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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「キスしたいです」と迫る親友の女の子を殺した少女のお話


「私、東京の大学に進学しようと思っているんです」


 それは高三の春のこと。暖かな陽気に包まれた中、歩き慣れた通学路でのことだった。


「とう、きょう?」


 都会だとは言えず、さりとて田舎というまでもない半端な町に生まれたわたしにとって東京とはテレビの中の世界だった。


 だってわたしにとっての世界はこの半端な町で、だってわたしは玲奈と一緒にいられるものだと思っていて、だって大学に進学するにしても就職するにしても玲奈がそばにいる『日常』が変わるわけがないと思い込んでいたのだから。


「ま、またまたぁ。エイプリルフールはとっくに過ぎたよ、玲奈」


「冗談じゃありませんよ、真琴。私、本気で東京の大学に進学しようと思っているんです」


 どこか遠く感じてしまった。

 現実味がない。物心ついた頃にはずっと一緒だった貴女が、遠い。まるで知らない誰かを見ているよう。


 いつからこんなにも離れてしまったのだろうか。



 ーーー☆ーーー



 家が隣であったのと、互いの両親の仲が良かったこともあってわたしと玲奈は物心ついた時にはいつも一緒に遊んでいた。


 わたしの両親が共働きだったこともあってよく玲奈の家に預けられていた記憶がある。


 小学校にあがる前の記憶は曖昧で、だけどいつだって玲奈といつも一緒だったのは覚えている。というかあの頃の玲奈はわたしとしか遊ぶことはなく、周りの子たちを遠ざけることもあったような……? そのせいか、あの頃のわたしに友達と呼べるのは玲奈だけだった。


 テレビの真似をして『真琴、私と結婚してください』などと玲奈に言われたこともあったっけ。あの時、わたしはなんて答えたんだったかな。


 小学校にあがってからもわたしと玲奈は六年間同じクラスで、仲良しだった。


 だけど。

 その頃から外で遊ぶのが好きなわたしはよく男の子たちと泥だらけになったり、ファッションに興味があった玲奈は同年代の友達が出来たことその女の子たちと洋服屋にお出かけしたりするようになった。


 わたしと違って玲奈は運動が苦手で、玲奈と違ってわたしはファッションに興味がなくて……共通の趣味を持つ友達ができたことで友好の輪が広がったんだ。


 だから、小学校にあがってから『いつも一緒』ではなくなって、だけどわたしの一番は玲奈で、玲奈の一番はわたし……だった、はずだ。前まではそう確信していたけど、今は自信がない。


 中学校にあがってから、ズボラなわたしと違って玲奈はうんと美人になった。元々ファッションに興味があったからか身嗜みは抜群だし、スタイルはモデルさんみたいだし、お胸だって未だぺったんこなわたしとは比べものにならないほどで、こう、うまく言えないけど『女の子っ!!』って感じに成長していた。


 わたしは、まあ、男勝りなのは変わらず、体型だって相応だった、というか今もそんなに変わらない。


 その頃から玲奈は男の子たちの注目の的だった。だから、もう、あれだよ、視線が露骨すぎるっ。そんなにお胸がおっきいのがいいのかって感じ!


 とにかく玲奈はすっごく美人で、だから告白されることも多かった。下駄箱にラブレターが入っていたり、放課後呼び出されたりしていて……もやもやした。そんな玲奈を見ているのが嫌で、だけど告白を断ったと聞いたらすっきりして、あの頃のわたしは一番の親友がわたしの一番から誰かの一番になることに怯えていたのかもしれない。


『いつも一緒』と同じように時の流れは『一番』までなくすのかも、と考えると背筋が凍るようだった。


 ああ、そうか。

 もしかしたら、もう、玲奈にとっての『一番』はわたしじゃないのかもしれない。



 ーーー☆ーーー



「……、はぁ」


 茹だるような暑さだった。

 高校最後の夏休み、わたしはベッドの上に寝転がっていた。


 わたしの部屋には机と椅子、ベッド、ガンガン冷気を送ってくれているクーラー、後は玲奈からすすめられた本だけが詰まった本棚があるだけだ。我ながら質素というか無趣味だとは思うが、別に欲しいものがないのだから仕方ない。


