傾城のアドーニス(9)
◇◇◇
「いただきます」
大学の目の前を通る大きな道路沿いに、かなり古くからある、学生向けの定食屋。
部活やサークルの練習後におなかをすかせた学生たちが食べるのを意識してか、定食はバラエティ豊かでボリューム多めだった。
揚げたてのカツや唐揚げや様々なフライなどが食欲をそそる。
今日の練習後の和希と慶史は、サークル全員での食事からは抜けて、学食でもなく知有の屋敷でもなく、ここに来ていた。
それぞれの注文した定食が運ばれて箸をつけ始め、少ししたら、慶史はおもむろに尋ねた。
「例の先輩って、鈴鹿ですか?」
わざとぼかした言い方をしたのは、周囲の人間を気遣ってのことだろう。
ただ、『例の先輩』だけで、だいたい伝わりすぎるのだけど。
「……………なんでそんなことを聞くの?」
「心づもりのためです」
慶史はそう答える。
「知っておかなければ、俺が注意できないことも多いかなと思ったので」
「聞く理由としては正しいな」
和希はうなずいた。そして。
「で、なんでわかった?」
至極軽い言葉で、慶史の問いに是と答えた。
「お顔に出ていたと言いますか」
「だろうね。冷静さの欠片もなかったからな」
なんと他愛なくバレてしまったことだろう。
まったく、この後輩は、人を的確に把握する。
「でも、鈴鹿の方は、それを…?」
「最初は若干疑っていたみたいだったけど、最終的には別人と思っているはず。
それは、顔だけは同じだろうけど背も伸びたし胸も出た。何せ、闘い方だけじゃなく、名前も違えば性別も違う」
「性別?
名前…は、変えていたんだろうな、って、わかりますけど」
和希はこれまで、無数の名前を使い分け、変え続けてきた。
『三条和希』は大学に入ってから。
高校時代、競技の大会に出る時の名前は『駒原和希』。
そして、高2から通っていた兵庫県三田市の県立高校では、『土方理宇』の名を使っており、高校に近かった道場でも土方を名乗っていた。
「鈴鹿さんはね」
ほろっ、と口をついて出た名前には、何故か敬称を加えていた。
「私のことを男だと思ってたから」
「…………はい?」
思い切り慶史の返事からちからが抜けた。
確かに、まったく意図していない言葉だったろう。
「いま考えると笑うんだけど、組手のとき『ファウルカップは大丈夫か』って聞くんだよ。
で、まだ168センチぐらいだった私に、『170は欲しいよな』とか言うし。薄々、変だなぁと思っていたら」
「………えと、なぜそんなことに」
「慶史は、私が、スカート完全に無理なの知ってるだろ。
制服が学ランかセーラーかという高校だったから、先生方と相談して、男の制服で学校通っていたんだ。
まぁ同学年はみんな私を知っていただろうけれど、あえてあの人に言う人もいなかったみたいで。
一人称が『私』の男子なんて、今時珍しくないしな」
「和希さんも、言わなかったんですか?」
「むしろ幸運だろうと思ってた。
私が女なことを知る人間が一人でも少なければ、そのぶんだけ、私を探している奴らが私を見つけ出す確率は減るから」
「鈴鹿に、いまもご自身のことを隠しているのは」
慶史の問いと同時に、和希はカツを口にいれた。大振りの分厚いチキンカツを、半分、食いちぎって。
衣が容易くはがれるほど、肉が厚く、柔らかい。
言ってもいいんじゃないですか、と、慶史は言外に言っている。
既にこの後輩は、鈴鹿に話しかけ、ある程度会話もする仲となっていたからだろう。人となりはもちろん悪くない。慶史が信頼できる相手だと思うような人間でもある。
しかし、和希からすればその答えは絶対にノーだ。
「いまだに、私のことを探している奴らがいるからね」
「………………」
「どこにいても目立つあの人とは離れておきたい、というのも本音なんだが。鈴鹿尋斗は、私を、私の居場所を特定しようという連中にしてみれば、大きな手がかりになる」
「その……鈴鹿を味方にできないですか」
「何をどう言って?」
「…………それは」
慶史は口をつぐんだ。
和希がおかれている状況を、慶史はいま、誰よりも正確に知っている。
鈴鹿に正体を明かすには、鈴鹿に和希の秘密を話さなければならない。
それをしろと言うことはできないだろう、和希の秘密を知っている慶史なら。
「……君が知っておいてくれればいい」
和希はそう言って、その話はそれで終わった。
あとは、近づいてくるテスト期間についての話題に移り。
どのように試験をうけるのか、という慶史の質問に和希は答えるなどした。
学生生活。考えるべきこともやるべきことも、山のようにある。
その日は久しぶりに慶史と一対一で話し込んで遅くなり、知有に「帰りが遅い」と怒られる羽目になった。
しかし、事件はすぐそこまで近づいてきていたのだ。
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