武神を継ぐ少女(3)
◇◇◇
「よく来たな!
私がこの屋敷の新しい主人、上泉知有だ」
ハウスキーパーらしき人に通された青畳の座敷には、すでに10数名の若者が待機していた。
見た感じ、和希以外は、全員男である。
皆、なぜか道着やらジャージやらの格好をしている。
しかし、和希は目的が目的だけに、人よりも建物そのものが気になる。
そわそわと、あちこち見回していると、声の大きなこどもが座敷の上座に入ってくるなり、仁王立ちして叫んだのだ。
「当年とって10歳、この4月から5年生になった。
『新影』の現社長の孫娘にあたる。
先日亡くなった曾祖父から、私がこの屋敷を贈与された。
今日、ここに集まってくれて、ありがとう」
左右に控える家の者を堂々と従えて、少女は良い笑顔で話す。
一言でいえば、かなりの美少女だ。
日に透ける、細くてさらさらの髪に、琥珀色の大きな瞳。
可愛らしい声ながら、はつらつとして滑舌がよく、小学校では元気が良いと誉められていそうだ。
もっとも、家主が小学生だとは知らなかったらしいこの場の大人たちは、慶史も含めてずいぶん呆気にとられているが。
和希はといえば、声の淀みなさに感心していた。
とはいえ子どもはあまり得意ではない。
特に明るいこどもは、少し、苦手。
知有という少女は、笑顔で続ける。
「私の曾祖父、上泉綱三は、スポーツ用品メーカー『新影』の創業者だ。
実はあまり知られていないけど、戦後すぐから、引退する直前まで、仕事の合間をぬって日本各地を渡り、消えつつある、武道や流派の資料を無差別に集めていた」
こどもらしい声と裏腹に、曾祖父を語る言葉には、自信と誇りが満ちている。
「時代も規模も無差別に。
口伝でしか残ってこなかった技術は文章にして。
途絶えた流派については目撃証言や対戦者の証言を集めた。
文字で残ってるものじゃなくて、人の語る言葉に残る歴史を、オーラルヒストリーというそうだ。
私の曾祖父は、気が遠くなるほどの時間と手間隙をかけて、日本の武道のオーラルヒストリーを収集してたんだ」
知有の語る言葉、すべて知っていることなのに、聞いているだけで和希はワクワクする。
「さらに、保護のために、武道家への生活支援も続けていた。
そんな曾祖父の活動を評価して、ありがたいことに、いまも『昭和の武神』と呼んでくれる人がいる」
それは、慶史から和希が問われた問いの答え、そのままであった。
そしてこれが、和希がこの屋敷に興味を持った最大の理由だ。
「曾祖父は先日、108歳という歳で亡くなり、日本各地にあった家は家の者がそれぞれ相続した。私は亡くなる少し前に、この屋敷をもらった。
この屋敷には、武道場が作られている。これは、かつてこの屋敷に、武を志す多く若者を寝泊まりさせて、衣食住の面倒をみていたころの名残だそうだ。
これも何かの縁。
私も、将来有望な武道家・格闘家を支援していきたい。それで手始めに、今回、この屋敷に住んでくれる人を募集したんだ」
「支援って…こどもが…」
ポロッ、と誰かが思わずといった様子でこぼした。
しかし、知有は笑顔を絶やさずに返す。
「そうだな、私は残念ながらこどもだ。
成人まであと10年かかる。
それまで待ったら、その10年、誰かのチャンスが奪われるだろ?」
「だ、だけど……」
「そうはいっても、確かにこどもが相手なら不安にはなるな。
それなら帰っても大丈夫だ」
「えっ!? い、いや、あの……」
さっくりと切る少女の言葉に、先ほど失言した男は慌てる。
見事に全員、彼女のペースである。
「大丈夫。どちらにしろ、最初からいっぱいは難しいと思うから、今回はとりあえず、1人だけにするつもりだった。
家賃は光熱費と水道代と込みで月二万円、風呂トイレ洗面所共有、道場使い放題、私と同じメニューでいいなら朝食夕食つきだ。
はい、この条件で不満がある人、手ぇあげて!」
いきなり小学校の日直が号令をかけるみたいなノリになって、知有が手をまっすぐ上げる。
皆、手を上げず互いに顔を見合わせた。
条件的には不満などありようがない。
「しーん。だな。OK。
じゃあ、全員希望ってことで、この中で1人を決める。
車で少し移動したところにボクシングリングを借りている。
みんな腕に覚えがある人たちだろう。
MMAルールのトーナメント勝ち抜きでどうだ?」
おお。急に闘って決める話になった。