 玲奈は今頃受験勉強を頑張っているのだろう。地元の大学にスポーツ推薦での合格が決まったわたしと違って東京のファッション系の学部だったかな。うろ覚えだから自信がないけど、とにかくわたしでも知っている有名大学を目指す玲奈は今こそ追い込みの時なのだから。


「つまんないなぁ」


 玲奈の邪魔はできない。遊びに行こうなんて言えるわけがない。


 玲奈は今頃予備校だろうか。後半年、わたしと離れてでも目指す夢のために貴女は東京に旅立つつもり、なんだ。


「寂しいよ、玲奈……」



 ーーー☆ーーー



 今のままがずっと続けばそれで良かった。玲奈と一緒に何の変哲もない日常を送ることができたならば、それだけで。


 だけど、日常は変わっていく。

 小学生の頃から玲奈と一緒に来ていた夏祭りは『その日は予備校があるんです』というメッセージアプリの一文で変わってしまった。


「…………、」


 わたしは一人で祭り会場の近くにある神社を訪れていた。


 花火が夜空を彩る。腹に響く音が鳴り、色とりどりな光が空を舞う。


 花火がもっとよく見える場所はある。だけど、夜の神社で花火を見ることに小学生の頃のわたしは魅力を感じていて、それからは半ば習慣のように一年に一度この神社で花火を眺めていたものだ。


 同じ高校のスポーツ推薦仲間から一緒に祭りに行こうとは誘われていた。幼い頃と違ってわたしの友好関係は広がっており、玲奈以外と遊ぶこともあって……だけど、年に一度の夏祭りを玲奈以外と過ごしたら、何かが壊れそうな気がして怖かった。


 学校では変わらず一緒で、だけど学校が休みとなったら会えない日が多くなった。これが、こんなのが、玲奈が東京に行った後の日常だと思うと吐き気がして仕方ない。


 嫌だ。

 ねえ玲奈、なんで?

『いつも一緒』ではなくなってしまったかもしれない。わたしにも玲奈にも友達ができて、それでも『一番』はお互いだったはずなのに……なんで、離れるの? どうして東京になんて行っちゃうの???



 ーーー☆ーーー



 わたしも玲奈と同じ東京の大学に行こうかな、と。


 春の暖かな陽気が感じられないほどの寒気が走る中、わたしはそんなことを言っていた。


 だって玲奈が東京の大学に進学するなんて言うから、だけど──


「真琴は近くの大学のスポーツ推薦を受けるんじゃありませんでした?」


「あ、いや、それは……」


「真琴。真琴の人生は真琴だけのものです。誰かについていくだけ、では駄目だと思いますよ」


「あ、あははっ、冗談、冗談だってっ。そんなマジに答えないでよ、もうっ」


 言えるわけ、なかった。

 寂しいと、ずっと一緒にいようと、東京になんて行かないでと、いつになく真剣な目をした玲奈にそんなことを言えるわけがなかった。


 あの時、みっともなく泣き叫んでいたら何かが変わっていたのかな?



