傾城のアドーニス(7)
鈴鹿と向かい合い、再び和希は足を上げる。
先ほどより微妙に間合いを取る鈴鹿。一度腹に食らったことで、和希の横蹴りの間合いを覚えたらしい。
(だったら)
軸足を前にスライドさせながら、和希は蹴り足を上に伸ばす。
上段横蹴りの形で足刀が鈴鹿の顔に触れ、一瞬観衆がどよめく。
鈴鹿は動じず、顔をひねって和希の足を外しながら鋭く踏み込む。
和希のわき腹に、中段逆突き。
ギリギリ届いた、というに近い。当ててすぐ鈴鹿は引く。速い。
(……だけど)
和希も足を一度引いていた。膝を中心に回した足は、鈴鹿の腕をかいくぐる。コンパクトな回し蹴りで、つま先をわき腹に蹴りこむ。
鈴鹿の眉がピクリと動いたのが、スローモーションのように見えた。
その蹴り足を下ろして地面につく前に、振り子みたいに、後ろ足を振り上げる。
「…………ッゥッ!」
シンプルなミドルキックを腹に沿うように叩き込んだ。
初めて声を出させた。
そうして和希は再び距離をとる。
鈴鹿が左前、和希が右前、いわゆるオープンスタンス。
後ろ足の蹴りが相手まで遠いため、後ろ足の蹴り単体で使うのは難しい。
背面への攻撃は反則である。
体勢的には、より体が前を向いていて、かつ直線の蹴りの間合いに劣る鈴鹿が圧倒的に不利だといえる。
今の今まで和希が鈴鹿を圧倒しているのは、そこが大きいだろう。リーチの差もある。
鈴鹿も、男にしては顔が小さく手足が長い体型だったが、それを和希は上回っている。
とはいえ。
(……さすがに、気づくだろうな)
今回はKOなし(というかさすがに出来ない)のノンストップ2分。
さすがにそろそろ、鈴鹿はテコンドーの弱点にも気づくだろう。
和希が、基本的に極力短い時間で相手をKOしようとするのは、2つ理由がある。
1つは、相手が男の場合、闘いが長引くほど筋力差と体の頑丈さの差が響いてくるから。
2つめは、こちらの弱点に気づかれる前に仕留めたいから。
通常和希は、相手に合わせ複数の格闘技を組み合わせて、弱点を極力カバーする闘い方をする。
しかし、今の和希は、鈴鹿の知る後輩ではないふりをするために『テコンドー家』でいる必要がある。
鈴鹿の足が、少し大刻みにステップを踏み始めた。
来る、と足を引いた瞬間とんでもなく速いローキックが和希のすね先をかすめていった、と思ったらその足をそのまま下ろして軸足として、和希の頭を上から撃ちおろすハイキックが襲う。
思わず、とっさに肘で迎撃し、すこし鈴鹿が痛そうな顔をしたが、和希はそのまま距離を取る。
ぞくり、と原始的な感情が背中を撫でる。
周囲がどよめくのが聞こえた。
だろうな。と和希は思う。
さっきのは、加減しなければKOできた蹴りだ。KOが許されているならば。
テコンドーの弱点に気づいたのらしい鈴鹿は、また、大刻みなステップで機を伺う。
…………大正解。
テコンドーは重心が高くなりがちで、回転系のものなどバランスが繊細な蹴りが多く、競技ルールにローキックがない。
すなわち。弱点は足元だ。
シンプルにローを蹴る。足を払う。そういったことに非常に弱い。
下段を蹴り上段を蹴る、という、ごくごくシンプルなコンビネーションに和希が対応し損ねたのも、そこにある。
普段の和希ならばここで、自分も下段に対応できる、と示す。相手のローをカットしまくったり、自分もローを蹴れると見せつけたりするところだ。
しかし今日はそうしない。
すべての集中力をかたむけて、鈴鹿を見る。ローを警戒されていると思ったか、上段突きを打ってきた。
和希は跳んだ。
瞬間的に跳び回りながら、うしろに足を伸ばす。
鈴鹿の腹を蹴り、大きく距離を取って着地した。
跳び回転後ろ蹴り。
