20
夜、外は珍しく雨が降っている。いつものようにパラパラと小粒が降っているわけではない。一粒一粒はとても大きく、隙間なくふるさまは、さながら滝のようだった。
宿舎は竜舎と比べて、とても安普請なつくりとなっている。壁がベニヤ板なみに薄く、音をよく通すため、雨水が地面や屋根に叩きつけられる轟音が真っ直ぐ部屋に響く。こんな騒音のなかじゃ、とても寝れたものじゃない。
ベカは布団を被り、耳を塞ぎながら必死になって眠りにつこうとしていた。
外だけじゃない。雨音に混じって、人の声が聞こえてくる。
どうやら廊下も騒がしいみたいだ。
このままベッドで丸まっていても、うるさくてねれやしない。ベカはそっとドアを開けて廊下を覗くと、ソラがとてつもない勢いで、目の前を通り過ぎた。
こんな真夜中に、廊下を全力疾走? 一体なにかあったのか?
廊下には水が溜まったバケツがほうぼうに置いてある。この建物は、音漏れだけでなく雨漏りもするのだ。
「あれ、ベカくん、起こしちゃった?」
廊下にはロカがいた。
「いえ、外がうるさくて寝れてませんでしたよ。それより、ロカさんソラになにかしたんですか?」
「それがね……
ロカの言葉をきいた瞬間、ベカはソラの後を追おうとした。
「まって、いまはそっとしたほうが……」とロカがベカの腕をつかんで止めようとした。
「ええ、そっとしておきますよ」ベカはそっと手をほどくと、廊下のバケツを蹴らないよう、慎重に足を選びながらソラのあとを目指した。
外は激烈な雨のせいで、三歩先すら見えなかったが、ソラがどこにいったのかは明白だ。ベカは濡れるのを構わずに、一直線で古竜舎へと向かった。外は暗い。こんなとき、自分の感情とは無関係に手が痙攣をおこす。
古竜舎は一部屋だけドアが開いており、ロウソクが灯す橙色の明かりが暗い廊下にさしている。足音を立てないようにベカはこっそりと中を見た。体が傷だらけのドラゴン、ドヴォルザークと、その前に座り込むソラの背中がある。雨で濡れた服は彼女の下着はおろか、小麦色の肌まで透けさせていた。だがベカの視線はその先のドラゴンにあった。
ドヴォルザークは呼吸をしていない。死んでしまったのだ。
静かに鼻をすすりる音がときたまきこえてくる。そのとき必ず背中をビクっとさせる。
「ほんと、最悪だよね」
ソラは独り言をしたのではなく、ベカに言っているようだった。いつものような透き通る声ではなく、どこか声に夾雑物が混ざっていた。
「そうだな……」
ベカは隠れるのをやめ、ソラの後ろで静かに立ちすくみ、動かないドヴォルザークと、ソラの背中を眺めた。きっとこれでも、ソラは我慢している方なのだろう。
「なんのために私たちがドラゴンを育てているのか知ってる?」
激しい雨音のせいで、音が薄まるのだろうか、雨音をくぐってきたソラの声はとても弱弱しくきこえた。
「……」
ベカは答えることができなかった。なにも言うことができない。だが幸い外は雨だ。二人の隙間を雨音が埋めてくれる。
「……」
「……」
「戦争にいかせるためだよ。人やドラゴンと、殺しあうためだよ」
「そうだな……」
「……」
「……」
「みんな、勝手なんだよ」
「……」
「……」
「ああ……そうだな」
「アーモが次の試験落ちたら楽園送りになるって言ったけど、【楽園送り】ってどういう意味かわかる?」
ソラのはなをすする音以外、話を邪魔することはなにものにもできない。ベカも極力話そうとはしなかった。
「いや」
ベカはわざと嘘をついた。その瞳は悲しさで震えるソラの小さな背中を捉えている。
「アーモは試験に落ちたら処分されるんだよ。無能だと決めつけられたドラゴンは殺されるんだよ」
「そうなのか」
「ほんと……私たちは悪魔なんだ……なにも悪くないドラゴンを地獄に送るためだけに育てる悪魔なんだよッ——————!」
ソラの悲痛な叫びは、部屋の中で大きく響いた。壁に反射する声が何度もベカへと届いた。視界には小さいソラの背中しか映っていない。その他のものはなにもない。音も消え、世界も消え。ベカは静寂に包まれたソラをただ眺めることしかできなかった。
「私もういや……罪悪感で胸いっぱいなの。もうこの仕事辞めたい……」
ソラの何倍も大きな体をしたドヴォルザークも、生まれたときは、子犬のように小さかったのだろう。アーモほどのやんちゃではないだろうが、きっとときには悪さをし、ソラとはしゃいで遊んだりもしたのだろう。大切に育てられ、鍛え上げられたその体は、戦争で傷つき激戦を渡り、この安息の地にやっと戻ってこれた。だが、その頃にはもう遊ぶ体力は残っていない。あとはただ、命の灯がゆっくりと消えるのを待つだけだったのだ。
動かないドヴォルザークの体。このドラゴンは幸せだったのだろうか。
「ソラと出会えて幸せだったんだろうな」
ベカはポツリと独り言を漏らすも、雨音はなだらかにそれを吸収した。




