好きな食べ物とかある?」
「肉ですね」
「……」
「……」
二人の会話はしばらく途切れてしまった。マンフリートは少し気まずそうに、辺りを見回し、ベカは、料理はまだかと、テーブルを眺め、においだけでも堪能していた。
しばらくして、マンフリートが口火を切った。
「アーモの噂は聞いたよ。本当に優秀なドラゴンなんだね」
「ええ、確かにあいつは優秀なドラゴンですよ。じゃじゃ馬ですけどね」
「そうなの?」
「はい、特に最初は大変でしたよ。言うこと聞かないし、いたずら好きで。俺の困る顔を見るのが好きだったんです。最悪なドラゴンだなって思ってました」
「いたずらって、どんなことをしたんだい?」
「火を吹いて火事を起こしかけたり、川に俺を落としたり、部屋中にうんこぶちまけたり、顔にうんこくっつけたり、部屋中を駆け回ってめちゃくちゃにすることなんてしょっちゅうでしたよ。他にもまだまだありますよ。ドラゴンなのにベジタリアンだったり」
「そりゃあ、大変だったね。でもアーモは優秀なドラゴンなんでしょ? 初めからその片鱗は見せていたのかい?」
「どうなんでしょう……俺は長い期間、アーモを誤解してたので……」
「誤解と言うと?」
「俺は当初、アーモは単にいたずら好きで、命令をきかない、やんちゃなドラゴンだと思っていました。でも、それは部分的に間違っていて、いたずらは主張だったんです。すべてに主張が含まれていた……気がします。もっとこうして欲しいとかっていう主張です。でも一番は自分のことを信頼して対等な相棒して、見て欲しいってアーモは思っていたんです。最近になってようやく、俺はアーモを信頼するようになりました。そうしたら色々な面が見えてきたんです。今頃って感じですけどね。本当は優しくて、気が使える変なドラゴンなんです」
「そうかい……いいドラゴンじゃないか……プッハハ」
マンフリートは急に笑い始めた。
「君は本当にアーモのことが好きなんだね!」
腹を抑えて笑い始めたマンフリート。
「どうかしたんですか?」
ベカは怪訝な表情で尋ねた。食事が運ばれてきた。とても豪華だ。肉肉肉肉……ベカの視界には肉しか入っていなかった。笑い終わったマンフリートは、
「いやね、緊張から解放されたらちょっと笑えてきて」
「緊張ですか?」
「うん、きみのこともよく知っていてね。『帝国の黒い悪魔』って呼ばれていたもんだから、てっきり失礼なことをしたら俺も殺されちゃんじゃないかって緊張してたんだ。でもイメージと全然違ったよ。もちろん良い意味でね」
「なんですかそれ」
ベカとマンフリートは笑い合った。
「アーモの話、もっと聞かせてよ」
「ええ、もちろんです」
ベカはアーモのことについて何時間も話し続けた。アーモのやんちゃなストーリーや、おばかな話、アーモが歯ブラシを拒否するときは、顎の下をなでるといいというコツなど、ありとあらゆることを、ベカは話した。やがて、二人はドラゴンの話で盛り上がるようになった。食事が終わっても、話は盛り上がり続けた。本来ならば、閉店となるので店を出ないといけないのだが、マンフリートはこの店によく顔が通じるみたいで、そのまま店で夜通し話をすることができた。
夜が過ぎ、ついに朝日が昇り始める時間となってしまった。
「もうこんな時間か、朝になっちゃうね。今日は大事な式典に参加する予定なのだが……これじゃあ、立ったまま寝てしまうね」
「なんかすいませんね。長々と」
「いや、いいんだ。立って寝るのは慣れているからね。今日はとても楽しかったよ。きみとはもっと話したい。こんどは俺がオルダンブルグに赴くとするよ。あと、ここだけの秘密なんだけど……」
「はい」
マンフリートは打って変わって真剣な表情になった。オーラが変わり、ピリピリとした緊張感が伝わってきた。
「きみが倒した男の所持品から、南に位置するヨコキ共和国のスパイだということがわかった。俺はてっきり、ドラゴン養成所を連続して襲撃していたのは西側の人間だと思っていたんだが、残念なことに外れてしまった。つまりどういうことかわかるかい?」
「南部戦線が開戦する」
「そうだ。軍の上層部から聞いた話だ。今回の事件の報復措置として、春先に、帝国はヨコキ共和国に対して宣戦布告をするらしい。まあ、名目は報復だが、実態は侵攻だ。最悪な状況だよ。西部戦線はいまも膠着状態なのに、南部でも戦争を始めるんだ。きみのおかげで、三つ同時に戦線を持たなかったのは不幸中の幸いだね」
「いえ、そんな……」
「ヨコキ共和国は強力な軍隊を保持しているから……厳しい戦いになる。そこの最前線に俺は派遣されることになっている……それがアーモの初陣になるだろうね」
「……」
「それでアーモの受取日のことなんだけど……」
「……え、受取日?」
ベカの表情に影が差し込んだ。顔の彫に沿って暗さが増していく。すっかりとわすれていた。アーモは養成所を去るんだ。ベカは背中に氷水をぶっかけられ、無理やり目を覚まされた気分だった。
「そうだけど……どうかしたの?」
「あ、いえ……」
マンフリートは紙とペンを執事に持ってこさせると「五週間後の今日っていうのはどうだい?」と提案した。
「大丈夫です」
アーモの引き渡し日が確定した。五週間後の今日だ。冬の終わりごろ、春目前の少し暖かい時期だ。この日に、アーモと別れることになる。まだ実感が持てないが、アーモがいなくなることを考えたら、不思議な感覚に陥る。胸に穴があき、体がふわりと空中に浮くような……これはなんだろうか。少なくともいいものとは言えない感覚だ。紙に記入するマンフリートを、ベカはただ呆然と眺めていることしかしなかった。
マンフリートと予定を合わせ終わると、帰路につこうとした。
「ありがとうね! 今度は俺がオルダンブルグに行くから! 君はドラゴントレーナーが本当に似合っているね。ネトウの策略に引っかからなくてよかったよ。もし、今後軍がまた君を困らせたら、俺に教えてくれ」
「了解です」
二人は固い握手を結んだ。
ベカは帰ろうとすると、執事がやってきて、
「ベカ様、お連れ様がお待ちです」と言った。
様をつけて呼ばれることなど滅多にないので、いささか恥ずかしく、ベカはたじろぎながら「あ、はい」と答えた。
フロアに案内された。そこは少し薄暗く、光源はパチパチと音を立てる暖炉だけだった。暖かい暖炉の前にソファーが並べられている。
「こちらです」
ソファーでは、ソラがすやすやと眠っていた。
「ソラ……来てたのか……」
とベカが言葉を漏らすと、それを聞いていたソラは小さなあくびをしながら起き上がった。
「遅い……」
長時間待たされていたソラはご立腹のようだった。腕を組んで、頬を膨らませると、そっぽを向いてしまった。
「すまない。でも、どうしてこんな遠くまで来たんだ?」
「お父さんの指示よ。アーモに乗ってきたの」とソラはそっぽを向きながら言った。
「そうか……ありがとうな」
暖炉の薄い橙色の光が当たる角度のせいだろうか、ベカの表情が暗くなっているようにソラには見え、そこから違和感を感じ取った。普段と違う。と彼女は思った。




