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「きみがソラだったのか?」


 事務所の前で待っていたのは、ドラゴンを狩っていそうな巨漢女ではなければ、常に骨肉を片手にもち、歯を磨いたことがなさそうな、下品な女でもなく、先ほど会った、赤髪の女の子だった。

 ベカは驚いた。とてもダラットの子供には見えない。どこをどうとっても、ふつうのかわいい女子にしか見えないのだ。


「さっきもどうもありがとうね。これからよろしく」


 ベカは糞のついていないきれいな手を差し出したが、ソラは「よろしくね」とだけ言うと行ってしまった。


「たしかに、消極的だね。それともやっぱり怒っているのか?」

 

 最初にソラが案内したのは、宿舎だった。二階建ての木造建築で、とにかく廊下が長い。廊下の端から端まで、徒競走ができそうなほどのながさだ。小綺麗でサッパリとしていた窓が多く設置されており、思ったより明るく、風通しもいい。

 ソラは階段をあがり、奥にすすんだ。はしから二番目の部屋の前にくると、


「ここが、あなたの部屋ね」と紹介した。

「ちなみになんだけど、ソラの部屋はどこなの? 一応知っていた方がいいかなって……」

 ニコリともしないソラを脇目で見たベカは「まあ、教えたくないこともあるよね」というと、扉を開けた。中は思ったよりも快適そうだった。窓からは、オルダンブルグの大平原を拝むことができる。帝都のガヤガヤした街並みより何百倍も開放的だ。

「さっさと荷物おいて。はやくいくよ」


 ソラの声はとても透き通っていて、氷のような瑞々しさと、冷たさを伴っていた。

 やっぱり怒っているのか。とベカは思いながら、備え付けのベッドに荷物をおくと、すぐに部屋を出た。そしてソラから鍵を受け取った。


「これ、鍵ね。あと、私の部屋はあなたの隣」

「あ、そうなの。教えてくれてありがとう……」


 まさか、部屋の場所を教えてくれるなんて。しかも、隣だったなんて。

 この様子じゃ、説明も一切してくれないし、相手にもしてくれないだろうと、予想していたが、じっさいは丁寧にわかりやすく施設の説明をしてくれ、くだらない質問にもそれなりに答えてくれた。ソラは無愛想にみえるが、思ったよりも優しくて、しっかりとした子なのかもしれない。きっと陰で説明する練習でもしたのかな。と思うほど説明が上手だったのだ。


 オルダンブルグ飛竜養成所は、帝国内でも屈指の規模をほこる養成所で、ドラゴンの育成だけでなく、退役したドラゴンの受け入れもおこなっていた。

 宿舎から一番離れたところに、【古竜舎】とよばれる、退役したドラゴンが余生をゆっくりと過ごす建物があった。ソラ曰く、ベカの仕事はドラゴンを育てることなので、古竜舎にくることは当分ないみたいだ。時間がなかったので、中にはいることはできなかった。古竜舎は安普請な造りで、ドラゴンが暴れようならすぐにつぶれてしまいそうだが、これまたソラによると、退役したドラゴンはみんな大人しいので、暴れる心配はないらしい。


 古竜舎の隣には、ドラゴン専用の病棟があった。

 外見は頑丈そうに見え、三階建ての規模が大きい施設だった。ここはどうやら国内でもトップレベルのドラゴン専用の病院らしく、たまに貴族の愛竜がここに送られてくるらしい。


 人間も見てくれるのか、とソラにきくと、「人間はみてくれない、ドラゴン専用」とのことだった。

 最後に案内された、お待ちかねの、ドラゴンがいる長屋【竜舎】だった。といっても、普通の長屋ではない。とても頑丈に作られていて、とにかく長い。ちょっとした城のはしっこからはしっこまではある長さだ。


 ドラゴンの鼻息や寝息、うなり声などの生きている証が、建物から伝播している。

 胸のうちに秘めていた憧憬の光が、建物からもれている錯覚に陥った。夜、虫が光に吸い寄せられるように、ベカも光を辿って竜舎の方へと向かう。

 前を歩くソラを追い抜き、竜舎に入ろうとしたのだ。

 いや、彼女が見ているし、勝手に入るのはよくないだろう。ベカは理性を取り戻し、扉のまえでソラを待った。


 そっと表情をみたが、ベカが自分勝手な行動をしたことに怒っているのか、そんなことすら興味がないのか、さっぱりわからなかった。彼女は無表情だったのだ。


 ソラがなにかを差し出してきた。竜舎の鍵だ。


「竜舎は常に鍵がかかっていて、ひとり一つ持ってるの。これはあなたの。絶対に失くさないでね」

「おお! ありがとう! 入っていいか!」

「どうぞ」


 鍵を開けると、ベカはスキップをするかのような軽やかな足取りで、竜舎に飛び込んだ。

 すぐに目に入ったのは、どこまでもつづくながい通路と、区切られた空間の端っこで、丸くなって寝ているドラゴンだった。

 ああ、あれが、憧れていたドラゴンなんだ。天窓から照らす日の光が、ドラゴンの神々しさを浮かびあがらせており、真っ黒な鱗が照り映える光がとても眩しい。

 ベカはドラゴンを見つめ、うっとりとした。

 興奮から、部屋を区切る格子に頭を埋めて真っ黒なドラゴンに見入っていると、


「そんなにドラゴンが好きなの?」とソラが言った。

「もちろんだ。男だったら、一度はドラゴンに憧れたことがあると思うぞ。全部がカッコいいんだ。形も色も動きも、鳴き声も。まさに空の王さ、戦争の主役さ」


 彼の憧れは地底湖の水のように純粋で透明なものだった。ドラゴンを好きになるような特別な事件があったわけではない。地底湖の水が長い年月をかけて落葉層と石灰石層によってろ過され湧き出るように、憧れも少しずつ、ろ過されながら溜まっていったのだ。


