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 アーモの背中に乗って飛行していると、自然の変化をより鋭敏に気づくことができる。緑に覆われていたオルダンブルグの平原が、段々と麦色に覆われ始め、隣を飛んでいた渡り鳥も徐々に見なくなった。上空を流れる風冷たくなり、散歩(飛行しているので『散飛』の方が正確かもしれない)のときには外套が不可欠になった。


 正規竜になるための訓練は順調に進んでいる。アーモはだめだめなドラゴンだが、能力は持っており、やればできるドラゴンだ。たなびく外套を聞きながら、ベカはそっと小麦色に覆われているオルダンブルグの平原を見下ろすと、養成所の建物が整然と一か所にまとめられていた。その一角にある建物の前で、なにか大きいものが動いている。  


 手綱を操ってアーモを降下させると、そのなにかはドラゴンで、建物は古竜舎だということがわかった。見たことのあるドラゴンだった。以前、ソラに虐待を受けていたドヴォルザークというドラゴンだ。あのドラゴンを外で見るのは初めてだ。ドヴォルザークは古竜舎で暮らす老竜だ。そういったドラゴンのほとんどは戦力にならないほど老いて、外を飛び回る元気もないため、古竜舎に一日中いる。だから外で見かけるのはとても珍しいことなのだ。


 ベカは手綱を引いて、散歩の航路に戻そうとしたが、アーモは反対にドヴォルザークのいる古竜舎に向かって急降下しはじめた。こういう暴走がなかったら、アーモは素晴らしいドラゴンなのにな。とベカは思った。

 ドヴォルザークの面倒を見ていたのはロカだった。ロカは降りてくるアーモとベカに気づくと、


「あれ、ベカくんどうしたの?」

「アーモが勝手に降りちゃって……どうやらドヴォルザークに興味があるみたいです。ロカさんはなにをやってるんですか?」

 アーモは着陸すると、ドヴォルザークのにおいを嗅ごうと、鼻をクンクンときかせ始めた。

「この子の体調を診察しているんだよ。いつもは古竜舎の中でやっているんだけどね、たまには外もいいかなって思ってやっているんだよ。それより、ソラちゃんに変なことしてない? この前もソラちゃんのパンツ盗んでたよね?」

「はい? あれ盗んだのロカさんでしたよね? 変に俺の記憶を改ざんさせようとするのやめてくださいよ」

「ああ、そう。もしソラちゃんに変なことしたら、ちゃんと報告するんだよ?」

「わかりました」


 ドヴォルザークはアーモよりも一回り体が大きい。岩のような暗く硬い鱗に包まれたさまは、戦いのためだけに生まれてきたことを物語っているかのようだ。だが、瞳からどう猛さや勇ましさは完全に抜けてしまい、変わりに虚ろな優しさが漂っている。その体のあちこちには、深い傷痕が残っている。翼は所々に大小な穴が開いており、もう自分自身の体すら空へと運ぶことすらできないことは容易に想像できた。それらの傷をみたベカは、ソラの所業を思い出した。


「あの、なんでロカさんはそんなにソラのことが好きなんですか?」

「まあ、可愛いからでしょ」

「見た目がですか?」

「そうだけど、もちろん中身もね。私はソラちゃんの足の先から、頭のてっぺんまで。心の中も、全てを愛しているの!」

「そうですか……」ベカはわざとらしく、ドヴォルザークの傷痕を眺めると続けて、

「このドラゴン、傷だらけでなんか痛々しいですよね」

「そうね。どれだけ激しい戦いだったのか、私には想像すらできない酷さだよ」

「これ、戦争で負った傷だったんですか! てっきりソラが鞭を打って負わせた傷かと思いましたよ」


 ベカは鼻で笑いながらふざけた調子で言ったが、その目には真剣さが宿っている。


「鞭ごときじゃ、ドヴォルザークを傷つけることなんてできやしないよ。むしろ鞭が跳ね返って、打った本人が怪我しちゃうよ!」とベカの言葉を冗談と受け取ったロカも笑った。

「でも、ソラだったらやりそうじゃないですか?」

「どうだろうね。ソラちゃんはすごく優しいから。むしろ優しすぎるよ。あの子は」


 アーモはそっとドヴォルザークに近づき、臭いを再び嗅ごうとしると、ドヴォルザークがひょいと顔を上げた。突然動いたドヴォルザークに驚いたアーモはぴくっと飛び跳ね、二、三歩後ずさりをした。その様子を微笑みながらも、僅かに陰鬱さと懐かしさを含んだ瞳で、ロカは眺めている。