 ーーー☆ーーー



 秋。

 学校が始まって、だけど玲奈との時間は少なくなった。玲奈は朝から晩まで勉強漬けだったから。


 玲奈は、今、夢を追いかけている。

 ずっとファッションに興味があって、ファッションに関係した仕事がしたくて、だからこそ生まれ育った町を出てより深くファッションについて学べる大学を目指している。


 夢だから。

 本気だから。


 わたしを置いて、一人でいっちゃうんだ。


 夢を追いかけることは素晴らしいことで、邪魔をするなんてもってのほかで、見守ってあげるのが正しい友達で。


 だから、玲奈の『一番』がわたしから夢に塗り潰されたとしても笑顔で祝福しないといけない。


 落ちてしまえ、なんて、絶対に考えてはいけないんだ。


「…………、」


 夕焼けの紅が目につく。

 放課後になって、帰る気にもならなかったわたしは一人教室に残っていた。


 と、


「真琴っちー。どーしたの、変な顔しちゃって」


「瑠璃……」


 半ば机に倒れるように頬杖をつき、意味もなく窓の外を眺めていたわたしに声をかけたのはクラスメイトの瑠璃。


 確か将棋だか囲碁だかでニュースになるくらい強い有名人、だと感じさせないくらいにフランクで綺麗な女の子。


 髪を金髪に染めたら師匠に怒られただけなのにニュースに取り上げられてさー、とか他愛ない会話するくらいの仲だったりする。


 ……ちなみに今も瑠璃は金髪のまま。結果で白黒つけようという話になって、何やら記録を塗り替えたって言うんだから凄い人なんだろう。


 感想がぼんやりしているのは、まあ、それくらいの付き合いってこと。これが玲奈に関してならそれこそレポートなのではと思うほどに詳細を知って……って、比べるなんて失礼だよね。ちょっと自己嫌悪。


「わかったっ。玲奈っちと一緒の時間が減って寂しーってヤツだっ」


「……、別に」


「あっはっはっ。別にーって顔じゃないよ、真琴っち」


 笑いながら瑠璃は体当たりでもするようにわたしの首に手を回し、頬がくっくつのではと思うほどに近づいてきた。


 スキンシップが激しいが、瑠璃にとってこれは普通らしく、それこそ出会って五分もすればこれくらいの距離感だったりする。


 違うクラスの玲奈相手でもこんな感じで、まあとにかく交友関係が広いんだよね。コミュ力お化けってヤツ。


 だから、だろうか。

 ズバッと、躊躇なく、踏み込んでくるのは。


「玲奈っち勉強で忙しそうだもんねー。東京の有名大学に進学して将来はファッションデザイナーになりたい、だったよねー?」


 ねー? と聞かれても、わたしにはわからない。玲奈のことならお風呂ではどこから洗うかみたいな小さいことでもなんだって知りたいけど、その話題だけは意識して避けてきたから。多分玲奈は教えてくれただろうけど、忘れているくらいに。


「いやー華やかっぽいよねーファッションデザイナーって。でも、まあ、イメージ通りかもだけどねー。都会の真ん中で横文字たっぷり扱いながら働いてそうだしー」


「瑠璃、言いたいことがあるなら早く言って」


 なんでもいいからこの話題は終わらせたかった。わたしのそばにいない玲奈のことなんて想像すらしたくなかった。


「そうー? じゃ遠慮なく」


 遠慮なんて感じさせない密着具合で瑠璃はわたしの耳元に口を寄せて、こう言った。



「真琴っち、捨てられちゃったー?」



「ッ!!」


 思わず、だった。

 柔道だか剣道だか忘れたけど、何やら格式あるジャンルを引っ掻き回した上で結果を残してきた瑠璃を思いきり突き飛ばしていたんだ。


 瑠璃はといえば『おっとっとっ』なんて軽く言いながら僅かに後退り──べろり、と舌で真っ赤な唇を舐めていた。


「真琴っちと玲奈っちの仲の良さは有名だよねー。それこそ入学してしばらくしたら仲の良い二人がいると噂になるくらいだしー。だけど、もしかしたら、それって勘違いだったのかもー? だって、ふっふ、玲奈っちは真琴っちと離れて東京の大学に進学したって平気みたいだしねー???」


「そ、れの……何が悪いわけ? 夢だもん。ファッション関係の仕事に就きたい、それだけなら別に東京まで行かずともいいんだろうけど、それでも玲奈は東京に行くことを選んだっ。妥協せず、上を目指すためにっ」



 ──真琴の人生は真琴だけのものです。



「だから、だから! 一度しかない人生、やりたいことをやるべきだよ、それが正解で、そうするべきで、それこそ正しい答えで、正しいことをするべきで、玲奈が幸せになるための努力を惜しむ理由はなくて、玲奈さえ笑っていればわたしはそれでいいんだよっ」



 ──誰かについていくだけ、では駄目だと思いますよ。



 いつから、だろうか。

 おぼろげな幼い頃はどちらかと言えば玲奈のほうがわたしにべったりだった気がする。そんな玲奈を引っ張っていくのがわたしだった……はずなのに。


 胸が苦しい。頭がズキズキする。吐き気が止まらず、目眩がする。


 まるで魂をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているよう。正しいのに、正しいことをするのが間違っているはずないのに、なんで、こんな、わたしはこんなにも苦しいの?


