傾城のアドーニス(14)
「行くな、和希」
階段を降りようとした和希を、知有が止める。
持ってきていたタブレットを見せる。
画面が16分割され、屋敷のあちこちが映っている。防犯カメラの映像か。
その中のひとつに、木製の雨戸に刺さった矢が、燃えあがっているのが見える。だが、火が燃え移る、という様子はない。
「ひいおじいさまも火災には用心していた。
雨戸は全部不燃木材だ。
簡単には燃えない」
「ですが」
「下鴨警察署からなら、警官が駆けつけるのに5分もかからない。
待とう」
「あのアホ、まだ拡声器で叫びますよ?
ご近所に迷惑では?」
「……和希。
ご近所と命とどっちが大事なんだ?」
知有が可愛らしい顔でジト目でにらむ。
ご近所との比較なら、それは当然命だが。
再び、拡声器らしい、きぃぃぃぃぃぃぃぃいいいんんん、という音がして、また、『あの女』がなにか叫びだした。
―――――――隣近所の家も、下鴨神社の森も、まるごと燃やすぞ、と。
「………家主さん、すみません」
「和希?」
「やっぱり私、ちょっとあの女シメてきます」
「えっ、ちょっ、和希!?」
和希は階段をかけ下りた。
警護担当者が驚いた顔でこちらを見る。
玄関に続く長い廊下を走る和希に、慶史があとを追ってくる。
慶史1人だけが。
「…なんで君まで?」
「たぶんですけど。
シメられない。と思いますよ」
「へ?」
「もう、『無敵の人』状態じゃないですか。
和希さんがあの弓矢を攻略して彼女をKOしたとしても、それは和希さんがスッキリするだけで、彼女の心にはなにも届かないんじゃないかと。
それとも、徹底的に壊しますか? 物理的に」
「……………………」
水をぶっかけるような慶史のことばが、和希の頭を冷やす。
彼女の心に届くまで対話する覚悟も、命を奪う覚悟もないなら、つまり、自分がスッキリするための意味もない暴力ならば、やめろ、と。
ぐうの音も出ないほど、慶史が正しい。
「……悪い、慶史」
「いえ。失礼しました。
ひじかた。
って和希さんを呼んでいたということは、鈴鹿の関係者ですか?」
「そう。……私の同級生。というか、鈴鹿さんの身は」
「俺が電話してみます」
「もし無事だったら、とにかく動かないように言って欲しい。
あの人、ここまで走って来かねない」
「鈴鹿のうちは吉田神社の東なので、たぶん、警察が来るまでにはたどり着けないと思います」
家まで既に聞き出しているとは、さすが。
玄関に続く廊下に置いていた自分のリュックから、携帯を取り出す慶史に、和希は声をかける。
「………慶史」
「はい」
「頭は冷えた。だけど、冷えたぶん、気づいたことがある」
手を止めずに、慶史は和希を見上げた。
「人死にも火事も出したくないんだ。
鈴鹿さん……鈴鹿のためにも」
眉をひそめ。
和希の言葉の意図するところを、しばらく思案したのちに。
はい。と、慶史は頷いた。
リュックの横には、今日も四尺棒入りのケース。
「それなら、お付き合いします」
◇◇◇
「ひじかたぁぁぁぁッッ」
首からぶら下げた拡声器で、セーラー服の彼女は叫び続けている。
敵は一向に出てくる気配がない。
これだけ、家を焼くと言っているのに。どうしても、どこまでもこたえないらしい。
「火矢ッッ。
早くッ!!」
彼女は舌打ちしながら、キャンピングカーの下にいる両親に声をかけた。
母親は、綿をぐるぐると矢に巻き付け、油を垂らしたものを作ると、キャンピングカーにかけられた脚立をあわてて登る。
「遅いッ!!
あと5本!!」
矢を母親の手から奪い取る。
母親は、泣きそうな顔で再び脚立を下りていく。
手は血まみれでぼろぼろ。
拡声器を肩から下ろすとき、セーラー服の下につけた胸当てが少しずれた。汗だらけ。髪はめちゃくちゃ。
――――――カッコ悪い。
泣きそうなほど、カッコ悪い。
みっともなくて、みじめだ。
どこで間違えたのか。
そうわかってる。わかっていると、周りにバレるのが恐ろしい。
イカれてるふりをし続けないと、自分を保てない。
足元に置いていた矢の綿に、ライターで火をつける。
一瞬で松明のような大きな火になる。眩しい。
その矢を手にもったまま、弓を拾う。
苦労しながら熱い矢を何とかつがえ、放つ。
今度は屋敷の一階の雨戸に突き刺さった。
………ふいに。
遠くサイレンの音が聞こえた。
いや、遠くない。最早近づいている。
警察がもう来る!?
こんなことをすれば当たり前だ、という考えに、その時彼女は至らなかった。
隠れたあげく、通報なんかして卑怯だ。という怒り。
捕まってしまう、犯罪者になる。という恐怖。
キャンピングカーの下の母親が、弱々しく彼女の名を呼んだ。
逃げなさい、と言う。
バカじゃないの。どこに逃げられるというの。
なにもできないじゃない。
もう。あの人に会えないじゃない。
どうして。こんな、私にしたの。
彼女は、残っていた矢を弱々しく拾い上げ。
足元の母親の額に、狙いを。
―――――――――――ブォン。
何か黒い影が、目の前に迫り、彼女は慌てて矢を上に向ける。
が、遅かった。
強烈な衝撃が弓をすべり、彼女の横ッ面へと叩き込まれた。
それは回転しながら飛んできた、頑丈な木の棒だった。
したたった油で足を滑らせる。
落ちた。
やった、このまま頭を打てば死ねる。
頭をよぎった考えは、しかし、甘かった。
何者かの腕に体を受け止められる感触に、彼女はギョッとする。
その長い腕が何故か、この世で一番嫌いな人間のように思えたのだ。
まさか、そんな。アイツは、あの屋敷の中に…
「塀の外を回ってきたら意外と遠かったよ」
悪夢だ。
彼女は、大嫌いな土方理宇の腕の中にいた。
◇◇◇