「ベカくんも、そのうち絶対にアーモと別れないといけないことになっているけど、別れるのは嫌?」

「いや、そうでもないですね」と流れるように答えた。

「そうなんだ。じゃあ、大丈夫だね。新人のトレーナーはさ、自分が育てたドランゴンが大好きだから、別れるのをすごい嫌がるんだよね。それでみんな、別れたドラゴンが元気な姿で養成所に戻ってくるのをずっと待つんだよ。でもね、それが叶うことは無いに等しいんだ。ドラゴンの卒業が永遠の別れも同然ってこと。戦争だから仕方がないんだけどね……育てて深い絆をはぐくんでは別れを永遠と繰り返す。一見、辛い仕事に見えるでしょ?」

「はい……」

「私も最初は辛かった。でも、人間は不思議なことになれてしまうんだ。その辛さに。養成所にいるトレーナーもみんな別れに慣れてしまう。ずいぶんと無機質なものに変容してしまうんだ。私もいまでは悲しさなんて感じないよ。まあ、今はトレーナーやめて竜医見習いやってるけどね。麻痺しちゃうって表現したほうが正しいのかもしれないね。でもね、ソラちゃんだけは違うの。あの子は優しいんだ。生まれてからずっとドラゴンと一緒にいるのに、いまでも別れに慣れず苦しんでいるの。このドヴォルザークはね、ソラちゃんが育ててきたドランゴンの中で唯一生きて戻ってこれた子なの。ソラちゃんはね、別れの寂しさが本当に嫌いなの」


 ロカの話を聞いていて、ベカは心のどこかに柔らかい安堵のような気落ちを抱き始めていた。ソラが冷酷な人ではないという確信が少しずつ掴めてきたからであろう。ソラが虐待している光景を目撃してしまったせいで、以前、彼女は冷酷で非道な人間なのだという印象を持っていた。だが、彼女と過ごす中で、実はそうではないのではないかという気持ちと、冷酷であって欲しくないという気持ちが無意識に湧いていたのだった。


 一つ気になる点がある。では、そんな心優しきソラが、なぜあの暗い雨の日に、ドヴォルザークの老体に鞭を打っていたのだろうか。ソラはドラゴンと別れるのを本気で嫌がっているとロカから聞いた。それから察するに、ソラは別れる寂しさが本当に嫌で、それを少しでも紛らわすために、あえてあのようなことをしたのではないか。理解できるようで、理解できない。女子の心は複雑だな。とベカは思いながら、


「それは初めて知りました。じゃあ、ソラが兵士を嫌うのは、このドランゴンを傷つけたからってこなんですかね」

「それはまた違うよ。ここに来る兵士はいつも態度が悪くて、職員を見下すからね。それに、ソラちゃんは一回ドラゴンを逃がそうとしたのが、知られちゃって、兵士にそのドラゴンを殺されちゃってるからね」

「そんなことがあったんですね。でも、どうしてソラはドラゴンを逃がそうとしたんですか?」

「ああ、そのドラゴンはあまり優秀じゃなくて、試験に落ちそうだったんだ。君は正規竜になれなかったドランゴンがどうなってしまうのか聞いているのかい?」

「楽園送りになるっていうのは知ってますよ。あと、もしアーモが落ちたら、俺もクビになることも」

「楽園送りってなにかわかる?」


 ベカはアーモを眺めた。アーモは再び緩慢とドヴォルザークに近づくと、頭のニオイをクンクンと嗅いだ。一体何をしているのだろうか。


「楽園に送られるってことですから……どこか南の島にでも送られえるんですかね」


 ロカも二体のドラゴンを傍観している。今度はドヴォルザークがアーモの頭のニオイを嗅ぎ始めた。アーモは嗅がれるのを嫌がるだろう。とベカはアーモが頭を避けることを予想したが、それとは反対に、アーモは自ら頭を差し出した。その様は、まるでアーモがドヴォルザークを敬いお辞儀をしているかのようだ。

 ドラゴン同士の不思議な意思疎通を見たロカは、


「残念ながらちがうんだ。『楽園送り』っていうのはね、殺処分を意味するんだよ」


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