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同時刻——帝国内とある場所
ここでは帝国軍のある秘密がやりとりされていた。
「ニクルさん、やはりベカさんを軍に無理やりでも復帰させようという勢力が、拡大しているみたいですね。報告によると、ネトウ、マスティフ、シーラ、など西部戦線の人間が中心みたいです」
「ネトウか……あの人はどんな手でも使って来るから厄介だな……」
碧眼に金髪、中性的な顔をした、ニクルと呼ばれている男は、腕を組んで考えた。
「ベカさんはもう満身創痍なんだ。なんとしてでも、それを止めよう」
「大変ですッ!」
突然、別の男が大慌ての様子で部屋に入って来た。
「どうしたんだい?」
「ゴリアエテ収容所が何者かに襲撃されました!」
息を切らせて報告する男とは対照的に、ニクルは平然としている。
「単刀直入に聞くね。脱走した囚人の中でもっとも厄介なのは誰?」
「コリバンです。あの【死の魔術師コリバン】がいなくなりました。おそらくヨコキ共和国が手を回したんでしょう」
「それはまずいね……」
場所は戻ってオルダンブルグ飛竜養成所。
ベカが自室で荷物の整理が終わったころには、日が沈みかかっていた。オルダンブルグ飛竜養成所は、帝国の北東にそびえる三大独立峰のちょうど中心に形成された盆地にひっそりと広がっている。窓の外では、大草原の奥にそびえるムサ山とヨセキ山はうっすらと影を残し、二つの山の間に沈む真っ赤な太陽は部屋のなかを静かに染める。
ソラは、ドラゴントレーナーを『最悪な仕事』と言ったが、彼にはそれがまったく理解できず、頭の中に残っていた。ドラゴンを育てることはとても素晴らしくて、名誉ある仕事だ。きっと、彼女の『最悪』は内容がつらいとか、そういうことなのだろう。
じゃあ、悪魔ってどういうことなのだろうか。
ベカがそう考えているときだった。コンコン、と誰かがドアをノックしてきた。
ソラだった。
「早く行くよ。準備が遅い」
二人はドラゴンが生まれる瞬間を目の当たりにするために、病棟へとむかった。
ほんのりと暖かい風が首もとを吹き抜けていく。それと同時に、宿舎の向こうで細かい粒のようなものが舞っている。初めて目にしたものだった。暖かい季節に雪のようなものが舞う様子は実に幻想的だ。
「あの、空でひらひらしてるのはなんだ?」
「カドデの木の花びら」
「カドデの木?」
ソラは「そう」と頷くと、ずんずんと先に進んでしまった。やっぱり素っ気ないな。とベカは思ったが、彼女は病棟ではなく、養成所入り口前の並木道におもむいた。どうやら案内してくれたみたいだ。
薄く桃色がかった花びらを蓄えた木々、それが先ほど見た細かい粒の正体の源だった。
「聞いた話だけど、何十年も昔に、東の果てから来た人がこの木の種を植えたんだって。不思議なことにね、この木はドラゴンが旅立つ時期に花を咲かせるの。だから私は『カドデの木』って呼んでる。ほら、ちょうどあそこで引き渡しが行われている」と並木道の奥を指さした。
そこには、ドラゴンと何人かの影が浮かんでいた。目をすますと、男が泣きながらドラゴンに抱きついていることがわかった。なにかを叫んでいる。
「なんであの人は泣いているんだ?」
「あの人は最近入った職員だからだよ。あなたも最初の別れはああなるよ。でも最初だけ」
ソラは冷たく言い放った。
「そうか? 俺はあんな無様に泣かないと思うし、泣きたくないね」
「あ、っそう」
二人は並木道をあとにした。
ドラゴン専用の病棟前では、ロカが手を振って待っていた。
「ベストなタイミングだよ。ちょうど生まれるみたいなんだ。さ、はやく!」
ロカは早足で部屋に向かった。手にはノートが握られており、それはドラゴンの赤ちゃんの健康状態を記すためのものだろう。
ソラは表情を変えずに、無言のまま、後をピッタリくっついていった。
藁の上に横たえているドラゴンの卵を見たベカは心が躍るような気持ちになった。
差す夕日が、卵だけを照らし、紡錘形上部のひびを浮かび上がらせている。
「変な所にひびがありますが、大丈夫なんですか?」ソラが怪訝そうに質問した。
