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「じゃあ、世話になったな。いろいろ楽しかった。もう行くよ」


 ベカは荷物を担いだ。養成所の入り口から伸びる道。それを挟む並木は灰色の骸骨のように実も無ければ葉も蓄えていない。


「私のせいで……ごめんね」


 ソラはいまにも泣きそうな顔だった。


「いや、ソラのせいじゃない。気にするな」


 ふとアーモが脳裏を過り、ベカは竜舎の方角を眺めるが、宿舎が壁になっていて、竜舎を見ることはできない。ただその先の空が黒く不気味な雲に覆われているのはよく見えた。きっとアーモは、自分がどうなってしまうのかなんて想像もつかずに、呑気に寝ているのだろうな。アーモのことを思うと、胸が苦しい。


 アーモが殺処分されてしまうこと。オルダンブルグ飛竜養成所から出ていくこと。まったく実感がわかない。

 ダラットと熱湯教官がやってきた。ダラットは「君がいなくなってしまうのは残念だよ」とだけ言い、熱湯教官は「ちゃんとお前が約束を守ることを確認した。お前は殺し合いの方がこの仕事より向いている。そっち関係でなにか見出すんだな。仕事を紹介しようか?」と耳打ちした。


 ベカはそれぞれに「大丈夫です」と小さく返事をすると、踵を返した。するとソラがやってきて、膨らんだ皮の袋を渡してきた。それは思っていた以上に重く、驚いたベカは中身を見ると、


「こんなにいいのか?」

「うん、使わないから。謝罪の気持ちも込めて」

「そうか、じゃあ、ありがたく受け取るよ」


 そう言うと、ベカは養成所をあとにした。



 ベカはニーシュドシュタッドまで徒歩で向かった。雲の向こうにあった日が沈むと、辺りはより一層静かになった。ときおり雲のすきまから顔をだす月の光を頼りに道を行くが、一面の真っ白な雪が轍までも覆ってしまい、なかなか道を見つけることができない。


 光が弱くなったと思うと、月は遠くの山の峰を照らしだす。こんな夜を過去にも一度、過ごしたことがあるような気がしたがよく思い出せない。後ろを振り返ると、白い地面にポツポツと黒い足跡が永遠と続き、足跡の一歩目が見えないように、どんなに過去を遡っても、その暗い記憶は思い当たらない。それはベカにとって、とても自然のことのようで、不思議なことだった。


 月の光によって堕ちた影を見つめながら、ベカは無心になって歩き続けた。

 数時間後、真夜中過ぎのニーシュドシュタッドに到着した。町は青暗い静けさに包まれており、その閑散さにベカは飲み込まれそうになった。町の中心部へと行くと、一軒だけ灯りがついた店を発見した。ベカは寒さと疲労で、体が悲鳴をあげていることに気が付いた。


「やあ、こんな遅い時間に。旅人さんかい? なににする?」


 店に客は何人かちらほらいるが、みな酔いが回っているのか、気持ちよさそうに、机に突っ伏して寝ている。ベカは、グラスを磨くおじさんの正面に座ると、


「この店で一番強いのをください。いつまでやってますか?」


 ソラがくれた皮の袋から、硬貨を何枚か取ると机に置いた。

 おじさんは怪訝な顔をして、「朝まで居ていいよ」とベカの前に小さなグラスを置き、飲み物を注ごうとした。するとベカは「ボトルごと欲しい」と主張した。


「これ相当強いやつだよ。きみ、大丈夫なのかい? 何か相談があるなら、私が聞くよ?」

「ええ、大丈夫です。大丈夫。一人にしてください」

 とベカは、グラスの茶色がかった飲み物をじっと見つめた。

 今はなにも考えたくなかった。だがどうしても、頭にアーモのことが浮かんでしまう。何度も忘れようとしても、浮かんでしまう。あのやんちゃなドラゴンが。


 アーモは殺処分になってしまう。自分のせいだ。自分がアーモを信じなかったからこうなってしまったんだ。

 試験のとき、アーモはヨセキ山に引き返そうとしていた。きっとアーモは、もうこれ以上人形が隠されていないことに気が付いていたのだろう。何かを訴えかけようとしていたのはきっとそれだったのだ。だが、アーモを信じることができず、そのまま人形を探そうとしてしまった。結果、熱湯教官の罠に引っかかってしまったのだ。もし信じていたら、きっとアーモは正規竜になれていた。もしアーモのトレーナーが自分でなくて、他のトレーナーだったら、アーモは正規竜になれていた。