「自分のことは二の次、玲奈さえ幸せならそれでいい、って言いたげだねー。優等生だねー。で、その模範解答で真琴っちは幸せになれるのかなー???」


 やめて……。


「今、この時でさえもそんなにも辛そうなんだよー? 玲奈っちが東京に行っちゃったら、今みたいに気軽に会うことができなくなったら、どれだけ苦しいのかなー???」


 やめて。

 お願いだから、もう──


「玲奈っちは幸せになるよ。東京の大学に進学して、ファッションデザイナーになって、バリバリ働くんだろうねー。真琴っちのいないどこかで、真琴っちがそばにいなくとも幸せに、ねー」


「もうやめてっっっ!!!!」


 聞きたくない、直視したくない、これ以上目を逸らしてきた現実を突きつけないでっ。


 辛いの、苦しいの、玲奈がいない日常を想像しただけで気が狂いそうなの。


「やだ、もうやだ、やめて、よ」


「べっつにいいけど、現実は変わらないからねー。玲奈っちは後数ヶ月もすれば東京に行く。ぜーんぶ決着ついてからもそうやってやだやだ言ってるつもりー?」


「うる、さい……」


「まっ、いいけどねー」


 あっけらかんと呟き、瑠璃は鼻歌まじりに教室から出て行った。わたしは日が落ちて暗くなり、見回りの先生に声をかけられるまでずっと蹲っていることしかできなかった。



 ーーー☆ーーー



『まこと、「けっこん」してくださいっ』


 幼いある日、玲奈は花で作った指輪を差し出して、真っ赤な顔でそう言った。


 家が隣で、『いつも一緒』で、幼稚園では真琴以外とは話もしない玲奈にとってその言葉はどこまで本気だったのか。


『やだ』


『やだ、って、え?』


『「あの人たち」みたいになりたくないもん』


 おままごとよりも外を駆け回るほうが断然好きで、いつも絆創膏を身体のどこかに貼っているくらいにはやんちゃな真琴にとって『結婚』とは顔を合わせればいつも喧嘩している両親の関係だった。


 あんな風にはなりたくない。

 玲奈とは、そう、それこそ──



『わたし、れいなとは「しんゆう」になりたい。ピーチとレモンのようにはなれていたって通じ合えるかんけいがいいよ』



 ピーチにレモン。

 幼い頃の真琴が見ていたアニメのキャラであり、唯一無二の親友として描かれた少女たちだ。


 何年も会えずとも決して失われない絆に幼い頃の真琴は憧れていた。


『どうしても……駄目ですか?』


『うん』


 もしも、高校生となった真琴がこのことを覚えていたならば、何か変わっただろうか。



 ーーー☆ーーー



 東京の大学に合格しました、と。

 玲奈からの報告にどう返したか、わたしは覚えてすらいなかった。


 きちんと笑えていただろうか。

 祝福の言葉をかけることはできたのか。


 辛くて、苦しかった。

 だけど、わたしがどう思ってしようとも時間は進む。進んで、しまう。


「今日でこの学校ともお別れですか。寂しくなりますね」


 錆びついた網目状のフェンスに寄りかかった玲奈が微かに瞳に涙を浮かべながら、そう言った。


 ギヂッ、とフェンスの軋む音がする。


 ──今時屋上の鍵を持っている生徒は玲奈くらいではないだろうか。どんな手を使ったのか知らないけど、玲奈は頭がいいから適当な理由をつけて先生を言いくるめたに違いない。


「ねえ真琴。昔、私が真琴にプロポーズしたこと、覚えていますか?」


 ズキズキと頭が痛い。玲奈が何か言っている気がするが、聞き取れないくらい苦しい。


 もうやだ。

 お別れなんて、そんなのやだ。


「あんなにもはっきり断られたんだから諦めるべきと言い聞かせてきました。真琴についていくだけでは駄目だと、ちゃんと違う道を見つけないといけないと言い聞かせてきたんです」


「……ッ……」


 痛い、痛い痛い痛い!! もう何も考えなくないっ。


「『いつも一緒』でなくなって、色んな人と関わるようになって、私は変わったんだと思います。ファッションデザイナーになりたいと、真琴のため以外の欲が生まれるくらいにです。だけど、それでも、やっぱり駄目ですね。どれだけ言い聞かせても、目を逸らしても、やっぱり私にとっての『一番』は真琴以外にはありえないんです」


 聞きたくない。

 わたしを捨てて夢を選ぶ玲奈の言葉なんて聞きたくない!!