「うん、これで大丈夫だよ。ひびが入っているところから、頭を出すんだ。そういえば、ソラちゃんも仕事が忙しかったりして、ドラゴンが生まれるのを見たことなかったんだよね」
卵は青い斑点を含んでおり、これはとても珍しい卵なのだとか。
耳を澄ますと、中からカチカチと卵を割ろうとする音がきこえる。
ベカとソラはしゃがんでじっくりと卵のようすをうかがった。
「卵って置いておけばすぐに孵ると思うでしょ?」
「違うんですか?」
ロカが得意そうに「違うんだよね」と言うと同時に、ソラが「そんなわけないじゃん」とつっこんだ。
微笑んだロカは、
「卵はとても繊細で苦労するんだよ。例えば、絶対に水をかけちゃいけないとかね。ドラゴンのひなはね、卵の中でも呼吸しているんだ。そのための空気を卵の殻が取り込んでいるんだけどね、少しでも水がかかると、殻にあいている空気を取り込むための穴が塞がっちゃうんだ。もし水がかかると、中のドラゴンは死んでしまうんだよ。だから湿度の管理もしっかりとしないといけないんだ。低すぎても高すぎてもダメなの。温度も同じだよ。高すぎても低すぎても卵の中のドラゴンは死んでしまうんだ」
「ドラゴンのお母さんはよくそんな器用なことができますよね」
ベカはロカの熱の入った話を聞きながら言った。
「それだけじゃないんだ。ドラゴンは人間わたしたちでも大変な卵の管理しながら、さらに卵を外敵からまもる必要があるんだよ。そっちの方がずっと苦労してそうだよね。ドラゴンに卵に近づくなって言い伝えが残っているのも、そういうわけがあるんだよ。ベカくん、つまりどういうことかわかるかい?」
「つまり……ドラゴンはとても器用みたいな?」
ロカはしゃがんでたまごを撫でると、
「それもあるけど、いのちはすばらしいってことなんだと思う。たとえ嵐の日でも雪の日でも、槍がふろうとも、母ドラゴンはたまごをひたすら守り、ひたすら願うんだ。生まれてきて欲しいとね」
「なるほど、ドラゴンは子どもが生まれてくるようにと願うほど、知能が高いってことですね」
ベカは頷くと、「ちょっと違うかな」とロカは苦笑いした。
ついに卵がもぞもぞと動き始めた。
小さな命が誕生する瞬間だ。
手のひらくらいの大きさをしたドラゴンが、頭のほうから這うようにたまごから出てきた。全身ほとんど毛がなく、翼は折り畳まれていて、目は閉じている。こんな小さなドラゴンが、いずれ大空を舞うようになるなんて……ベカは恍惚となって必死に這うドラゴンを眺めた。
ふと、ソラが視界に入った。眩く宝石をみるような、いや、それよりも輝き価値のあるあるなにかを発見したときの……
このときのソラの表情をベカは生涯二度と忘れることはなかった。
「なんだ、そんな顔もできるんじゃん」
ベカは嫌味ったらしくソラに耳打ちした。
「は? なにそれ」
ソラは怒ったのか、再び無表情に戻り、ロカに「ありがとうございました」と感謝を述べると、部屋を出てしまった。
「え、もうソラちゃん帰っちゃったの? ベカくんなにかした?」ロカがぎろりとベカを睨んだ。
「いいえ、なにもしてませんよ……」
「あ、言い忘れてたけど、私ソラちゃんのこと愛してるから」
「はい? あい?」
あまりにも突然の告白に、ベカは呆気にとられた。
ロカは獣のような眼光を開いて迫った。
「そうだよ。もし、ソラちゃんになにかしたら、きみしぬからね。人として」
とてつもないロカの威圧から、猫に目前で睨まれたネズミのように、ベカは固まってしまった。
なんか、純粋な愛ではなく、とてつもなく歪んだ愛を感じる。ベカは震える手を抑えると、
「あの、ありがとうございました。色々と学べました。大切にドラゴンを育てたいと思います。では、俺も失礼しますね」と足早に宿舎へと戻った。
ドラゴンはそのまま、ロカが診察をしたのち、一週間ほど、病棟にいるらしい。あの人でダイジョブだろうかとベカは思った。
まさかあんなにフレンドリーで優しかった人が、鉄の塊よりも重そうで歪んっでいそうな愛を抱えていたなんて。いや、待て。まだロカの愛が歪んでいると決まったわけではない。ベカは落ち着くために深呼吸をした。