零、始まりの夏休み
――四月
僕、目時影光は高校生になった。それから三、四ヵ月、黒歴史やら闇歴史やら何やらを経て、一学期が終わり、夏休みを迎えた。
夏休み一日目――
目覚めて枕元の目覚まし時計を手に取って見る。…もうこんな時間か。遅寝したつもりはないけど、遅起きだ。カーテン越しに強い日差しと蝉の鳴き声が聞こえる部屋の中で上半身を起こした。
ん…?
「おはよう。」
ムッとした顔の鬼無天乃がいた。小学生の頃にうちの隣に引越して来た、幼馴染だ。
「鬼無、なんで僕の部屋にいるんだよ? 」
「どうせ目時が夏休みの宿題を真面目にやらずに適当にすると思ったから、私ん家でやろうと思って。おばさんに言ったら、『勝手に持って行っていいから、宿題ちゃんとするかしっかり監視しておいて』って。」
僕はあくびをした。
「『勝手に持って行っていい』って、僕はモノか…。それで、僕と自宅デートしたい、と。」
頰をつねられた。
「痛い。」
「ち、違うわよ。ば、バカ! お前が毎回宿題、解答冊子を写して提出してるからでしょ! 」
何かあればすぐに手と口が出てくる。
「鬼無は僕のオカンなのか。」
こうして地獄の一週間が始まった。僕は鬼無の家で毎日一日中宿題をやらされた。
「ねえ、目時は何でずっと宿題を丸写ししてるの?」
鬼無が真顔で聞いた。
「めんどくさいから、」
「…」
鬼無はジト目になった。
「めんどくさくはない。僕なりの理由はある。」
「どういう理由よ?」
鬼無はジト目のまま僕に聞いた。
「じゃあ聞く。『をかし』の意味は」
「趣がある」
「教科書に書いてある通りの解答だ。じゃあ次の問題だ。将来鬼無が社会に出て古典で習ったことを使うことはあるのか。」
「それは…(てか何で勉強してないはずの目時が『をかし』の意味知ってるの…?)」
「古典だけじゃない。例えば今この問題で使った『分配法則』。これは将来使うことはあるのか。せいぜい使って『義務教育』の範囲内だ。
教師とか塾講師とか学者とか特殊な職業に就かない限り、高校で習ったことは大人になってほとんど使わない。だから僕は赤点さえ回避できればそれでいい、と思っている。だから僕は宿題をしない。せいぜい役立つのは家庭科ぐらいだ。」
「ふーん…」
鬼無は不思議そうに僕の顔を眺めた。
「でも! やらなきゃいけないことはやらないといけないでしょ!」
「真面目か。僕はいつも通り丸写しで行く。これが僕のルーティンだ。」
僕はサボろうとした。僕はそういう考えなりに毎回宿題を『解答冊子を丸写しする』というスタイルでやってきたのだ。
「真面目に勉強しなさい! 丸写ししてたら先生にバレるわよ!」
サボろうとすると頰か耳をつねられた。
「先生にバレるのは全ての問題を丸写しして丸つけした場合だ。そうすれば問題集の全ての問題が正解、ということになる。
逆を言えば、提出された課題が全問正解してる奴は丸写ししたということが成り立つ。
以上から、たまに間違えた解答をわざと書いてわざと間違えておけば、丸写ししたことはバレない。間違えた解答と正解の比率はテストの結果と同じぐらいにしておけばさらにバレる確率は低くなる。
それに夏休み前の古典教師の発言を聞いていたか。」
「それは…聞いてたけど…」
鬼無が黙りこむ。
「うちのクラスの提出物の提出率があまりにも低すぎるから、提出された問題集の中身を見ないと言っていたことを。
つまり問題集に名前さえ書いて提出すれば、やったことになる。僕は古典においては名前を書く以外、何もしないつもりだ。」
うちのクラスの提出物の提出率はどうなっているんだ。まだ丸写しでも提出している僕はいい方なのではないだろうか。
「屁理屈言わずに真面目にやりなさい!」
また手と口が飛んできた。
なんだかんだで一週間くらいで夏休みの宿題は全て終わった。宿題をするのは嫌だったが、女子と女子の家で二人で宿題をしていたのは嫌、ということではなかった。
さて、戦利品として鬼無が作ってくれた手作りクッキーを持って、最後の一日を終え、徒歩十秒もかからない帰路についた。
「あ、目時さん! 」
僕のもう片方の隣の家から黒い半袖シャツに黒いスカートをはいた黒髪の美少女が現れた。
「どうしたんだ、黒姫? 」
「フッ、違うな。我が名は黒姫! 」
この娘、黒姫は弱冠小学六年生にして、中学二年生が感染すると言われるとある病に冒されている。ちなみに『黒姫』は苗字である。下の名前は確か遥。
「苗字英訳しただけだろ。本日もいつも通りの平常運行か。」
「屁状う○こ? 」
どう聞き間違えたら『平常運行』が『屁状……に……というかそれはどういう意味だよ。ケツの穴から何が出たんだよ。
「僕はそんなこと言ってない。仕方がない、僕が特効薬をやろう。ほれ、鬼無からクッキーもらったから半分くらいやるよ。」
「いいんですか!? 」
「僕は向こうで何枚かもらったから。」
「うーん…どうせなら半分と言わず全部…それと『ほれ、』ってじいさんみたい…」
毎回毎回一言多いやつだ。
「一枚もやらんぞ。」
「もらいます。目時さんが何と言おうがもらいます。」
