23
「だめ、やりなおし」
「え、なんで?」
「藁の量が足りてない。ベカだって硬いベッドよりフカフカのベッドの方がいいでしょ? 寝つきがよくなったら、アーモの機嫌もよくなると思うし。前々からおもってたんだけど、なんでもかんでも大雑把すぎ。はい、藁運んできて」
夕方頃、ソラとベカは竜舎にいた。アーモは外でつなぎ止めている。日に日に、暑さが和らいできている。アーモはのんびりと、どこか遠い秋の夕暮れを眺めていた。
二人は寝床の藁を入れ替えていた。
ドヴォルザークの一件からソラは変わった。以前は、ベカと最低限のやりとりしかせず、青い氷のように冷たかった。ベカがミスをし、間違った解釈をしても、ソラは叱責もしなれば助言もしなかった。しかし、今は違った。ソラが身の周りに築いていた氷の壁、彼女の心のあつさによって、溶けたのだ。
彼女のひんやりと透き通る声や、性格が変化したわけではない。変わったのは態度だ。ソラはベカに対して積極的に口出しをするようになったのだ。ベカがどんなに丁寧に仕事を遂行したつもりでも、ソラは必ず改善点を述べ、それがなされるまで、永遠に作業を続けさた。
まるで、口うるさい母親だ。とベカは思ったが、嫌な気はしなかった。今の彼女はその赤い髪と瞳とよく似合っている。
ベカはソラの指示どおりに藁を運んだ。アーモは他のドラゴンと比べ、藁を変えるペースが早い。藁の上によく糞をするからだ。最初は多めに藁を敷いていたが、慣れてくるのと同時に面倒になり、無意識に藁の量が減っていたのだった。
数日前まで、倉庫に藁はあまり残っていなかったが、びっしりと積まれた藁を見てベカは驚いた。
「アーモは優秀なドラゴンなの。でも信頼関係がないから試験合格は絶望的なの。じゃあ、どうやって信頼関係をつくるか。それは訓練じゃなくて、普段の日常でつくるのよ」
「ようするに、普段は徹底的にアーモに媚びへつらうってことだろ?」
「まあ、そういうこと。あと、褒めること。絶対に感情的に怒っちゃダメ」
より情熱的になったソラを受けて、ベカはあることを心に決めた。アーモと信頼関係をつくる。そのために、容易に叱らない。徹底的にアーモのストレスを減らす。楽園送りにさせないために。
ベカはアーモの歯を磨いていた。口の中に異物を押し込められるのが嫌いなアーモは、口を開けようとしない。強引に口を開かせたとしても、すぐに口を閉じてしまうので磨けるのは浅いところだけ。
おかげでアーモが大あくびをすると、鼻が折れてしまいそうなほど臭い風が吹く。せっかくの立派な牙も茶色く汚れている。
「頼むから口を開けてくれよ……アーモお願いだよ……」
ベカは大きなドラゴン用の歯ブラシを持ったまま立ちすくんだ。アーモはそっぽを向いている。
見かねたソラは、「ちょっとさがって」と言うと、アーモの顎の下を撫で始めた。
「おいおい、いくらソラでも、この頑固大王アーモ様の歯は磨けないと思うぜ」
アーモはフンと鼻息で答えた。
だが、すぐに気持ちよさそうにアーモは目を細めた。やがて仰向けになった。ソラはそのままお腹を撫でたりマッサージをした。アーモはとても気持ちよさそうにリラックスし、やがて口を開けたまま寝てしまった。
「うそだろアーモ」
「これだったら磨けるでしょ」
「すげえな……さすがだぜ」
ベカは歯ブラシを突っ込んだ。
「あ、だめ。そんな強引じゃ。もっと優しく」
「それじゃあ、汚れが取れないだろ?」
「違う、優しく細かく回数を重ねるの。そうすれば落ちる」
歯磨きを終わったころには、歯ブラシは真っ黒になり、異臭を放っていた。
「ソラって器用だな。羨ましいよ」
二人は鼻を抑えながら、腹を出して寝ているアーモを残して竜舎を出た。
日がすすむごとに暑さはますます薄れ、肌寒い風がときたま吹くようになった。
訓練では極力、怒らずに誉める。それ以外ではアーモのストレス要因を排除するために、気を遣う。