ものを壊す演武などでも使う、破壊力の高い蹴りのひとつだ。
これも鈴鹿は食らったことがないはず。
さすがにすぐにはローを蹴りに来れないらしい鈴鹿に、和希は再び跳躍した。
「!?」
面食らう鈴鹿の顔にワンツーを撃ち、着地とともに、肩にかかと落とし。対応できない鈴鹿。
跳んでパンチを打つ、ティミョチルギも初見だろう。かかと落としはどうかわからないが、慣れてはいないはずだ。
鈴鹿が知らない、鈴鹿が見たことがない蹴りを、和希はまだまだたくさん持っている。
ローを警戒しながら、それを蹴って蹴って蹴りまくる。
そう決めて、再び距離を取った和希。
ふと、鈴鹿の動きが変わった。
再び、小刻みに。
そうして、和希の顔を穴があくほど見つめる。
………ああ、と、和希は鈴鹿の意図を察した。
和希が今回鈴鹿に勝つことが目的ではないように、鈴鹿も、和希に勝つことが目的ではない、ということか。
これは、一番得意なものを狙っているときの鈴鹿だ。
一応こちらも蹴りなど撃ってみるが、ディフェンスに力を割いているせいか鈴鹿はうまくさばく。
そうして、虎視眈々と機を狙っている。
(………相変わらず、人を追いこむのうまいわ、この人)
いまここで試されているのは、和希の技量でも強さでもない。
強いて言えば、どれだけ腹をくくれるか、だ。
本当にもう。
こんなに強い男には、大学で出会いたかった。
和希は、また足を自分の前に構える体勢に戻った。
鈴鹿は変わらず冷静にこちらをよく見ている。
和希が蹴りを探るように撃っても、辛抱強く、その時を待つ。
………和希が足を前に下ろした。
その瞬間、視界から鈴鹿が消えた。
「………ッ」うめいたのは和希。
鈴鹿がいたのは、和希の懐。
瞬間的に身を沈め。
和希のみぞおちに、中段逆突きを突き込んだのだ。
鈴鹿が一番得意で、高校の頃も何度も何度も食らい、腹が立ったので対策を試行錯誤して、最終的には絶対に食らわなくなった、その中段逆突きが、何年ぶりかで和希の胃に刺さっている。
「時間です」
慶史が声をかけた。
鈴鹿が体を引き、和希も一歩足を引く……と思ったら、よろめいた。
それはそうだ。
鈴鹿の本気の中段逆突きならば、あれだけ綺麗に食らえばしばらく立っていられない。
だいぶ鈴鹿は加減していたようだが、痛い。息が、つらい。
わざと食らうなんて、もう二度とごめんだ。
「ありがとうございました」
和希はテコンドー式の、鈴鹿は空手式の礼をして、2分間のスパーリングは終わった。
2人とも防具を外し、マウスピースも外す。
鈴鹿は外した防具のバンドをくるくる巻き、丁寧にまとめると、
「ありがとうございました」と和希に差し出した。
「あ、はい。お疲れさまでした……」
まだ胃が苦しい。
和希は防具を受けとると、自分の荷物のもとに行き、しまっていた袋の中に、無造作に突っ込んだ。
「大丈夫でしたか」
うわびっくりした。また鈴鹿が気づけば近くにいた。
「最後の中段」
「…………大丈夫」
和希は、よき先輩を装い、ひきつる顔の筋肉をどうにか笑顔に動かしてみせた。
鈴鹿尋斗め。
中段突きをあえて撃って、こちらが避けるかどうかを見てやがった。
でも、さすがに、ここまで完璧にやりきれば、彼の中での疑いはとけただろう。
目の前にいるのは、『テコンドー家』の『三条和希』。
鈴鹿の知っている後輩では、ない。
「最後に、ひとつ聞いてもいいですか?」
「え? あ、ああ……」
笑え、笑え、と自分に言い聞かせながら、和希は、鈴鹿の次の言葉を待った。
「土方という姓の親戚はいませんか?」
和希は、首を横に振る。
「そうですか……」 鈴鹿が初めて、ため息をついた。
「わかりました。では」
ようやく、鈴鹿が和希に背を向けて。離れていった。
◇◇◇




