武神を継ぐ少女(2)
────状況を説明するのにまず言及すべきは、この物語の主人公・三条和希19歳が、新しい住まいを探していた、ということだ。
きっかけは、10日ばかり前にさかのぼる。
天気の良い、5月の下旬の日。
「和希さん?
向かい、良いですか?」
聞きなれた、聞き心地の良い声に、和希は顔を上げた。
うどんと、小鉢のおかずの載ったプラスチックの盆を抱えた慶史が、目の前にいる。
大学の中央食堂の隅のほうで、ひとり食事をとりながら、大学生協でもらった部屋の資料を吟味していた和希だった。
「こんな混んでるのに、君の視力で私をよく見つけたな」
「いえ、その立て掛けてるものが」
「あ、これ?」
和希は、自分が学食の壁に立て掛けていた長い棒をちらりと見やった。
それは、和希の背よりも長い、頑丈な木に金属の縁取りがついた、いかつい六尺棒。
ただいま練習中の武器なのだ。
「天気いいし、ちょっと棒術のおさらいしようと思って。
武器系はなかなか難しいね」
「あの、それ構内でやるんですか?」
「慶史。言いたいことはわかる。
でも公園でやってこどもに泣かれるよりは、はるかにマシだと思わない?」
「……確かに」
後輩は苦笑いしながら和希の向かいに座る。
慶史は丁寧に手を合わせ、いただきますを言って食べ始めた。
「お引越し先探し、ですか?」
「………うん」
資料をにらみながら答える。
三条和希は、早急に引っ越し先を見つける必要があった。
和希は一部のネットユーザーに有名な存在である。
高校時代に、テコンドーとフルコン空手の全国大会を制覇して、最強女子高生として名前が広まった。
次に、とある事情から、しばらく関西一円の路上で性犯罪者を狩り歩いていた。
その他諸々のファクターが重なって、長年、彼女の個人情報を探ろうとするネットストーカーたちに付きまとわれていたのである。
そしてこの前、たちの悪い連中に、家がバレてしまった。
こういうとき、本当に残念なのだが、和希は女だ。
身を守るためには、引っ越しを早々にしなければならない。
「でも、良いところがない。
というか、予算が全然ない」
「養家から借りれないんです?」
「引っ越しの費用は借りようと思う、さすがに。
でも敷金礼金まではなぁ。
引っ越しは何とかなっても、京都は家賃高いし」
「いっそのこと寮は?」
「私が大人しく寮で生活できると思う?」
「1対50ぐらいの大乱闘になりそうですね」
「味方ゼロかい」
そんな世紀末な大学生活は勘弁してほしい。
和希はパサリと部屋の資料を手放し、食事に戻ることにした。
少しぬるくはなったが、一杯30円の学食の味噌汁の味はそんなに悪くない。
衣がパリパリした白身魚のフライも和希は好きだ。
「京都は学生の街だからさ。
完全に下宿みたいな、家の中の部屋を間借りさせてもらうような物件もないではないんだけど。そういうのは、今でも男子学生限定だったりするんだよなぁ」
「そうですね。
それに、あんまり安さを追及すると、防犯がやっぱり心配ですよね?」
「………うん」
あくまでも身を守るための引っ越しなのを忘れてはいけない。
ない袖は振れない。だが、安ければ良いわけではない。
一体どうしたものか。
「あ。そういえば。和希さん。
『新影』ってご存知ですか?
剣術の流派じゃないほうの」
「ん? 武道用品の?
撮影の影って書くやつ?」
和希も名前は知っている。
海外にも広く展開している、国内最大手のスポーツ用品メーカーだ。
武道関係も幅広く手掛けている。そして和希には別な関心もあった。
「それがどうかした?」
「下鴨にある『新影』の創業者のお屋敷で、下宿生を募集してるそうですよ」
「へ??」
お屋敷で、下宿生?
昔の書生などならともかく、なんともイメージが結びつきがたいフレーズだ。
「どういうこと?」
「2月に創業者の方が亡くなられて、お孫さんかどなたかが屋敷を相続されたそうです。
一人で住むには広いのと、武道場が併設されてるそうで。
武道か格闘技をしている若者限定で、下宿生を募集してるとか。
敷礼なしで光熱費込み二万円ぐらいらしいですよ」
「へぇ。道場つきなのはいいなぁ。
けどなんで慶史はそんなこと知ってるの?」
「杖術の先生からうかがいました。
お近くにお住まいで、生前の創業者の方とも親交があったようで。
面接受けてみないか、って学生に勧めてました」
「気軽だな、先生」
話の感じからすると、結構ガチな武道家・格闘家を目指している学生なんかを、支援の意味で募集してるような気がするのだが。
「日付は来週の日曜だそうです。
場所も教えてもらいました。
行ってみます?」
「うーん。
行くだけ行ってみたいな。
住むかどうか、合格するかどうかはともかく。
私は『新影』の創業者の屋敷を見てみたい」
「え?」
「『昭和の武神』の住んだ家を、この目で見てみたいんだ」
────そして迎えた当日。
「でかい。そして入り口がわからない!」
「京都のお屋敷あるあるですね」
和希と慶史は、綺麗に手入れされた白い土塀にそって、ひたすら歩いていた。
碁盤の目に道が走る京都という地に慣れていると、Y字にまじわる2つの川に挟まれた下鴨という場所は、どうも方向感覚が狂う。
細い道をあれこれ迷いつつ、どうにか、それらしい大きな屋敷の塀を見つけはした。しかし、入り口がわからない。
「個人宅だからか、門の場所なんかは携帯で検索しても出てきませんね」
「まぁ、塀に沿って歩いていけば、どこかで門があるだろ」
「そうですね」
性格は全然違うこの2人だが、わりとそういう、大雑把な手を苦にしないところでは共通している。
それができる体力もある。
迷路の出口を探すがごとく、塀に沿って歩く、歩く、歩く。
ちなみに慶史は、和希からもらった四尺二寸の棒杖を筒型ケースに入れて背負っていた。
始めたばかりの杖術、暇さえあれば棒を振って手に馴染ませたいとのこと。
「そういえば、和希さん」
「ん?」
「『昭和の武神』って何ですか?」
「ああ。『新影』の創業者の話?」
「『武神』っていうことは、武道家だったんですか?」
「いや、えーとね、少し違う。
彼は……」
そう言いかけて、和希はふと顔をあげる。
塀のかなり先に、正門らしき立派な構えの木の門が見えたのだ。
それが目に入った瞬間、慶史と和希は知らず知らずのうちに、走り出していた。