こうして伝説は相成った。~アイーシャ姫の物語~
サンクリルナ国王の娘、アイーシャ姫が勇者召喚の知らせを受けたのは、春になって間もない頃のことだった。
魔王の誕生に合わせ、神具を使うことで召喚される勇者。
世界を脅かす魔王に対し、勇者を召喚するのだから、国の一大事、世界の一大事と言っても過言ではない。
しかし、お付きのメイドからそのことを聞いたアイーシャ姫は、
「まぁ、私には関係のないことかしら」
窓の外に広がる景色を眺めながら、そんなことを言った。
アイーシャ姫は長い間、王城の中でも隔離された小さな塔の中で暮らしていた。
呪いにも似た祝福のせいだ。
その祝福は、相手がいかなる人物であれ、アイーシャ姫の姿を見たもの、その声を聴いたものを必ず恋に落とす。
血の繋がりのある者はその対象外だったが、如何に優れた魔法使いであれ、如何に強靭な戦士であれ、その祝福には敵わなかった。
姫が一五歳、サンクリルナにおいて成人とされる年齢になると共に発現したその祝福は、国の重鎮達に多大な影響を与え、一時国政にも支障が出た。
大臣や騎士団長などが熱に浮かされたようにアイーシャ姫に夢中になったからだ。
姫に魅了されてしまった国の重鎮はこぞって自らとの婚姻を望んだが、姫が誰か一人のものになってしまったならば、嫉妬でまた国が揺れてしまう。
姫が生まれた時から持つ美貌も、美声も、美しい心も、その祝福のせいで活かせなくなった。
外に出せばあらゆる男が魅了されるのだ。軽々に結婚というわけにもいかない。
かといって、姫を生涯独身というわけにもいかない。姫自身に咎はなく、国王唯一の子供なのだ。 姫は扱いは難しいと判断され、城の一角に、半ば幽閉される形で暮らすことになった。
そんなアイーシャ姫にとって、その塔の外でのことは関係がないことのように思えた。
しかし、それでも噂は耳に入る。
前魔王が先代勇者に倒されたのは二〇年ほど前になるらしい。
今回の魔王の誕生は世界を震撼させた。
本来ならば魔王は五〇年に一度誕生するはずだからだ。
その報せを受けて、光の宝玉の力を使って勇者の召喚が行われた。
本来ならば五〇年もの間、魔力を注ぐことによって万全となる神具だ。
成功するかは怪しかったが、見事に異世界から勇者を召喚することが出来た。
だが、その勇者は歴代の勇者と比べても明らかに凡庸だったらしい。
今までその存在を観測された五体の魔王に対し、光の宝玉と呼ばれる神具で召喚された勇者も五人いる。
初代勇者ーー女神の分体と共にあり、今なお歴代最強と呼ばれる。
二代目勇者ーーあらゆる生物と語ることができ、当時の竜王を友とした。
三代目勇者ーーきまぐれな四大精霊全ての加護を得た。
四代目勇者ーー歴史に名を遺した英雄の力を借りることが出来た。
五代目勇者ーー大地と森に愛され、とめどない魔力供給を誇った。
召喚された勇者は仲間を別に、何かを供として魔王と戦った。
魔王と勇者の頂上決戦に、介入できる存在など皆無だからだろう。
しかし、今回召喚された勇者には何も特別な力はなかった。
勇者の資格たる聖剣を持つことは出来たが、それだけだ。
武技もなければ魔力も人並み。
やはり光の宝玉を使うには早すぎたのではないか、と宮中では噂になっているらしい。
市民にも勇者召喚については公にはされていないとのことだ。
そんな噂を耳にして姫はこう独り言ちた。
「異世界から来た勇者様も、大変なことね」
勇者であればもしかしたら自分の呪いも効かないのではという淡い期待があったが、この分では期待できないだろう、と姫は落胆を深めるばかりだった。
二代目勇者のような人間以外の生物に対する魅了のような力があれば期待できたかもしれない。あれも一つの魅了の祝福と言っていいだろう。同じような能力の祝福があれば、姫の呪いじみた祝福も効かない可能性は期待できた。
五代目勇者のように自然物と交感できる力があれば、姫の呪いを解くすべさえ見つけたかもしれない。
だが今回の勇者には何の力もないのだ。
期待するだけ空しいだろうと姫は思った。
不完全な勇者。
