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京都学生格闘譚  作者: 真曽木トウル
第2話 傾城のアドーニス
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傾城のアドーニス(11)

◇◇◇




 上泉邸の庭の一角に、冷たい地下水を汲むことのできる井戸がある。

 その井戸の傍らで、鈴鹿は、汗で体に貼り付いたTシャツを脱いだ。



(……相変わらず)


 見惚れるような、いい体をしている。


 手足が長く細身の体を鍛え上げたその上半身は、和希よりも一回り厚い。


 うらやましい。けれど、うらやましいという感情を和希が抱くにはおこがましい体。


 なぜならあれは、空手の基本鍛練を気が遠くなるほど繰り返して作った体だからだ。

 松濤館空手しょうとうかんからてに始まり、あらゆる道場をたらい回しになることになりながら、それぞれで学んだことを書き留めて忘れず、繰り返す。

 科学的に見ると効率の悪いこともあっただろうけど。



 鈴鹿は、井戸水を汲むと、木の汲み桶の中に和希が渡したタオルを浸して、ぎゅうっ、と絞り、体の汗をぬぐい始める。



 シャワーを一足早く浴びて着替えた和希は、縁側に座って、その鈴鹿を見ていた。



『気を付けろよ。

 誰でもふと油断したら、この男が欲しいというやまいに堕ちる』



 男の先輩が、苦笑しながら鈴鹿について語っていた言葉を思い出した。

 そう、病は見る側にあるのである。

 決して鈴鹿の側にあるのではない。



 鈴鹿尋斗は、器用な方ではない。

 ただ、地味な鍛練を何時間でもやれる。それこそ朝から晩までも。気がつけば食事も休憩というものも、或いは睡眠さえも忘れている。

 我慢強いのではない。それを苦痛としないのだと本人から聞いたときは驚いた。

 その容姿以上に素晴らしく希少で妬ましい、鈴鹿の才能。


 多分、本当なら、ずっと同じ道場で、ひとつの武の道を極めたかったのではないだろうか?

 それを、周囲は彼に許さなかった。



 ひとしきり汗を拭き終わった鈴鹿は、和希のもとに上半身裸のまま来た。



「ほい」



 和希は、鈴鹿にTシャツを投げる。



「私のだけど、男物だからサイズは問題ないと思う」



 ついでに言えば、たぶん鈴鹿の好みのものだろうというものを選んでもいる。



「ありがとうございます」



 頭を下げ、鈴鹿はそれに袖を通した。



「座って」



 上下関係をかなり意識する男なので、先輩がなにも言わなければ多分立ち続けてしまう。だから和希はそう、指示した。

 人ふたりぶんほどあけて、鈴鹿は縁側に座った。



「………なんで君が追われてた?」


「俺が好きなんだそうです」



 わずかに、苛立ちのにじむ言葉。

 同じ問いを前に何度も答えたことがあるのかも。


 被害を、されたことを、わかってもらうために、何度も何度も、同じことを説明する、苦痛。そして、説明してもわかってもらえなかったときの、徒労感。それを和希も知っている。



『どうして彼女はあんなことまでしてきたのか』

『好きだからといってあれは異常では』



 続けて聞きたいことはそれだったが、きっとこれも、今まで何度も答えてきたことだろう。やめよう。



「自転車は?」


「壊されました。大学の前で、あの車の他に、数人に囲まれて。

 どうにか囲みを突破するので精一杯でした」


「なぜ、私と一緒に逃げようとした?」


 鈴鹿は、少し考えて。


「……三条さんが、俺の後輩に似ていたので。

 彼だと思われたら、殺されるかもしれないと思いました」


と、答えた。「俺と仲の良かった後輩を、敵視しているので」



 なるほど、合点がいった。


 鈴鹿と『土方理宇』が仲が良かったかは判断のわかれるところだが、しかし、鈴鹿にしてみれば、逃亡中に、後輩『土方理宇』に『酷似』した先輩・三条和希と出くわすなど、突然のことで判断に迷っただろう。