 やんちゃだがいいドラゴンだった。

 グラスの液体に映る瞳は、自責の念が宿っているかのように、赤く揺らめいている。しかたがないのだ。命令に従わなければ、ソラとダラットが殺されてしまう。出ていくしか、選択肢がなかったのだ。以前の力が残っていたら、きっとアーモ、ソラ、ダラットが助かるような行動をすることができたかもしれない。どうしようもないのだ。


 ベカは一晩、自分を責め続けたのだった。






:::::::::::::::::::::::::::






「おいおい、あそこの兄ちゃん、朝からなかなか強いの飲んでるね。大丈夫なのかい?」


 店の常連の男は、席に座ると、ベカを見て言った。ガラス窓から、赤い朝の日差しが差し込んでいるが、ベカは暗闇の中にいた。

 店のおじさんは、ボトルを注ぎながら、横目でベカを見ると、


「ああ、彼は昨日の夜中からいるよ」

「夜中から飲み続けているのか! そりゃあ、すごい。一体何本目なんだ?」

「一杯目だよ」

「は? どういうことだ」

「ありゃ、まだ口をつけてすらいないね。ずっと、グラスを見つめているんだ」

「なんだそりゃ。俺が言えたわけじゃないが、世の中物好きがいるもんだな。それよりよ。知ってるか? この町もついに横断鉄道がひかれるみてえなんだ」

「そうなのかい? 変化が早い時代になってね。ここなんて、数十年前はなにもなかったのに」


 常連の男と店のおじさんが、ベカの横で談笑しているときだった、ドアが勢いよく開かれると、軍服に身を包んだ男が、数人の部下を連れて店内に入ってきた。その瞬間、牧歌的だった店内の雰囲気がガラリと様変わりした。

 店に入り込んできた軍人の圧力に戦慄した店のおじさんは「いらっしゃい、なににします?」と細い声でオーダーを求めた。


「なにもいらん。この店に用はない。用があるのは、あなただ。ベガ・エステ・ヌーベ」


 軍人たちはベカを取り囲んだ。だがベカは気にする様子もなく、ただ、グラスを眺めているだけだった。彼はグラスを置くと、

「なんのようだ?」

「最近ドラゴントレーナーの職を離れたと聞いた。そこで是非ベカ殿に軍に復帰してもらいたく、ここに来た。私はマスティフだ」

「俺が辞めさせられたのは昨日だぞ? いくらなんでも情報が早すぎないか?」

「今は電信がある。魔法に長けた人でなくとも、遠くの人とやりとりができるのだ」


 ベカは大きくため息をついた。


「そういうことじゃないんだけどな……で、俺はどこに飛ばされるんだ?」

「西部戦線の第三方面だ」

「なるほどな。でも、俺にはもう以前の力はないぞ?」

「それは承知の上だ。あなたはまだまだ戦力になると上が判断した」


 今後のことは一切決まっていなかったベカは、この不気味な誘いに魅力を感じていた。でもまた殺し合いをするのか。地獄を覗きにいかないといけないのか。闇を感じるが今は、アーモやオルダンブルグのことをすぐにでも忘れたい。嫌なことを忘れるには、嫌なことで塗り替えてしまうのが一番なのかもしれない。どちらにせよ、それに没頭しないといけないので、オルダンブルグの記憶は意識の外へと追いやることができるだろう。そう思ったベカは、「よしわかった。行こう」と席を立った。


 これはもうどうしようもないことなのだ。迫りくる海の波を止められないように、この一連の出来事を止めることはできない。このまま波に任せて、ふらふらと世界の果てまで行くのも悪くない。