しかし、それが姫にとって特別な存在になったのは、それから三日後のことである。
魔王の配下、第三階位吸血鬼シャンドルが城に襲来したのである。
魔族の中でも一〇本の指に入る種族である吸血鬼。
その吸血鬼の中でも指折りの実力を持つのがシャンドルだった。
勇者召喚の直後にここまで強力な魔族がやってくるなど、三代目の時以来のことだった。
「やあ、こんにちは」
塔の自室で寝ていた姫にシャンドルは愉快に話しかけてきた。
慌てて飛び起きて、部屋の隅まで逃げたが、狭い部屋の中のこと、さして意味はない。
部屋の外にいた女騎士三名が気配に気づいて部屋の中へやってきたが、一人は一撃で気絶し、一人は部屋の壁を突き破るほどに飛ばされ、一人は血を吸われて砂となった。
「ふむ、隔離された所にいるかと思いましたが、勇者はここにはいないので?」
動物にアイーシャ姫の祝福が効かないように、シャンドルにも効いてはいなかった。
「なんで、こんな時くらい、役に立ってよ」
思わず呟いた姫の言葉にシャンドルは首を傾げるばかり。
だが、すぐにその顔を歓喜のものへと変えた。
「あなた、面白いですね。妙な祝福がある。ちょっと味見してみてもよろしいですか?」
「いや……いやっ!」
「ふふふ。それ、私が聞くと思ってますか?」
先ほど女騎士を殴り飛ばした時のような俊敏な動きではなく、ゆっくりと、緩慢な動きでシャンドルは近づいてゆく。獲物の恐怖すら、シャンドルにとっては愉悦の一つだった。
逃げられる場所はなく、抵抗する手段もない。
姫の細首にシャンドルの手が触れようとした時、その動きがピタリと止まった。
「これは……勇者の気配か?」
そうシャンドルが呟いた直後、塔の屋根から何かが落ちてきた。
細かい木くずと瓦礫と化した屋根が降り注ぐ中、姫とシャンドルの間に割って入ってきたのは、年の頃一七ほどの少年だった。
着地すると共に、少年は剣を振った。
シャンドルはそれを間一髪のところで後ろに飛んで回避する。
だが、その足が床に着地する前に、少年は一気に距離を詰め、再び剣を振るった。
先ほどの一振りとほとんど同じ。
だが、先ほどとは違い、その一撃の直前、少年が握る剣は眩しいほどの閃光を放っていた。
「これが、聖剣!」
放たれた一撃は光を放ち、姫の部屋の半分ごとシャンドルを吹き飛ばした。
本来ならば髪の毛一本からでも再生できるシャンドルだが、まとめて消し去られてしまえばひとたまりもない。
目の前の脅威が一瞬で消え去ったことに呆然としていると、少年が振り返った。
聖剣の一撃でかなり見晴らしが良くなったせいで、溢れんばかりの月光に照らされた少年と目が合う。
「ご無事ですか、姫」
少年の言葉にゆっくりと姫が頷くと、少年は笑った。
「良かった」
姫は長らく男性というものと接していなかった。同年代の異性を見たのは、もう二年以上前になる。
それもあるだろう。
だが、まだ少年らしさが残る男性の声、心底安堵したような笑顔、姫の危機を救ったその武勇を目の前にして、姫は自身の心臓が高鳴っていることを感じた。
少年はそんな姫の様子に首を傾げる。
「どうされました? ……もしかしてどこか怪我でも!?」
そう言って少年は走り寄ってきた。
その動きに、祝福のことを思い出して姫の体は思わず強張る。
だが、姫の心配をよそに少年は姫のあちらこちらを見て、その手を取り、しげしげと眺め、姫を見上げた。
「怪我はなさそうですが、大丈夫ですか?」
至近距離からの少年の真っすぐな瞳。その視線と合うだけでも姫の鼓動はより一層早くなる。
「あの、あなたは大丈夫なのですか?」
「ええ、大丈夫です。ご心配なく」
少年の言葉に姫は首を横に振った。
「そうではなくて、あの……私の祝福はご存知ですか?」
「ああ、ええと、はい。そういう意味でも大丈夫ですよ。ご安心ください」
姫のか細い声に少年は笑って頷いた。
その表情に、熱はない。
これまで姫の祝福の対象になった者に見られるような、狂気めいた熱さはなかった。
「では、何故私を助けてくれたのですか?」
「え?」
