傾城のアドーニス(12)
「……………………」
被害者が加害者の事情を斟酌する必要はない。
そのぶん、被害者本人ではない人間は、どうして加害者がこれに至ったか、を、正しく掴まなければならない。
その加害者から直接傷を負わされていない人間だからこそ、できることなのだから。
そういう考えの和希であったが、いま、鈴鹿のストーカーに対して、
『何がどうなってそうなったのか』
を考えることに、早くも挫折しかけた。
「家の金を根こそぎ使った、と言っていたね」
「そうは言っていました。ただ、資金を使いきるほどかどうかは」
和希の意図したところを掴んで、即答する鈴鹿。
これもきっと同じようなやりとりが誰かとあったのだろう。
考えてみれば、一家の年少者がそれ以外の人間を支配下に置く、というのは、聞かない話ではない。
多くは男で、家庭内暴力などで親を疲弊させた上で支配する。『あの女』は口がたったので、それでもって家族を支配下に置いたのかもしれない。弓矢で脅したのかもしれない。
真相は警察が調べてこそだが、対策は、正攻法でいくべきだろう。
弓矢を使ったなら、明確に殺意ありと判断されるはず。
言い逃れは向こうもできない。
「警察にももう、言っているんだろうけど。
今回のことも被害届を出そう。
武器が武器だけに、下手したら殺されてた」
「……そうですね。帰りに」
鈴鹿はうなずいた。
弓の腕はへっぽこだったが、それにしても弓矢の殺傷能力を考えると非常に危ない。
「他に私にできることは?
送り迎え、とか……」
鈴鹿が、少し驚いたようにこちらを見た。
「………………?」
鈴鹿の表情の意味がよくわからない。送り迎えの警護はストーカーに対して至極当たり前の対応のひとつだと和希は思っていたので。
「いえ、すみません。
三条さんが俺に、そういったことを言うとは思わなかったので」
「……私でも後輩を心配ぐらいする」
ああそういうことか。
鋭い。和希が鈴鹿を避けぎみなのを、なんとなく感じ取っていたか。
「ただ、もし、お願いできるなら」
「え?」
「謝っておいてもらえませんか。皆さんに」
唾を呑む音。
自分の喉だ。
「………何も、皆には迷惑をかけていないよ」
極力平静な声を出す。
鈴鹿の意図するところがわからなかった、のではない。
わかったからこそ、思わず勘違いしたふりをした。
「これから迷惑をかけますから」
変化球のつもりで投げた言葉を、鈴鹿は、まっすぐに打ち返してきた。
これまで、たくさんたくさん嫌な目をしてきた。その経験の蓄積から、確信しているのらしい。
そして去ろうとしている。
身を引こうとしている。これまでのように。いつものことのように。
それこそ、和希には都合がよいはず。それを望んでいたはず。だが。
「私がいる」
思わず、和希は食い下がっていた。
「後輩1人、守れないと思えるほど、私が弱いと思うのか?」
鈴鹿は、ふいに、口許に笑みを浮かべた。
珍しいその表情。ふと目を奪われそうなほど魅力的。
だけど和希はそれを見たくなかった。
そんな悟り開いたみたいな顔を、彼にさせたくなかった。
わかっている。和希も誰も、四六時中鈴鹿についていることなんて出来やしない。ストーカーがそんな甘いもんじゃないこともよく知っている。和希の言葉の方が、無責任な大言壮語だ。
鈴鹿は、立ち上がると、和希に深く頭を下げた。
「今まで、お世話になりました」
◇◇◇
「かーずき」
見上げていた夜空に、ちょこりと家主の顔が入ってきた。
「6月でも、ずっとこんなとこにいると風邪引くぞ? 服も汚れるし」
「………そういう家主さんも屋根の上にあがってるじゃないですか。危ないですよ?」
瓦を背にしたまま、和希は言う。
上泉邸の屋根の上で、星を見ていたのだ。
「そんなに落ち込んでるんですか?」
鈴鹿と対局な少年らしい声が耳にはいった。
これはさすがに声だけで誰かわかる。
「…慶史」
和希が体を起こすと、後ろで慶史がにこっと笑っていた。
斜めの屋根同士が合わさる最高点の部位、いわゆる棟、と呼ばれるところに上体をひっかけるようにして、うまく寝そべっている。
安定しているけど、服、超汚れるぞ、それ。あと眼鏡落としたら100パーセント壊れるぞ。
「なんだか随分和希が落ち込んでるから、元気づけてやってくれって、慶史に電話したんだ」
知有が手柄顔で言った。
確かに人選としては間違っていないが、慶史、断っていいんだぞ?
「えと、それで、神宮寺も呼んでみました――――
ん、あれ? 神宮寺?」
上泉邸には1ヶ所だけ2階がある場所があり、和希はそこから屋根の上に降りたのだが。
その降り口で、手すりにしがみついて震えている神宮寺がいた。
「……神宮寺、無理しなくて良いから!」
そう声をかけて、和希は慶史の額に寸止めの手刀を入れた。ちょっと当たった。「みんながみんな私らみたいな野生児じゃないんだからさ」
和希の手刀が当たった額をさすさすしながら、慶史は尋ねる。
「何があったんですか?」
「………ちょっと、くだらない自己嫌悪。
それから」
鈴鹿のことを話して良いのか、和希は迷う。
和希とてネットストーカーにこれまで悩まされてきたが、鈴鹿のように、想像を絶する執念で追いかけてくるストーカーの危険は種類が違う。1人で闘うなんて危険すぎる。
だが。鈴鹿は、和希に話しはしたが助けを求めはしなかった。
それを他の者に話せるか。鈴鹿のプライバシーを。話していいのか。
「自己嫌悪って。鈴鹿のことですか?」
和希は、はずした視線を再び慶史に向けた。
「当たりですか?」
「何でわかった?」
「客観的に話を聞いていれば。鈴鹿は何一つ悪くないですから。
いつかはそれに気づくだろうな、って、思っていました」
「……………………」
うわ、恥ずかしい。
その通りだ。最初から、鈴鹿は悪くない。
にも関わらず、巻き込まれるから、注目を浴びるから、鈴鹿が近づいてくることがトラウマだなんて。
本当に、自分の恥知らずさに反吐が出る。自分のことしか考えていない。
鈴鹿と会って間もない慶史だって、すぐに気がついたのに。
それに。
……高校の頃にだって、もう少し、鈴鹿のことを見ていれば、ストーカーのことに気づけて、少しでも鈴鹿の力になれたかもしれない。
「鈴鹿は」
自分へのいら立ちが言葉になって、口をついて出た。
「もう、サークルに来ないって」
「え?」
「……理由は言えないけど、謝っておいて欲しい、と」
サークルを巻き込まない。
それが、鈴鹿の意思なら。
自分はそれを尊重せざるを得ない。のだろうか?
「あのぅ………」
慶史とは違う声が、そこにまじった。
神宮寺だ。
屋根の棟の瓦に掴まりながら、へっぴり腰で震えている。
それでも、なんとかがんばってここまで来たようだが、見ていてやたら危なっかしい。
「神宮寺くん。無理しなくていいから…」
「………それは、本当に、鈴鹿くんの意思なんでしょうか?」




