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オルダンブルグはさらに深い冬に入っていた。布団や毛布を何枚も体に覆っても、寒さが眠りの妨げになる。ベカは毎晩、布団の中でブルブルと震えながら、他のみんなはどうやって眠りについているのか気になる日々を送っていた。日が昇れば、寒さはだいぶ和らぐ。顔を出したばかりの赤い太陽が、硬い白銀に包まれたオルダンブルグの平原を暖かく照らす。
目が覚めてから二日ほどで、ベカは仕事に復帰した。驚異的な回復力に誰もが驚いた。
起きてから身支度をすると、ベカはすぐに竜舎へと向かった。久しぶりにアーモと顔を合わせるためだ。
「あら、ベカくんもう体は大丈夫なの?」
竜舎の入り口にはロカがいた。なにかを記入しているので、おそらく仕事をしているのだろう。筆記版を持つ左腕が、ベカの視界へと朝日を反射させた。硬い金属の腕だ。
「ロカさん、おはようございます。俺はもう大丈夫ですよ。それよりその腕……」
「ああこれね。私は器用すぎて気持ち悪かったから、これくらいが丁度いいの。今じゃこの通り、モノを掴むことすら難しい」
ロカは笑いながら言った。腕を失ったのにもう立ち直っているのか、もしくは立ち直ったフリをしているだけなのか、ベカには分からなかったので、どう反応すればいいのか困った。
「腕はともかく、無事でよかったです」
笑いながらベカは竜舎に入った。するとロカもついてきた。
「ベカくんも無事でよかったよ」
「ありがとうございます」
「本当は、私はきみがどうなってもよかったんだけどね。きみが死ぬと、ソラちゃんが悲しむことがわかったから……」
「『わかった?』ロカさん、もしかしてまたなにかしたんですか?」
一瞬、ロカの笑みが悪魔のものように見えた。
「実はね、ソラちゃんがきみのことどう思ってるのか気になちゃって……ちょっときみを死んだことにしたんだ」
「それちょっと不謹慎すぎません?」
「私の予想では、ソラちゃんはきみに興味なんてないから、『あっそう』で終わると思ったんだよ。実際に、ソラちゃんにきみの死を伝えたときも『そうなんですか』の一言だけだったんだけど、一人になった瞬間、大泣きしてね。こっそりのぞいたんだけど、ソラちゃんきみの遺体に抱きついて泣いてたんだよ……ほんと感動したんだ! 涙を流すソラちゃんは本当に可愛かった!」
「ちょっとなにやってるんですか? 俺に失礼ですよ」
「じゃあ、これは冗談ってことで」
「本当ですか?」
「そういうこと」
長い竜舎の廊下を進み、ベカはアーモの部屋に入った。久しぶりのアーモだ。きっとアーモも長いこと会えなくて寂しかっただろう。俺の胸に飛び込んでくるに違いない! とベカは想像したが、もちろんそんなことは起きなかった。部屋に入るベカを見た瞬間、アーモはケッとつまらなそうに再び眠りについた。
「だよな……わかってたぜ」
ベカはアーモに近づくと、そっと頭をなでた。体の様々なところに、見たことのない傷痕がたくさん残っている。
「ありがとうな、相棒」
「アーモもちゃんときみのこと心配してたよ」
「コイツがですか?」
「うん、きみが眠っている間はソラちゃんがアーモの散歩をしてたんだけど、毎回窓からきみのようすを見ようとしてたらしいよ」
「アーモがそんなことするはずないですよ」
「そりゃあ……」
ロカは何かを言おうとしたが、「ロカッ! どこにいるんだ!」と外から呼ばれたため、彼女は「サボってるのばれちゃう! じゃあ!」と足早にアーモの部屋をあとにした。
ベカはそっと、アーモを叩いた。閉じていた瞼がゆっくりと持ち上げられ、大きな瞳がクリっとベカの方を向いた。
「久ぶりに飛ぼうぜ」
アーモは気だるそうに起き上がったが、尻尾はよくブンブンと振っていた。
騎座や手綱をとりつけ、ドラゴン用の開閉壁を解放し外に出た。外はすっかりと明るくなっており、雲一つない青空が広がっていた。積もった雪は溶けておらず、平原を白く染めている。日差しは暖かいが風は冷たい。きっと上空は傷がぶり返してしまうほど寒いのだろう。だが飛ばずにはいられない。なんせ、相棒になったのだから。
ベカを乗せたアーモは軽やかに上昇した。養成所の建物がみるみる小さくなっていく。案の定、突き刺さるような鋭い冷たさをはらむ風が吹き付けてきたが、すぐに風は止んだ。
アーモが気流に身を任せて飛行したため、風が弱くなったようだ。
