雨の夜には牙をむけ(2)
◇◇◇
「何があったんですか?」
―――――夕方のサークルの活動時間。
和希は思わずそんな言葉を発していた。
三条和希、今井慶史、鈴鹿尋斗が所属しているサークルは、各々の運動能力向上を目的とするものだ。
瞬発力、柔軟性、走力、筋力など内容は多岐にわたる。
雨の多いこの時期は、河川敷やグラウンドではなく、屋根のあるもとで活動を行っていた。
今日は大学の体育館の地下空間を利用する日だった。
この少し前、このサークルには、鈴鹿と、もう一人、1回生の神宮寺という長身のイケメンを目当てとした女子が大量に加入した。
ゆえに、ここしばらく、女子たちが彼らを取り合ったりして、活動時間の空気がたるんでいたのを感じたのだが。
今日は、逆に、バラバラだけど殺気だっていた。
階段の登り降りダッシュを繰り返す女子。
エアロバイクをこぎまくる女子。
マシン筋トレに入っている女子。
先輩に走るフォームについて熱心に質問を繰り返す女子。
「いったい。何があったんですか?」
と、再び和希が問うと、サークルの副部長で3回生の新橋が、胸をはりながら、フフンとどや顔してきた。
いかにも、俺スゴイこと考えちゃったマジ天才、と言いたげな顔はとりあえず腹立つ。
「7月の第1土曜に、大文字山トレイルランを実施します!」
「は?」
「正確に言うと、スタートは百万遍交差点。
今出川通りをまっすぐ銀閣寺手前まで走って、大文字山に登って、ゴールは大文字の、大の字の交点まで競走ね」
なんと。山登りつきの競走だと。
またアホなことを、いったい誰が考え……
いや、目の前のどや顔の人か。
「そのルールだと多分、鈴鹿の圧勝になりそうですけど」
「ん? 鈴鹿って、そんなに足速いの?」
「……あ。いえ。それはともかく」
まぁ。走るなら、和希だって、男子に負けるのは嫌だ。
おそらく、というかほぼ確実に鈴鹿には勝てないが、日比谷、新橋、には何とか勝ちたい。
慶史には問題なく勝てるだろう。
大穴で神宮寺が意外と長距離強いかもしれないので注意。あとは。
いや、そんなことを気にしていたのではなかった、確か。
「あの、それで、なんで女子があんなにたぎって……?」
言いかけて、和希はある可能性に気づく。
「………新橋さん、神宮寺か鈴鹿を、またダシに使いました?」
フフン、とまた新橋が鼻をならした。
あ、これ、ビンゴだ。
「優勝したら、だと、女の子たちにとってハードル高すぎるからね。
別エントリーしてもらって、その中で一位になったら、素敵な賞品をご用意しました」
「……どっちかとデートできます的な奴ですか。
ですからね、そういうのは本人の意思を」
「いや、両方」
「え、両方? 神宮寺と鈴鹿両方?」
「うん。
デートプランは新橋プロデュースで、予算は先輩からのカンパです」
「……神宮寺は無理矢理押しきったんでしょうけど、鈴鹿もですか?」
「いやだなー三条人聞き悪い。人をパワハラ野郎みたいに。
鈴鹿はねぇ」
大人しく気が弱めの神宮寺は、是非にと先輩に言われれば断れないだろう。
だが、頑固で鍛練バカで女嫌いな鈴鹿の方は、そんなダシ役を引き受けるはずがない。
と、思っていた和希が、大型サンドバッグを蹴っている鈴鹿の方を見ると、鈴鹿も話を聞いていたのか、こちらと目が合った。
思いの外、けろりとした表情で、鈴鹿は口を開いた。
「まぁ。
みんなが体を鍛えるのに熱心になるなら、良いかと」
「……えーと。すずかー?」
「それに、どうせ女同士闘うのなら、正々堂々決着をつけてもらった方がいいでしょう? いい加減面倒ですし」
「うんごめん、その、正々堂々闘って勝ち抜いた女子に、果たしてチャンスはあるのかな?」