少しでも気が緩んでいると、ソラが飛んできてやり直しをさせる。たとえ雨がふろうが槍がふろうがお構いなし。何度もやらされる。ベカは段々アーモの下僕をやっているような気がした。ソラ曰く、ドラゴンの世話をすることは本来こういうことらしい。
この日は、竜舎で掃除のやり直しをソラに指示された。外は真っ暗でとっくに夕食時だが、飯には当分ありつけそうにない。
「私、部屋に戻るから。ちゃんと掃除が終わったら用具片付けてね」
ソラは使っていたホウキを片付けると部屋を出た。アーモは餌を食べた直後で、藁の上で丸まって寝ている。
「早く終わらせないと、食堂がしまっちゃうよ」
腹がへった。肉が食べたい。ベカは手早く掃除を終え、用具を片付けた。寝ているアーモの頭を撫で、「じゃあ、また明日な」と言ってから明かりを消し、部屋を出ようした。
だが扉が開かなかった。
「え……なんで」
力いっぱい押しても引いても、扉は動かない。どうやら外から鍵を閉められているようだ。
当然、中から鍵を開けることはできない。最後に部屋を出たのはソラだ。
「ソラあああッ! 俺を閉じ込めやがったああ!」
ベカは強く扉を叩いた。
「おい! ソラッ! そこにいるんだろ? 開けてくれ!」
ベカは耳をすました。だが聞こえてくるのは、アーモの寝息と隣の部屋にいるドラゴンが藁の上で動く音だけだった。
「開けないと、魔法で扉をぶっ放すぞ。いいのか? やっちゃっていいのか? 俺はやるときはやる男だぞ。本当にやるからな? 俺の魔法は本当に強力だぞ?」
懸命になって扉におどしをかけるが、やはり反応はなかった。竜舎にいるのはベカだけのようだ。
「今夜はドラゴンと二人っきり? おいおいまじかよ。美少女と馬小屋に閉じ込められるほうがよかったよ」
大きな影が、迫っているのを感じた。ベカは明かりをつけると、アーモが嬉しそうに尻尾を振りながら近づいてきていた。その姿はまるで、子供が楽しそうなオモチャを見つけたときのような反応だった。
舌でベカの顔をべロリとなめた。
「やめろ……お前は寝てろ」
ベカは辺りを見た。
正面の出入り口は閉まっている。だが、ドラゴン専用の出入り口である、開閉壁からなら外に出ることができる。
部屋の角に歯車の一部が露出している。歯車にはチェーンが巻かれており、一定の方向に回すと壁が開き、反対に回せば壁が閉じる仕組みとなっているのだ。
問題が一つあった。
竜舎から出ることはできるが、開閉壁は内側からしか操作することができないので、開けっ放しになってしまうのだ。一度外に出てから、魔法で操るという手も思いついただ、残念ながらベカはそんな器用な魔法は使えなかった。流石に、長時間も竜舎から離れることはできないし、もし他の職員にばれたら大目玉をくらう。
「だめか」
おそらくもう食堂も閉まっている時間だろう。外に出られても、アーモから目を離すわけにはいかない。
今日の夜はここで過ごそう。
幸い掃除を終えたばかりなので、部屋は綺麗だし糞も落ちていない。
「やることもないし、もう寝るか。アーモ、俺も寝かしてくれ」
ベカは藁の上に寝そべった。すこしチクチクとするが、入れ替えたばかりの藁は柔らかく、暖かくて、香りも落ち着く。これだったらしっかりと眠りにつけるだろう。とベカは人心地ついたが、それがいやだったのか、アーモの尻尾がベカを藁からはたきおとした。
もう一度ベカは藁の上に寝転んだ。アーモはすぐにベカを藁の山からおいやった。
「こんなかたい床で寝ろってか?」
アーモは目を閉じて寝ているふりをしている。頭にきたベカは、アーモのすぐ隣にダイブして藁の山に突っ込んだ。
次の瞬間、アーモが翼を勢いよく広げてベカを吹き飛ばした。
「わかったよ。床で寝るよ。今まで俺がサボって藁を薄くしてきた仕打ちなんだろ?」