ベカはアーモに騎乗した瞬間から、いつもとなにか違うことに気が付いていたが、その何かが分からなかった。しばらくすると、その何かが、アーモは優しい飛行にあることがわかった。恐らく、病み上がりのベカに配慮してのことだろうか。
アーモが献身的な行動も取ることをベカは初めて知った。アーモが声を出して、なにかを伝えようとした。視線の先は、コースから外れている。普段であればコースを外れ、方向を見失うのを嫌がるベカだが、不思議と別に問題ないだろうという気持ちになれたので、「行ってみよう」とアーモを自由にさせた。
辺りにはなにもない。どこまでも碧い空が広がり、地平線の彼方で白い世界との境界線が見える。今日は天気がいい。
「なにを見せたいんだ?」
アーモは喉を鳴らしてなにかを知らせようとした。すると、何もなかったところに、小さな白い靄が出現した。それは次第に大きくなっていきやがて雲となった。
雲が誕生する瞬間だった。
「これを見せたかったのか。確かに綺麗だな」
みるみる巨大化する雲に飲まれないように、アーモは離れた。ベカは方向感覚を失ってしまい、どちらが散歩コースかわからなくなってしまったが、アーモは無事にコースへと戻った。
「杞憂が多かったんだな」
ベカの言葉を理解したのか、雲を見せることができて満足したのか、もしくはただそうしたかったのか、アーモは喉を鳴らした。
「俺が間違ってたよ。お前は認めてもらいたかったんだよな。俺は変に頑固で不器用だから、無意識にお前を否定していたんだ。でも、やっと俺はお前のことを心から信頼できるようになったんだ。ありがとうな」
ベカは手綱を離すとアーモの背中をなでた。放られた紐は風にふかれて、たなびいている。
地上を確認すると、アーモは川に沿って飛んでいることがわかった。徐々に高度が低くなっている。
「ああ、おれはお前のことはよくわかった。いい雰囲気だして、俺を落とすつもりなんだろ」
川の周りは雪が積もっている。まさに氷漬けの川だ。あんな所に落ちたら、今度こそ死んでしまう。
アーモはベカだけを川に落とすなんてことはしなかった。なんと、アーモ自身が川に飛び込んだのだ。ベカが死にかけた瞬間、アーモは川からすぐに飛びたった。
養成所に戻りアーモを竜舎に入れると、ベカはブルブルと震えながら自室に行った。
寒い。寒すぎる。心臓が止まってしまう。ベカは自室で服を着替えた。
コンコン
「入るよ」とソラが部屋に入ってきた。ベカがちょうど服を脱いだときだった。
「え、なにしてるの?」ベカを見たソラは固まった。
「着替えてるんだよ! ノックするのは偉いけど、ちゃんと返事を待ってくれ」
「何で着替えてるの?」
「アーモと散歩に行ったんだ。それだけでわかるだろ?」
「ああ……なるほどね」
「で、なんの用?」
ソラは手紙を渡した。
「アーモの受取人が決まったんだけど、その人がベカに会いたいって親書を送ってきたの」
「受取人か……」
ベカは手紙をじっと見つめた。
「まさか、その人有名な人?」
「私はよく知らないけど、すごい人らしいよ。名前はマンフリートって人らしい」
「マンフリートってあの、マンフリート・ヨハン・ホーウェンハルムか⁉」
「やっぱり知ってるんだ」
「ごめん、ヨハン・ホーウェンハルムは今考えた。でもマンフリートは知っている」
帝国一のドラゴンマスターとして名高いマンフリート。ベカより数歳年上と、若くして敵のドラゴンを何体も撃ち落とし、敵からは『碧い男爵』として恐れられ、皇帝から勲章をもらっていた。あまりの強さから、やつとだけは空中戦はするなと定められ、マンフリートがいるだけで、敵は退散していくような事態もあった。という噂もある。
そんな大物がアーモを受け取る……
ベカはすこし安心した。変なやつに引き取られるよりも、こうした実績がある人のドラゴンになったほうが、死ぬ確率が低いからだ。
「行くんでしょ?」
「ああ、もちろん行ってくる。待ち合わせ場所が帝都の超高級レストランだからな」
「そっちの理由なの?」
ソラはポカンとした。ベカは窓の外にいるロカを見かけた。
「そういえば、さっきロカさんから聞いたんだけど……俺が死んだって聞いて、本当は気を失っている俺に、抱きついて号泣したのって本当?」
「え、ああ、それは私じゃなくて、私のお父さんね」
ソラはにわかに言った。ダラットさんが俺に抱きついて泣いたのか……涙も鼻水もよだれも、全部ダラットのものだったのか……
「俺、もう一回川に飛び込んでこようかな」