「神宮寺が気に入ればあるんじゃないですか」
さりげなく、自分は容赦なく振る宣言しやがった。おい。
鈴鹿尋斗。この美形男の女嫌いは、筋金入りだ。
“女が恋愛対象にならない可能性がある”と、迷いなく公言する。
男なら何とかという意味か、恋愛自体が無理という意味かは、目下不明だが、ふたつ、明らかなことがある。
まず、鈴鹿尋斗は、長年あらゆる場所で女に追いかけられ、さらに、ストーカーのせいで前の大学を辞めるという事態に追い込まれたこと。
もうひとつは、そのせいでか鈴鹿は、女に対してまったく容赦がないこと。
逆に、だからこそ割り切って、自らこういう賞品になれるのかもしれないが……。
そんなことを考えている和希の視界の端に、ふいに映った人影があり、慌てて視点を戻してみた。
――――――現在の見た目だけは長身イケメンだが、ついこの間まで非モテど真ん中の人生を歩んできたため、対女子免疫皆無である、新入部員、神宮寺賢一郎。
彼が、体育館の端の方で、わりと血の気の引いた顔で体育ずわりしてガクブルしている。
大丈夫か神宮寺。。。。
後輩2人を、それぞれ違った理由で和希が心配した、そのときだった。
「へー?
なんか面白そうなことするんだな」
唐突に、部外者の声が割って入る。
(…………?)
聞き覚えのある、よく響く朗々たるこの声は。
和希が、声のした方に目をやると、1人の若い男が、体育館地下の廊下の柱に手をかけて立っていた。
整いつつも、やや童顔の顔立ちと、アスリートとして鍛え上げた、筋肉の線が美しい体。
茶色というより赤みが少し混じった髪。
彼は和希を見て、にかっと笑った。
「………え。
牧ノ瀬、刀流……?」
その名を口にしたのは、和希ではなく。
ついさっきまで話していた新橋。
「ITFテコンドーの全日本チャンプで、世界2位の人、だよね。
ただいま、全国的に女子人気急上昇中!の。
なに、三条、この人とも知り合いなの………?
お姉さんと知り合いだから…?」
和希の方を見ながら、思い切り動揺しまくって話す新橋。
本人の目の前で、失礼なのに思い切り指差しているあたりからも動揺がうかがえる。
牧ノ瀬刀流。
新橋が言うほど『全国的に女子人気急上昇中!』かはわからないし、彼の姉ほどまだ人気はないと思う。
が、組手において世界2位で、全日本チャンプで、ものすっっっっごく強い男だ、というのは正しい。顔も美人の姉に似て、メディア映えする。
で。
その超スター選手が、なぜわざわざ和希のもとにやってくるのかというと。
「新橋さん。
私、牧ノ瀬選手に、昇段試験の相手役をしてもらうことになったので」
「マジか!?
え、うそ、そんなことあるの!?
ていうかサインくださ」
「というか、どうした? 牧ノ瀬?」
とりあえず新橋の声を封じるように。
和希は大きな声を出した。
「ん。
ここのサークルのSNSアカウントで、今日の練習場所がここだって出てたからさ、来てみた」
完全なる部外者にも関わらず。
悠然と歩いて、和希のもとにトオルはやってくる。
オーラに気圧されてか容姿に見とれてか、誰一人彼を止める者がいない。
「いや、その、わさわざ来た理由を聞いているのであって」
「理由?」
一瞬だけ。
快活に笑むトオルの唇が、一瞬だけ、歪んだ。
「この間のことが、男としては、ちょっとショックだったからさ」
「………………この間の、こと?」
この間の、こと。
つまり、今朝、知有にも言われたできごと、のことだ。
「三条も、ここなら大丈夫かな、と思って」
首を傾け、手を腰に当てて微笑むトオルに、和希はこの間、トオルが屋敷にやって来た日のことを思い出すのであった。
◇◇◇