「親友であることを望んでいる真琴にとっては迷惑な話かもしれない。胸に秘めておけば今まで通りの関係でいられるかもしれない。でも、それでも、やっぱり私は真琴の『一番』でありたい! 諦めるなんて、できないです!!」


 肩に手を置いて、真っ直ぐにわたしを見る玲奈。その目を思わず覗き込んでしまった。その先の言葉を聞いて、しまったんだ。



「だから、その、ええと……キスしたいです!」



 …………。

 …………。

 …………、は?


 意味が、わからなかった。

 だって玲奈はわたしを置いて東京に行くつもりで、だって玲奈の『一番』はわたしじゃなくて夢で、だってわたしがいなくたって別にいいと切り捨てたのは玲奈のほうで、なのに、何を言って、いるの?


「私、夢も真琴もどっちも手に入れたいんです。少しの間、はなればなれになっちゃうかもしれないけど、いつか絶対に迎えにいくから。真琴の隣に戻ってくるから。だから、だから! 真琴にとっての『一番』を、親友じゃなくて恋人としての『一番』を、私にください!!」


 頭が痛い。

 ノイズに埋め尽くされて何も考えられない。


 痛い、痛いよ。

 キスしよう、なんて。わたしを置いていっちゃう癖になんでそんなこと言うの?


 何か言っている気がした。

 そんなの聞こえるわけなかった。


 わからない、わからないよ。

 わたしには、玲奈が、わからない。


 幼い頃ならば玲奈のことならなんだってわかった。なのに、いつから、こんなにもわからなくなったの? どうして、こんなに、遠いの?


 怖い。

 わたしが知らない玲奈が怖いよ……。


 だから。

 ゆっくりと近づいてくる玲奈を見て、わたしは思わず両手を前に突き出していた。


 今だけは。

 玲奈に近づいてほしくなくて、怖くて、だから、



 ガッシャアンッッッ!!!! と。

 甲高い轟音にわたしはびくりと肩を震わせる。



 まず闇があった。いつからか見たくない現実から逃げるように両眼を閉じていた。


 次に不自然なまでの静寂に不安を感じて目を開いて。


 最後に目の前にいたはずの玲奈が消えていることに気づいた。


「え、あ……?」


 玲奈は錆びたフェンスに寄りかかっていた。少し寄りかかるだけでギヂッと軋むほどには錆び付いたフェンスに、だ。


 それも、丸々消えていた。

 という、こと、は? つまり、何が、どうなって、だから、それは、だから!!


「う、そ」


 ゆっくりと、一歩前に出る。

 屋上、その下を覗き込む。



 赤があった。

 赤い何かとしか判別できないモノが転がっていた。



 それは網目状のフェンスを下敷きにしており、それはかろうじて人の形を保っており、それは、それは……。


「う、ぷっ!?」


 お腹から這い上がる吐き気のままに吐瀉物を撒き散らしていた。ぼたぼたと黄色い吐瀉物が口を押さえた指の隙間からこぼれ落ちる。


 殺した、違うそんなつもりなかった、わたしが殺した、そうじゃないただ押しのけただけ、もう玲奈には逢えない、嫌だ嫌だ嫌だそれだけは絶対に嫌だ!!


「れい、な……」


 それは仰向きに倒れていた。赤黒い中身を撒き散らしていたが、確かにそれは玲奈だったモノなんだ。


 玲奈は死んだ。わたしが殺した。だからもう逢えない。ずっとずっと、玲奈がいない日常を送ることになるんだ。


 ……本当に?