黒姫は僕が持っていたクッキーが入っている袋をひったくるように、というかモロひったくった。
黒姫は早速袋からクッキーを一枚取り出し、口の中に入れた。
「おいしい! めっちゃおいしい! 」
黒姫は目を輝かせた。
小六だからかまだ症状は軽く、クッキーをやるとこの通りだ。この先この症状がどうなるかは分からんが。
「目が輝いているな。」
「目時さんは目が死んでますね。」
余計なお世話だ。
「お礼として悪魔のみなせる技を目死さんに見せてあげます! 」
いらん。
「目死じゃなくて目時だ。どこの哲学者だ。それとふりがな全部カタカナに統一しろ。」
この小さな悪魔は袋から一枚のクッキーを出した。
「これをお腹のポケットに入れます。」
「おい、なんでそんな所にポケットがあるんだよ。水色の狸型ロボットかカンガルーか。悪魔のファッションセンスどうなってるんだ。」
「目ッ死も白い半袖Tシャツに黒ずんだ青いズボン。で、心がこもってない誰でも演技できそうな棒読み。くたびれた魔王みたいじゃねえっすか。それと『狸型』じゃなくて猫型ですよ。」
どこからつっこめばいいんだ。
「僕はどっからつっこめばいいんだ。」
「適当にどうぞ」
投げた。投げるな。
「そもそも僕はサッカーができない。『黒ずんだ青いズボン』じゃなくて紺色。それに僕が魔王なら、自称悪魔のお前は僕の配下、ということになる。」
僕がこう言っている間にも、この自称悪魔はポケットに直にクッキーを入れてお腹を叩いた。クッキーが割れる音が聞こえた。そりゃまあ聞こえるだろう。
「大丈夫か、頭とクッキー。割れる音がしたぞ。悪魔からラッコにでも進化したか?」
「さて、我が配下の魔王目ッ死ーよ。これでポッケの中のクッキーは二枚になった!」
黒姫はポケットから割れて二つになったクッキーを出してドヤ顔で得意そうに僕に見せつけた。
僕の問いには無視か。ドヤ顔でなんてしょうもないことをやっているんだろうか。仕方ない、またつっこみにまわろう。
「何でお前の設定上魔王の僕がただの悪魔のお前の配下になるんだ。
それに僕は目時だ。どっかの池にいそうなでかいイモリみたいな名前で呼ぶな。」
「失礼、噛みました。てへっ!」
黒姫は舌を出した。可愛い。ロリコンではない僕が可愛いと思うのだから、誰が見ても可愛いのだろう。
「仕方ない。今回は可愛いから許すことにするよ。」
「っしゃ!」
あざとい。かなりあざとい。なんだかんだ言いつつ、僕は退屈しないから、コイツと他愛ないお喋りをしているのが一番好きなのだ。
「そう言えば、どっか行くのか。」
「あ! 忘れてた!? 朋絵と橿原神宮で、死神の話を聞きに行くんでした。」
「朋絵ってお前の友達か。」
黒姫はうなずいた。
「うむ。我が配下…ん? 使い魔? うん、使い魔!」
そして首をかしげた。
「語彙力零か。もうちょっと国語を勉強しろ。日本人だろ。」
「勉強は嫌いです。ちなみに国語が一番の得意科目です。」
「その感性が普通だ。」
「目が死んだ目時さんと同じ感性なのも嫌です。」
心に何かが刺さった。まあ悪魔ごときに僕の精神は殺されない。
「誰が将来ブラック企業のサラリーマンやOLになって『微積分』やら『ハーバー・ボッシュ法』やら『ホイヘンスの原理』を使うと思う。」
「小学生に高校範囲の話は難しいですよ? それにあんまり勉強することを否定すると子育て世代から氷菓してもらえなくなりますよ。」
「漢字間違えてるぞ。」
「わざとです。『わたし、気になりますっ!』」
「ヘタクソなモノマネは置いといて。」
「おいっ! 目時さんも省エネ主義でしょう!? ぴったりでしょうこの誤植!」
「このヘタクソなモノマネは通じるのか。」
「じゃあ! このネタがわかった! って人は満点の氷菓とブックマークをしてください! 我の命令は絶対です!」
「もう自由にしろ。」
「じゃ、賭けをしましょう。私が勝ったら目時さんは私に五十円、目時さんが勝ったら何にもなしで。」
「僕のメリットがない。」
「整いました。」
急展開過ぎる。
「目時さんと掛けて昭和の学校の校長と解く。その心は…話が長い! です!」
「ヘタクソか。昭和の学校の校長の朝礼の話は異常に長いことはネタとして通じるのか。もう令和だぞ。それに話を長くしてるのはお前だ。」
「ヘタクソ発言により傷つきました。慰謝料五十円を請求します。」
「安いな。」
「ケチ! じゃあ我は行くぞ!」
「最後に思い出したようにヤマイを出すな。」
「二人にクッキーあげて家来にしてやろう。」
「お前が持っているのは吉備団子じゃないぞ。」
悪魔はうるさいくらいに蝉が鳴く青空の中、森に向かって走っていった…悪魔が神社に行って大丈夫なのか、という疑問を残して。
「気をつけて行って来いよー。それと家に帰ってポケット洗えよー。」
——こうして緑につつまれた街で僕達の物語が始まった。
さて、今更だが、初回にアオが登場しないのはどうかと思う。読者には語り手を務める僕が主人公だと思われているだろう。次回あたりには出てくるのだろうか。まあ、知ったことないけど…。