「じゃあ、なんでドラゴンマスターにならなかったの?」


 ソラは無表情で、何を考えているかわからなかったが、彼女の言わんとしていることだけはよくわかった。ドラゴンマスターは竜を操り、空の戦場を駆け抜ける兵士のことだ。現在の戦争において、もっとも強力な戦力で、帝国のドラゴンマスターはもっとも憧れられ、同時にもっとも敵に恐れられている存在だ。

 なぜ、ドラゴンにこれほど憧れを抱いているのに、ドラゴンマスターというカッコイイ戦場の主役となる役職ではなく、トレーナーという地味な仕事を選んだのか? という疑問はとても自然なことだ。


「俺はドラゴンマスターにならなかったんじゃない。なれなかったんだ。あ、でも別に俺は落ちこぼれだったわけじゃないよ。俺の兵としての成績はそれなりに優秀だったんだぞ。ただ、適正がなかっただけなんだ」

「あなた、元兵士だったの?」


 ソラは突然立ち止まると、さきほどまでの冷たさに、憎しみもはらんだような、とげとげしい声でベカに尋ねた。


「そうだけど……それがどうかしたのか?」

「いや、別にたいしたことじゃないけど、私はこの世で最も兵士が嫌いなだけ」


 兵士が嫌いということは、元兵士の俺も嫌いということか。まさか会って初日に嫌い宣言されるとは。そりゃあ、確かにドラゴンのうんこをぶちまけてしまったけど、糞が体にかかったのは自分一人だ。それで兵士が嫌いだという話は少し理解できない。とベカは動揺したが、たじろぎを隠すために、先に進むソラにしゃべりかけた。


「まあ、あれだ。ドラゴンマスターは遠距離攻撃が主体なんだ。当然、遠距離魔法の実力が必要になる。でも俺はそれが一切つかえないんだ。ただどうしても憧れを捨てられなくてね。兵士をやめてここにきたんだ」

 

 彼女は止まることなく、どんどん先に進む。その間にベカは何体ものドラゴンを眺めた。

 傷のないレアなドラゴンが多いな。声や動作に出すことはなかったが、心臓が大きく鼓動しているのを感じながら興奮していた。

 ソラはなにも話さなくなってしまった。元兵士であることをきいてから、彼女は露骨に態度が変わったのだった。途中、外へと通じる扉はいくつかあったが、奥に行けばいくほど、宿舎から離れていくので、区画の奥にいくのは少し面倒だ。

 ハエが目のまえを横切る。それを視線で追っていると、その先から強烈な糞のにおいが鼻を刺した。この臭いをかぐのは二回目だ。ベカはすぐに自分の鼻をつまんだ。この悪臭にはもう飽き飽きとしている。どこかの部屋でドラゴンの糞が放置されているみたいだ。誰かが部屋の掃除をサボったのだろうか。


 ようやく、一番奥の出口に到着したが、ソラは扉をあけようとはせず、立ち止まった。

 ベカは鼻から手をはなすと、「やっぱりこの仕事って大変なのか?」とたずねた。


「どうだろうね、少なくともいえることは、もし私が辞められるなら、今すぐにでも、こんな最悪な、悪魔みたいな仕事なんて辞めたいよ……けど、あなたは元兵士だから向いてそうだね」

「さいあく?」


 ソラの温度のない回答に、ベカは自分が否定されたような気がして、すこしむっときた。

「さっきから思ったんだけど、君って情熱がこもっていそうな赤い髪と瞳をしているのに、氷のような性格をしているんだね。まあ、俺は大好きだよ、そういう、見た目と中身にギャップがあるやつ」


 竜舎の外に出ると、一人の女性が机でなにやら作業をしていた。年は自分より上だろう。フレンドリーなお姉さん。といった感じがする。そのお姉さんはベカに気づくや否や、すぐに笑みを浮かべて近づいてきた。


「あれ、きみが新人の子? 私はロカ、よろしくね!」


 ロカは握手と手をさしだした。

 初めてこの施設で心から打ち解けることができそうな人と会った気がした。


「ベカです! よろしくお願いします!」


 握手した手を振るとベカは「いまは、なにをしているんですか?」と作業場を覗き込んだ。


「ドラゴンの体調チェックをしていてね、報告書をここで作っているんだよ。私は見習いの竜医なんだ」

「報告書ですか。大変そうですね」

「なに言ってるの! ベカくんも明日から報告書かくんだから!」


 マジか。めんどうそう! と思ったが口にはしなかった。


「そうだ、ベカくん、きみはとてもラッキーだよ」

「ラッキーですか?」

「もうすぐ、ドラゴンが卵からかえるみたいなんだ。それも、初めてきみが育てる相棒さ。こんな偶然、聞いたことないよ」

「それ、すごいですね!」

「うん、今日の夕方頃、病棟においで、ドラゴン誕生の瞬間を見せてあげるから! もちろん、ソラちゃんもおいで」


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