156話 束の間
通された別室の壁にもたれ一人膝を抱えていると、頭上にフッと影が差した。
つられて見上げれば、そこに立っていたのは輝く白い髪が美しい褐色美女。
マグカップを片手に持ち、心配そうに私を見下ろしている。
「リリシアさん、これを飲んで落ち着きなさいな」
「ど、何方ですか……?」
しかし謎の美女からは竜神妃様と似た声がした気もする。
「わたくしですわ。竜神妃。驚かせてしまったかしら」
「やっぱり竜神妃様!?」
アラビアンの踊り子みたいな衣装を身に纏ったナイスバディの美女が、クスクスと笑う。
こ、これが人型になった竜神妃様……。
竜の名残は縦に長い瞳孔だけで、手足も完全に人そのもの。褐色肌なのは竜人と同様だけれど、表面には鱗が全くない。
どう見ても竜だったとは思えない出で立ち――いや、竜人よりも人に近いぐらいだ。
竜人は肌の一部に鱗が残ったり、角や尻尾があったりと何かしら特徴がある。
間近でお目に掛かったことはなくても、得ている知識に間違いはない。
「今でもたまにこの格好で、ここから下に降りるのですわ」
「めちゃくちゃ目立ちませんか!?」
「肌が見えないようローブを被れば大丈夫よ」
マグカップを差し出しながら、竜神妃様はニコリと微笑む。
いやいや、まずその美貌。相当目深に被らないと無理だよ絶対……。
「熱いのでお気を付けて」
「ありがとうございます。これ、どうされたんですか?」
本来の姿で使うにはあまりにも小さ過ぎる食器。
私をこの部屋に案内してくれた後、わざわざ調達してくれたのだろうか。
「竜人が訪れることもありますから、人型サイズの食器や飲み物も常備していますの」
「なるほど」
更なる手間を掛けてしまったのではなくてよかった。
改めてカップの中を見れば、ホットチョコレートが湯気をくゆらせている。
甘い匂いに吸い寄せられ一口飲むと、じんわりと身体に染み込むようで気分が少し落ち着いた。
「とても美味しいです」
「そう? お口に合ってよかったですわ」
穏やかな笑顔の竜神妃様に見守られ半分ほど飲んだ時、ふと大事なことを思い出した。
「やばい、兄様を放りっぱなしだった!」
別れてからどれぐらい時間が経ったっけ……?
大惨事になっていたらどうしよう!
「結界の外にいる魔人でしたら、大丈夫。竜王が相手をしていますから」
「えっ」
「お互い楽しそうに戦っているようですわよ?」
兄様……。
そして様子を見に行ったはずがなぜかガチバトルしている竜王様が後で竜王妃様にどやされないか心配。
「兄妹揃ってご迷惑をお掛けします……」
「いいえ。久しぶりの来訪者で楽しい限りですもの。破壊は勘弁ですけれど」
本当ごめんなさい!
「あの、なぜ竜種以外は立ち入り禁止にされたのか、伺っても?」
居た堪れなさ半分、探求心半分で訊いてみる。
竜神妃様は目をパチリと瞬いた後、複雑そうに切り出した。
「リリシアさんも、竜種が薬の材料や武器・防具の素材として役立つのはご存知でしょう」
「……はい」
「遥か昔に周知になってしまって以来、襲われるケースが少なくないのですわ。エルフを筆頭に、時には数に力を任せた人間まで」
身も蓋もなく言ってしまえば、それぐらい良質な薬や武器・防具が作れる魅惑の素材なのだ。
地道に魔草や魔花を育てて精製したり、多種多様な魔物の素材を組み合わせなくても垂涎物の品が出来上がる。
だから人間まで危険を承知で、手を出すこともあるのだろう。
確かホムラくんもエルフの集団の罠に嵌まったと言っていた。
竜種は襲う側のイメージが強いけど、ホムラくんから聞いた話では、この世界の竜種は意味もなく他者を襲ったりしないそうだ。
必ず理由があり、且つ己の欲を満たす為や享楽では決してない。
それが竜種としての矜持だと、いつだったか誇らしそうに教えてくれたことがある。
「ですから心安らかに暮らせるよう遥か上空に住み、同種以外の立ち入りを拒むようにしたのですわ」
「そうでしたか……」
知れ渡ってしまった理由には諸説あるようで、ハッキリしないらしい。
なんだか聞いている内、前世で言うところの人魚伝説を思い出した。
人魚の肉を食べると不老不死になる……っていう、他者の利益で一方的に狩られてしまうアレ。
魔物のお肉を食べている私が言えた義理じゃないとはいえ、モヤモヤする。
「わたくしも質問していいかしら?」
「はい。何でも訊いてください」
それから竜神妃様と色んな話をした。
私がここに来る経緯やお城でのホムラくんの様子、竜神妃様の人型お忍び冒険譚まで。
とても気さくで大らかな人柄に、私はすっかり大ファンになってしまった。
「少し二人の様子を見て来ますわ。リリシアさんはここで待っていらしてね」
暫くして竜神妃様が部屋を後にした。
壁に飾ってある時計で時間を確認すれば、もうすぐ半刻が経とうとしている。
「ホムラくんたち大丈夫かな……」
誰もいなくなった部屋にポツリと漏れる不安。
竜神様は御目通りの間に、イノリトワさんは自室へと戻っているので、大きすぎる部屋に私一人なのだ。
竜サイズに設計されているので物凄く広く、余計に孤独感を煽られる。
段々と分針が時間を刻む音すら妙に大きく聞こえてしまう。
竜神妃様の存在がいかに心を和ませてくれていたか、思い知らされるようだ。
窓の外でも見て気を紛らわそうと立ち上がった時、控え目な足音が近付いて来た。
それでもズンッと重く響くのは身体が大き過ぎるせいだろう。
『…………だ、いじょうぶ?』
足音の主は可憐な白竜――イノリトワさんだ。
どうしたのかと思ったら私を心配する第一声。
心細さで弱った理性が崩壊し、彼女に飛びついてしまった。
「好き……!!」
『ひぁっ!?』
「もう可愛すぎる……」
翼をバタバタさせて狼狽えるのにも構わずにハグしまくる。
鋼のような鱗に擦れてちょっと痛いけどいい!
『ケガ、しちゃう……!』
「自分の身より私の心配を……!」
『うぅ……。離、れて?』
泣きそうな声になってきてしまったので、渋々離れることにした。
セクハラはあかん。
「……同性とはいえ襲ってごめんなさい」
『? 襲、う?』
抱き着いた事だと説明すれば、あわあわと再び狼狽え出す。仕草がツボすぎる。
「もしかして、心配して見に来てくれたんですか?」
『元気、なかった……から』
もう一度ハグしようとしてなんとか踏み止まった。
駄目だ。ついソラに接するみたいに気安くしてしまう。ステイ私。
「ありがとうございます。嬉しいです」
人見知りなのになんて優しいの……。まさに天使。本物はここにいますよ!
『……敬語、じゃなくて……いい。名前、も』
「はい……じゃなくて、うん。分かった。じゃあイノリちゃんて呼んでもいい?」
『う、ん』
「私のことも好きに呼んでね。リリシアだよ」
イノリちゃんは視線をウロウロ彷徨わせると、小さな声で呼び掛けてくる。
『…………リリシア、ちゃん』
萌 え 殺 さ れ る。
あまりの衝撃に膝から崩れ落ちた。
四つん這いの状態で床に向かって昂ぶる気持ちをぶつけていると、ふいに視線が黒く染まる。あれ?
――この感触は多分、人の手。
「だーれだ?」




