アイドルの殺傷力偏差値(10)
◇◇◇
「いったい、どういうことですか!?」
昇段試験のパートナーの自主練に付き合う約束をドタキャンして、講義終了後まっすぐ上泉邸に帰宅した和希は、屋敷の書庫にいたIoRiに詰め寄った。
上泉邸のかつての主人であり、『昭和の武神』といわれた知有の曾祖父・上泉綱三。
その貴重な蔵書を、手袋しながらしれっと読んでやがる。
「私も参加させてもらうことになった、ってだけだよ?
あのあと、副部長さんとたまたま出会って、話をしてるうちにそうなったの。よろしくね」
「いったい、なにを企んでるんですか……?」
「なんにもー?
楽しそうだから一緒に走りたいだけだって。
ちゃんとハンデとして、私は5分遅く出発することにもなったし」
「……しかも、あなたが1位になったら、鈴鹿のかわりに慶史にしてくれ、って言ったそうですね?」
「うん。言ったよ?」
首をかしげて楽しげに、和希の反応を見ているような顔をする。
「ヒロとでかけても、大体私に慣れてるからリアクションつまんないもの。
だったら、まだ、今井くん?の方が色々、面白そう。
それに、彼が関われば、和希もエントリーしてくれそうだし?」
「……お見通しですか……」
腹立たしすぎて笑えてくる。
「新橋さんに教えられて、その場でエントリーしました、結局。
IoRiさんと同じく、5分ハンデで」
「やった!
じゃあ、同時スタートになるね!」
「慶史とでかけたがってる女の子が、丸腰の人間を状術でフルボッコにする格闘家じゃなきゃ、こんな無粋なことしませんよ…」
鈴を転がすような笑い声。
今朝の色々とか、鈴鹿にチクってもいいんですか。
もし和希がそう言ったとしても、IoRiはまるで動じないのだろう。
彼女は、ただただ彼女だけのルールに従って生きてでもいるようで、それ以外のルールには、ただ楽しむためだけに選んで乗っているような、そんな気がする。
大文字山競走に乗ったのも、きっと。
そして京都に来たのも、きっと。
「…………あなたのテレビ出演予定が、更新されていました。
所属の芸能事務所のサイトで」
ぱた、と、読んでいた本を閉じて、IoRiはその本を丁寧に机に置いた。
「いいね。
知りたいことは自分で調べないとだよね」
「月末に2本、番組が入っていました。バラエティと、ミニドラマみたいです。
ということは、事務所としては、あなたをその収録日までに連れ戻すつもりでいる。その意思表示で、サイトを更新した。
一方で、試合の予定は、白紙。
もう大晦日の試合から、半年以上空いてるのに」
彼女はタレントでもあるのだろうが、そもそも格闘家である。
MMA5戦無敗。
格闘技の興行側としては、IoRiは逃したい選手ではないはずだ。
オファーがないということは、まずありえない。
ならば、理由として推測されるのは、本人が断っているという可能性と、所属団体が断っている可能性。或いは、芸能事務所が。
「あなたが、京都まで逃げてきたのは……
それが関係してるんですか?」
「うーん。
灯台もと暗し、というやつだね」
「?」
「でも、私に興味を持ってくれて調べてくれたのは、嬉しいことだ」
「……嬉しい……?」
口にすべきは怒りじゃないのか?
女が、自分の知らないところで自分のことを調べられるということは、つまり、身の安全を脅かされることに他ならない。
芸能人ならなおさらだろうに。危害を加えられたアイドルが今までどれだけいたというのか。
わからない。理解できない。
そして、理解できないぶんだけ、彼女が頭を支配する。
それが胸をざわざわさせる。
にっ、と、IoRiは笑う。中性的な笑顔だった。
「私の行動原理はシンプルだよ。
私は、誰にも私の邪魔をさせない。
好きなものは諦めないし、狙った獲物は逃がさない」
「…………はい」
多分そこに嘘はないのだろう。
答えも既に、明示しているのかもしれない。
和希にわからないだけで。
「明日は楽しもうね」
IoRiは和希に軽く手を振ると、再び、蔵書の中の本を手に取った。
◇◇◇