姫の言葉に少年は呆けたように言葉を漏らした。
それから姫を訝しむような視線を向け、うーんとしばらく唸ると、困ったように笑ってこう言った。
「いや、それは、困ってる人がいたら助けるものじゃないですか」
姫だからというわけではない。
美しいだからでもない。
ただ性根がそうであるからのその発言。
ロマンもへったくれもないその言葉。
だが、祝福を受ける前から美しさを褒められ、祝福を発現してからは多くの者から熱に浮かれたような言葉を貰っていった姫にとって、己を危機から救ったのが、ただの善性の発露だということを知り、衝撃を受けた。
姫はその瞬間、少年にーー六代目勇者に恋に落ちた。
一夜明け、勇者は国王に呼ばれ、直々に称賛された。
数日前までにはなかった存在感を放つ勇者に対し、まさしく真の勇者の行いであると絶賛だった。
そのタイミングで姫が国王の元にやってきた。
慌てたのはその場にいた国王含めた国の重鎮達である。
姫の姿を見るのは、実に二年ぶり。齢一七の姫はその美しさにより一層磨きをかけていた。
だが、その姿に、以前姫の祝福の対象となった者は首を傾げた。
胸の奥から溢れ出てくるような感情がやってこないからだ。
そうして周囲が困惑する中、姫は美しい声で宣言した。
「当代の姫として勇者様の旅に参加しようと思います」
類まれな祝福を持つ姫は、治癒魔法の使い手でもあった。
勇者の随行において、身分としても能力としても申し分はない。
だが、国王は疑問を口にする。
「一人娘を危険な旅に出したくはないが……勇者よ、お前はどう思う?」
姫の力は肉親以外には例外なく発揮してきた。
それならば姫の随行を勇者が喜ばないわけがない。
だが、勇者は国王の言葉に苦々し気に顔を歪めた。
「女の子を連れて行くのはちょっと……」
その渋い反応、ともすれば不敬とも取れる対応に国王は驚いた。
姫に魅了された者ならば、まず喜ぶはずの場面で、むしろ嫌がってみせたのだ。国王が驚くのも無理はない。
そんな国王の驚きを無視して、今度は姫が勇者に声をかけた。
「勇者様」
「……はい、なんでしょう」
姫に対して、渋々といった様子で言葉を返す勇者。
その反応に姫は思わず笑みを浮かべる。
「勇者様は吸血鬼を退けるほどのお力をお持ちですが、この世界の方ではありません。土地勘はないでしょう。また、治癒のお力もお持ちではないと聞いています」
「そ、その通りです」
勇者と目を合わせて姫はすらすらと言葉を紡ぐ。
姫の美貌を前にしても、勇者は欠片も照れない。困惑の色しか見えない。
昨晩の勇者は、強敵を前にしたからあの対応だったというわけではないことを知り、姫は歓喜でいっぱいになる。
「であれば、治癒魔法の使い手が随行するべきでしょう。そして、その誉れは我がサンクリルナの王族に是非とも頂きたいのです」
「……いや、でもですね、やっぱり」
「勇者様」
「はい!」
姫の声に勇者は思わず背筋を伸ばした。
そんな姿にますます機嫌を良くする姫は出来る限り美しく、全力の笑顔を作って勇者に言った。
「お願いできますか?」
「……わかりました」
項垂れるようにして頷く勇者の姿を見て、姫と国王、周囲の人間たちは確信した。
姫の祝福はなくなったのだと。
そして国王と周囲は確信する。
姫は勇者に恋をしてしまったのだと。
姫自身が望み、勇者が了承した以上、覆すのは国王以外には難しい。
そして国王は、姫の祝福がなくなったことと、姫と勇者の子供が次期国王になることへの期待、親として姫の初恋が実るようにと姫の随行を許可した。
こうして六代目勇者の最初の仲間は、サンクリルナ第一王女アイーシャ姫と相成った。
ちなみに言えば、別に姫の祝福はなくなったわけではない。
それまでは姫の祝福は周囲にただ漏れ出るように垂れ流されていただけだった。
それが、勇者一人に向けられるようになっただけのことである。
姫は生涯にわたって勇者のみを愛したから、それを余人が知ることはなかった。
ただそれだけのことである。
第一話アイーシャ姫の物語。
あと三話続きます。