異種格闘戦。といえばMMA……という、短絡的な決め方である。
どうします? と慶史が和希に目で尋ねてきた。
和希は、どうしたもんかな、という表情を作ってみせる。
屋敷は尋常でなく気になるし条件も魅力的。
ただ、MMAルールは苦手だ。
明らかに和希より大きい、他の連中との体重差も気になる。
大怪我するリスクはやはり懸念する。
「あ、でも、そこのキミは、一人だけ武器もちなんだな。杖術?」
知有が突然声をあげた。
武器もちがいたか? と、一瞬誰に言っているのかわからなかったが、その場で、膝に四尺二寸の棒杖を置いているのは慶史以外いない。
はっ、と気づいて、慶史は手を横に振った。
「あの、違います。
俺は、こちらの女性の付き添いなので…」
「女性?」
知有が首をかしげる。
さらに他の連中が、和希の方を見て、なんだかざわざわとしている。
「女?」
「女なのか?」と。
ああ、と和希は納得して、羽織っていたブカブカのウインドブレーカーを脱ぐ
上半身の体型が隠れていて、男だと皆が皆思っていたようだ。
脱げば下はTシャツなので、胸のかたちはそれなりに出る。それで女だと示してみた。
「隠したつもりではないです。
まさか、全員、私の性別がわからないとは思わなかったので」
そう、和希は言う。
その間も、周囲のざわざわが止まらない。
なんだこれ、と、和希が首をかしげたとき、ひとりの男がこちらを指差しながら言った。
「じゃあ、さすがに彼女はなしでしょう」
ん、と、和希はその声に引っ掛かった。
言葉は簡潔、しかし、どこか侮蔑の色を感じた気がしたのだ。
あろうことか、他の男たちも皆、その声に賛同し始める。
「男と女で試合とかありえないしな」
「大怪我、いや、下手したら死にますからねぇ。危ない危ない」
「女性一人で、運が悪かったですが、もうここは諦めざるを得ないでしょう」
口々に言う。
ライバルを減らそうとしているのが、露骨にわかる。
まぁ、和希が迷っていたのは本当だし、それに男対女の試合なんて組まないのが普通だが、こんなところで『女』を理由にハブられると正直、腹立たしい。
抗議しようと和希が口を開いたとき、
「そうか。
じゃあ、ルールを変更しよう」
少女の声が響いた。
「男も女も関係ない。
強いやつは、人類の宝だ。
もとから、男女混合になったときのルールは考えていた」
そういうと、少女は座敷のなかを歩いて皆の背後がわに回り、そこの障子を、ぱん、と音をたてて開けた。
白い玉砂利が輝く、見事な日本庭園がそこに姿をあらわし、和希は思わず息を飲む。
「場所はここだ。実戦形式、時間無制限、気絶または戦意喪失を以って勝敗決定。
くわえて、急所攻撃が禁止されると女と小柄な人間に不利だから、目と頸椎はダメだけど、金的、喉、背面攻撃をOKとする。肘も膝もありだ。どうだ?」
一瞬、場はしんと静まり返った。
そのルールがあまりに衝撃だったらしい。
しかし、少しずつその場の者が我に還り始めると、いやさすがに金的ありっていうのは、と、男たちから怒号がとんだ。
「金的ありなんて…逆に女に有利でしょう」
「女だから、ひいきですか!?」
「意味がわからん! こいつひとりのせいでルールを変えるなんて!!」
「それが許されるんなら、じゃあ乳揉んでも許してくださいよ!!」
なおも他の者が騒ごうとする。
いや、金的は男にとって危ないから止めろ、っていうんならまだわかる。
だが、金的ありが女有利か?
ちなみに女の胸も急所だが普通遠慮なく打撃食らうんだが。
そしてそもそもの体重差筋力差の話はどうした?
和希が色々突っ込もうと口を開こうとしたとき。
「じゃあ、男のみんなは、実戦になったら全員女に勝てないのか?」
と、無邪気なふうで知有が言うのだ。
「…………………………」
一言で黙らされた。
天然か計算か、そのたった一言で、男たちは何も言えなくなってしまった。
「よーし、静かになった。OKだな。
じゃあ、いまから、詳しいルールを説明するぞ?」
そう言って、とうとうと語り出す知有。
和希は「慶史」と肘で後輩を軽くつついた。
「どうしました和希さん」
「あいつら全員泣かす」
「…………ご武運を」
だいたい言いたいことを予想していたらしい慶史は、苦笑いで和希の言葉を受けた。
かくして、和希の住活トーナメントは始まったのであった。
◇◇◇