 結果として、鈴鹿の判断は正しかったと和希は思う。


 鈴鹿の数多いるファンたちは、『土方理宇』が、男の制服を着た女であることも、よく知っていて、『あの女』もそうだったから。

 あのまま和希がボーッと走っていたら、それこそ弓で射られた可能性もある。


 しかし。


 『あの女』、名前もこの期に及んで思い出せないが、破綻した論理を自分でも破綻していると気づかずに意気揚々と畳み掛ける。そういう人間だった。気がする。以前、鈴鹿を追いかけてあの道場に入り、即出入り禁止になったらしい、とは聞いていた。


 そうは言っても、そのときの彼女と、高校の制服をわざわざ着て、誰か別の人間が運転する車で追いかけてきて弓矢をぶっぱなす姿までは、やはり、飛躍がある気がした。


 何がどうなって、ああなったのか。



「ええと……高校から、ずっとストーカーってこと?」



 鈴鹿はうなずいた。



「俺が高校を卒業してから、酷くなって。

 前の大学も、それで辞めました」



 ズキリ、と胸が痛む。


 鈴鹿の口からの『辞める』という言葉が、痛い。

 今まで鈴鹿が追われた場所が、大学だけではないことを、和希は知っている。極真の道場の師範から聞いていた。



 松濤館空手を4歳から始めた鈴鹿だが、小学校入学前に早くも、彼を取り合った小学校低学年女子同士の決闘が勃発。双方の両親から厳重な抗議が入り、なぜか鈴鹿が、道場を辞めることになった。

 それ以降、恋愛沙汰、というよりも一方的に向こうに惚れられて起きるトラブルで、長くて2年、短ければ1か月で道場を辞めては別の道場やジムを探す、ということを繰り返してきたそうだ。

 友人関係も、中学まではしょっちゅう破綻したそう。

 友人の彼女に惚れられるなどのパターンで。



 『あの女』もある程度は把握しているはずだ。

 そんな鈴鹿に追い討ちをかけるようなことを、どうしてできるのか。どうして、という言葉が思わず口から出そうになる。



「大学を受験し直す時は、本当に、家族以外誰にも言いませんでした。

 さすがに大学も何もわからなければ、見つけられないだろうと思ったんですけど」


「それなのに、彼女は君を見つけた? どうして?」


「写真が拡散されてたそうです」



 そう言うと、鈴鹿はスマホを取り出して、その画面を和希に見せた。


 SNSの投稿だ。

 数枚の鈴鹿の写真に、

 


『どれだけ前世で徳を積んだらこんなイケメンに人工呼吸してもらえるのか誰か教えてください』



というキャプションがついていた。


 女性の口にぴったりと口をつけている写真、顔をあげたときの写真、和希に指示を出している時の写真。

 鈴鹿の顔がはっきりわかる。背景の荒神橋も。

 紛れもなく、ついこの間の心肺蘇生の時の盗撮だった。

 そして、それがさらに3万も拡散されている。



(…………マジか)



 和希は唇をかんだ。


 あのとき、周囲の人たちは女性を車から出すのを助けてくれた。

 心臓マッサージを代わろうかと声をかけてくれた人もいた。

 何かできないかとオロオロしながら、女性の手を握る人もいた。

 確かに、周囲の人には善意があった。みんな、女性の命を心配していた。

 なのに、誰とも知らない1人が、こんな盗撮を。

 3万人もの人間が、拡散を。


 ……怒りで思わず携帯を投げそうになった手を自分でかろうじて押さえる。忘れてはいけない、他人の携帯である。



「これをアイツがSNSで見かけて。

 家の金を根こそぎ使って、京都市内をくまなく探したんだと、得意気に言っていました。

 いまのところ、大学と学部までわかっているそうで」


「家の金?」


「アイツの言いなりなんだそうですよ、親も家族も。

 運転していたのは祖父らしいです」








無断の顔だしSNS投稿ダメ絶対。

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