「あ、は」


 落ち方が良かったのか、それの頭部は比較的そのままの形を保っていた。唇が、眼球を焼く。こびりつく。


「あはは」


 玲奈はあそこにいるんだ。だったら追いかけないと。あそこにいけば、玲奈と同じになれば、ずっと一緒にいられるんだ。


 東京に行くなんて許さない。夢になんて奪われてたまるものか。


「あはは、はは、はははははははは!! やった、やったぁっ! これでれいなはずっとずうっとわたしといっしょだねぇっ!!」



 玲奈と同じ場所に行くのに躊躇なんてあるわけなかった。屋上から飛び降りる。下に下にと落ちる中、わたしは玲奈の望みを叶えるために眼球を焼くのではと思うほどにこびりつく玲奈の唇へと口づけをした。



 これで、もう、わたしは一人にならずに済むんだ。



 ーーー☆ーーー



「わぁ」


 その光景を瑠璃は眺めていた。

 放課後の高校ということで部活動に励んでいた目撃者の多くが叫んだり、泣いたり、気絶したりと混乱の最中にあるというのに、彼女だけが楽しげに笑っていたのだ。


 今時の高校生なら髪を金髪に染めるのが普通、という話を聞いたから金髪と染めている瑠璃が口を開く。


「綺麗だねー」


 目撃者の中で瑠璃だけが。

 赤黒いその光景にキラキラと瞳を輝かせていた。


 もしも瑠璃がいなかったら。



「だから、その、ええと……キスしたいです!」


「……、え?」


「私、夢も真琴もどっちも手に入れたいんです。少しの間、はなればなれになっちゃうかもしれないけど、いつか絶対に迎えにいくから。真琴の隣に戻ってくるから。だから、だから! 真琴にとっての『一番』を、親友じゃなくて恋人としての『一番』を、私にください!!」


「こいびっ、え、ええええっ!?」


 なんか、いろいろ、なやんでいた、のが、ふきとんだ、よ。


 いや、だって、ええ!? 何がどうなればそんな話になるんだよう!!


「だっ、だって玲奈は東京行くじゃんっ。誰かについていくだけじゃダメなんて言ってわたしがついていくのを拒絶したじゃんっ!!」


「それは、だって、真琴だってスポーツ推薦を受けられるくらい熱中している『夢』があるからですよっ。真琴は気づいていないかもしれませんが、飛んでいる時の真琴はとっても楽しそうですよ」


「そ、そう、かな?」


「そうですよっ! だからこそズボラな真琴が三年間欠かさず熱中していたんじゃないですよ! だからこそ、もしもスポーツ推薦がダメだったら一般入試で受かってやると張り切って勉強していたんじゃないですかっ。真琴は、真琴の夢を叶えるために一番の進学先を選ぶべきです。将来、後悔しないためにも、絶対にそうするべきなんですっ!!」


「で、でも、玲奈が東京行っちゃう……」


「真琴は多分覚えていないだろうけど、はなれていたって通じ合えるかんけいがいいよって私に言ったのは真琴ですよ」


「そんなこと、わたし、が?」


「ええ。ですが、前半に関してはやっぱり認めるわけにはいきませんが」


 前半? わたし他に何か言ったのかな? と首を傾げていると、玲奈がぎゅっとわたしを抱きしめました。


 心臓が飛び出るのではと思うくらい驚いて、反射的に突き飛ばしそうになって、だけど玲奈の匂いや柔らかな感触に脳から指先まで痺れて口をパクパクすることしかできなかった。


「私、真琴とキスがしたいです。キスをする関係がいいです」


「それ、って」


「好きです、愛しています。例え一時ははなればなれになったとしても、いつかきっとお互いに夢を叶えて、その上で真琴と一緒に人生を歩んでいきたいですっ。だから、だから! 『親友』じゃなくて、真琴の『恋人』にしてください……」


 怯えるような声だった。

 ほとんど泣いているようなその声にわたしは感じるままに口を開いていた。


「うん。恋人になろうか、玲奈」


 すっと収まる心地がした。

 玲奈にとっての『一番』がわたしである証明が、不安で仕方なかった魂を鎮めてくれる。


 わたしも玲奈のことが好きだっだんだ。

『親友』だと足りないくらいに、『恋人』として繋がっていたいくらいに。


『親友』としての玲奈を殺し、『恋人』としての玲奈をわたしは力の限り抱きしめ返した。

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