ベカはかたい床で眠ろうとした。だが、眠れなかった。
「寒ッ!」とすぐにベカは起き上がった。
夏がすぎ、秋もすぎようとしている。日が落ちるとすっかり寒くなる。
竜舎はまだ壁が厚く、保温に優れている。だが、この寒さは異常だ。冷たい風が吹き付けるかのような寒さだ。
壁を見てみると、穴が開いていた。どうやらそこから外の冷風が漏れているようだった。その穴に、ベカは見覚えがあった。
アーモがまだ小さい頃だった。ベカはソラの虐待を目撃してしまい、そのことで頭が一杯になり、アーモに夜ご飯を与えるのを忘れてしまったことがあった。腹を空かし怒ったアーモは、訓練で失敗していたブレスを習得し、火を吹いた。壁に火がついてしまい、消火した後も穴が開いてしまったのだった。木材で穴を埋めたが、強度が十分ではなかったらしく、再び穴が開いてしまったのだ。確かに、面倒でてきとうに作業した覚えがあった。
こんな凍えるようなすきま風がながれこんでくる部屋でアーモは昨年の冬をこしたのか。
そりゃあ、自分に不満を覚えるのも無理はない。アーモは小さく丸まって寝ている。きっと寒いのだろう。
「ちょっと寒いけど、我慢してくれ」
寝ているアーモに言うと、ベカはチェーンを引いて開閉壁を開けた。アーモが部屋から出ないように、慎重に横目で扉の開いた竜舎を見つつ、ベカは倉庫に行った。荷車に資材と用具を乗せ、すぐにアーモの所に戻った。相変わらず丸まっている。
「ちょっとうるさいけど我慢してくれよ」
夜なので、右腕が無意識に痙攣するが、ベカは不器用ながらも時間をかけて壁の穴をふさいだ。より強固に、二度と穴があかないほど頑丈に、壁をつくろうとした。
トントンと木槌がたたく音は当分続いた。
ああでもない。こうでもない。とベカは試行錯誤する。アーモに申し訳ないと思う部分もあったが、ただこの壁を直してやりたい。という気持ちも強かった。だからアーモと信頼関係をつくりたい。という、裏腹もそこにはない。閉じ込めたソラへの恨みもなかった。むしろ、よくこんなことに気づかせてくれたと、感謝ほどではないが、ありがたいと感じていた。
「できた」
ベカは木槌をおいた。寒さも忘れ作業に集中していたのであっという間に感じたが、実際は真夜中を超過し、日が昇る手前の時間だった。
アーモは相変わらず、丸まって目を閉じている。
集中が解けると、どっと疲れが湧いてきた。ベカは用具や余った資材をそのままにして、かたい床の上で眠りに落ちた。そんなベカにゆっくりと影が近づいた。
ベカが寝てからすぐに、山の間の空が白みはじめた。
天窓から光が差しはじめる。
「え、うそ……やっぱり」
という悲鳴にちかい声で、ベカはすぐに目覚めさせられた。
朝日に目を細めながら、鍵のかかっていた扉を見た。そこにはソラが血の気が引いた表情で立っていた。
「ごめん、うっかり鍵をかけちゃったみたい」
「なんだ……わざとじゃないのか」
眠そうに弱弱しい声でベカは言った。
「うん……もしかしてとは思ったんだけど……今度、一つだけいうこと聞くから許して」
「ああ、いいぞ。じゃあ、寝かしてくれ」
「だめ、それは『今』。私は『今度』って言った」
「なんだよそれ。てか、『もしかして』って思ったんだったら確認しに戻ってこいよ」
ベカは眠気をこらえるため、ぐっと手を組んで伸ばした。コンとかたいなにかに手があたった。アーモだった。いつもだったら、この時間は飛び跳ねて餌を求めるのに、今日はよく寝ている。
「ぐっすり寝ていやがる」
ベカは立ち上がろうとして、自分が藁の上で寝ていたことに気が付いた。
「あれ、床で寝たきがしたんだが? マヌケだなアーモ。俺が藁の上で寝ているのに気づかないなんて」
ベカは鼻で笑った。
「てか、なんでこんなに部屋が散らかってるの?」
ソラの一言に、背筋がゾクッとしたベカだった。