「世話になった。残りは誰かにあげてくれ」とベカは店のおじさんに伝えると、マスティフたちと共に店の外に出た。


 店の外がなにやら騒がしい。


 人々が川のように、一方向へと流れている。マスティフたちも予期していなかった様子で「なにがあった?」と顔を見合わせている。


 ベカたちは流れに逆らうことができず、そのまま開けた広場まで歩くことになった。開けた広場に入ると、山の向こうから大量の黒い煙が上がっているのが見えた。人々は山よりも大きく黒く不気味な煙をそろって見上げている。ベカは背中に悪寒が走った。あの方向には、養成所がある。


「あれは、酷い火事だ。いや、単なる火事じゃないな……」


 隣でマスティフがつぶやいた。

 アーモやソラは大丈夫なのだろうか。あの黒煙の下にいたらと思うと気が気でない。きっとあれは単なる山火事だろう。ベカは自分にそう言い聞かせた。

「ありゃあ、オルダンブルグの養成所だな。なにかあったんだろうな」そう話し合う野次馬たちが、ベカにとっては、知識をひけらかし自慢する苛立たしい人にしか映らなかった。うるさい黙れ。とベカは心の中で叫んだ。


「あそこに行こうなんて、思うなよ。馬車はあの山を越えられないし、徒歩だと時間がかかりすぎる。着くころにはもう、軍のドラゴン隊が先に到着しているだろう。それに、あそこが養成所と決まったわけじゃない」


 ベカから焦りを感じ取ったマスティフは、この場に留めておくために釘を刺した。


「ああ、わかったよ」


 次の瞬間、黒煙を上から覆っていた白い雲に穴が開いた。穴から真っ青な空が一瞬だけ見えた。更に大きいキノコの形状をした黒煙が、雲の穴が開くのと同じ速さで広がっている。

 その雲は、やがて衝撃波となり、ベカたちの元へと響いた。体の芯まで震えるその轟きは、いかに爆発が巨大なのかを思い知らせた。野次馬たちは突然の爆音に驚き、一瞬で騒ぎが伝播した。


「行かないと……」


 ベカは炭のように光を飲み込む煙を見上げながら、自分に言い聞かせるかのように囁いた。

 それを聞き逃さなかったマスティフは「まて、行くなと言っただろ?」とベカを止めようとした。


「あそこは養成所ではない。もし、養成所だとしても、あなたはもう、養成所の職員じゃない。赤の他人だ。いいか、帝国の西方戦線は破綻しかけている。あなたの力が必要なんだ! わざわざ危険を犯してまで行く必要がどこにある!」


 マスティフはベカの腕を掴んだ。


「おい、あれはなんだ!」


 一人の野次馬が、空を指さして叫んだ。ベカやマスティフを含め、皆空を見た。山の向こうから、翼を広げたドラゴンの黒いシルエットがそこにあった。そのシルエットは、少しずつ大きくなっている。この町に接近しているのだと、誰しもが理解した。


「ありゃあ、敵国のドラゴンだ!」


 誰かの号令とともに、広場にいた人々は蜘蛛の子を散らすように、方々へとかけ逃げた。


「あのドラゴンがあの爆発を起こしたんだ!」などと逃げ惑う人々がいる中、マスティフは固まって「帝国が攻め入られるなどありえない」と拳を震わせると、

「帝国が攻め入られることなど断じてない! だが、我々も一度引くぞ!」と権幕し、部下たちに命令をだした。


 部下たちも退散しはじめ、マスティフも広場を離れようとしたが、ベカだけは何事も起こっていなかったかのように、平然と空を見つめ立ち尽くしていた。そうしている間にも、黒い影がみるみる近づいてきている。


「どうした? 早く行くぞ!」マスティフは声をかけたが、ベカには届いていなかった。

「知ってるぞ」

「なにをだ?」

「あの羽の形知ってるぞ」逃げ狂う人たちがいる中、唯一ベカだけ、その大きな影を待っていた。


 段々と見えてきた。深い青をした体、黒い宝石のように輝く純粋な瞳、それに反して今にも悪さをしそうな飛び方。間違いない。あれは、アーモだ。



「アーモ!」


 嗅覚か、視覚かあるいは魔法か、判断することはできないが、アーモは空の上からベカを見つけ出し、一直線に向かってきているようすだった。接近するドラゴンとベカの反応から察したマスティフは「おい、今すぐここを離れるぞ」と声をかけるもその声はベカには届きそうになかった。


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