傾城のアドーニス(5)
◇◇◇
「おっはよー!
今日の朝食は、美味しい納豆があるぞ!」
翌日も朝から知有の元気な声で起こされ、また、自分の上にダイブされる。
え、これ、毎日続くのか?
と和希が面食らううちに、体の上の布団を剥ぎ取られる。
「和希が納豆食べられて良かったぁ。
さぁ、早く早く着替えて!」
「………了解です」
少し寝る時間を早くしないと厳しいかもな。と、思いながら、和希は頭をかいた。
────本日の朝食。
湯気を立てる白いごはん。
小鉢にはいった納豆(知有の中ではこれがメインディッシュらしい)。
さやいんげんの甘辛肉巻き。
ふっくらしたおあげと白菜の味噌汁。
ブリの塩焼き。
香ばしい醤油とお出汁が香る卵焼き。
その他。
またしても大座敷で二人、知有と朝食をとる。
毎朝、お品書きを筆文字で書きとめたら楽しそうだな、と、他愛のないことを思いながら、和希はひとつひとつ平らげていく。
納豆は、知有のオススメだけあって驚くほど美味だった。
米飯をおかわりなどほとんどしたことがない和希が、思わずおかわりをしてしまうほど。
わらづとで作ったやつらしいぞ!、と知有が補足した。
この屋敷では、数名のハウスキーパーが交代で食事を用意しているらしい。
上げ膳据え膳に慣れない和希としては、まだ落ち着かないのではあるが、これだけ美味しいものを用意してくれているのは、ありがたい。
「和希。昨日はおつかれさま。がんばったんだな。
事故の件、ニュースでやってたぞ」
「あ、そうだったんですね」
「救急車で運ばれた人、後遺症とかなく回復するといいな」
「そうですね……」
不意に、皿の上に箸を取り落とした。知有に謝り、箸を拾う。
手が一瞬震えた気がした。
まる1日もたっていない、ほんの少し前、この手の中に人の命があったのだ。不思議な感じがした。
自分一人であの命を繋いだわけじゃない。
周囲の人の力あってのことだし、それ以上に『彼』がいなかったら、自分ごときに一体、何ができただろうか。
………まぁ。それはともかく。
残念ながら、あの『彼』は、和希にとっては、2度と会いたくない相手だった。
『彼』も京都に来ていたとは驚きだが、たまたま通りすがったのだろうし、さすがに何年ぶりかに和希の顔を見ても、確信を持つまではいたらなかったのではないかと思う。
おそらくもう2度と会うことはない。向こうも、特に和希に会いたい理由はないだろうし。
もう忘れよう。そして食事に集中しよう。
食べ終わったら今日の講義と実験の準備。
夕方は、大学の中央図書館で勉強してから道場行こう。
語学の課題は今日の夜だ。
やることなんて、それこそ山ほどある。
そう思いながら、和希は箸で、ふっくりした卵焼きをつまんだ。
◇◇◇
しかし。
事故から1週間後。
ちょうど同じ月曜日。
「文学部1回生の鈴鹿尋斗くんだ」
先週と同じ、荒神橋たもとの河川敷スペースで、新たなサークルの見学者を嬉々として紹介する、副部長・新橋の姿があった。
新橋の横には、和希が2度と会いたくなかった、『彼』が立つ。
漆黒に碧の光がまじった、黒曜石に魔法をかけたような瞳。
神がかった、と評されたその顔は、ただただ完璧で、それでいて完璧と呼ぶだけでは圧倒的にたりない。
和希の目から見てもそういう顔だった。
美は時代と共に移り変わり、普遍的な美などないはずなのに。
他人を見た目で評価したくない、他人の見た目に優劣やランクをつけたくない、そのような良心までもが、彼の顔を見ることで暴力的なまでに破壊され、否応なしに彼が万物の頂点であると認め屈さざるを得なくなる。
……という容貌だ。
彼に恋して、道を誤り、誇張ではなく人生を狂わせた男女がどれだけこれまでいたか。
思わず、慶史のうしろに隠れた和希だが、手の中に、冷や汗が止まらない。
なぜ、どうして、ここに来た。
しかも、新入生として。
わざわざ、このサークルの見学に。
色々と予想外すぎて、本当に混乱しかない。
「ちなみに彼は、この間、うちの三条と一緒に人命救助した勇気ある男で────」
私の名前を出すなバカ副部長。と、心中で思わず罵倒する。
そんな新橋は、身長信仰は都合よく忘れたらしい。
主将日比谷と副将新橋は、鈴鹿のために、新たに『神イケメン』なる言葉を作り出していた。
紹介されている間は、にこりともせず、真面目な真顔でいる鈴鹿尋斗は、しかし、『三条』の名前が出た瞬間、怪訝そうな表情をちらりと見せた気がした。
鈴鹿が入部するとは限らない。まずは今日、活動時間の終わりまで、どうにかやり過ごそう。
おあつらえ向きに、神宮寺に群がってきていた女子部員たちが、今度は鈴鹿の方をすごくギラギラした目で見ている。
彼女らが鈴鹿にずっとまとわりついてくれればいい。
そう考え、各部員を和希が見回していると、ふと、神宮寺と目があった。
その表情は頼りなげで不安に満ちている。
これから先のことを恐れている、風に見えた。
声をかけるにかけられない距離の和希は、口パクでも何か言ってやりたくて、でもかける言葉を思いつかなかった。
◇◇◇




