146話 一歩前進?
翌日の稽古は身が入らなくて、バルレイ将軍に地獄のような追加メニューを食らった。腕と太腿が死ぬかと思った。
なんで腕立てやスクワットって異世界共通なの……。
それでもなんとかこなし、ウェンサ帝国へ復旧作業をしに行ってきた。
エミットくんのお父さんは思ったよりも回復が遅く、床に臥せたまま目が覚める気配がなかったので心配になり、上級回復魔法をかけ一発回復してもらった。
復興半ばなお城の状態を見て再び気絶しそうになったけど、そこは一国の主。
踏み止まってくれたので全ての事情を説明することができた。
正直、憔悴状態からのムキムキチェンジぶりに内心こっちが気絶しそうだったのは秘密だ。エミットくんはお母さん似です……。
閑話休題。
話し終えてから糾弾されるのを覚悟したものの、そんなことは一切なく、むしろ息子の暴走を止めてくれて感謝すると言ってくれ驚いた。
この人も死に目に遭って角が取れたのだろうか。
人生観が変わるって話はよく聞くし。私はモフ愛が爆発した。
ともかくそんな度量も併せ持つ人だったから、エミットくんの国はもう大丈夫だろう。内政不破もきっとすぐに立て直せると思う。
お父さんの復活を泣いて喜ぶ軍人さんたちが証拠だ。きっと支えてくれる。
そこまではよかった。
話が段々とぜひ息子の嫁に――という流れにシフトしてきたので、逃げるように帰ってきたのだ。
その話は今しないで……っ!
若干ぐったりしてお城に着くなり、今日会いたくない人ナンバーワンが私の部屋の前で待ち伏せていた。
「リリ。少しいいか」
腕を組み扉に凭れる姿すら絵画的に映える、兄様である。
朝食の間もなるべく目を合わさないようにしていたのに、向こうからやって来るとは……。
ちなみにナンバーツーだったソラとはもう和解(?)済み。
朝一でお詫びに思う存分モフってくれと、ご褒美タイムを貰ったからだ。
もちろん天狼姿の方。
至福だったぁ……。ずっとあの毛に包まれたい。
「リリ?」
ハッ! 現実逃避してる場合じゃなかった。
「な、何でしょう兄様」
思わず足が勝手にジリジリと後退する。
兄様にモフみはないので、ソラのように萌え昇華できない。
胸の中に生まれた戸惑いが残ったまま、熱を帯びるように燻っている。
「俺のことを意識してくれるのは嬉しいが、避けられるのは悲しいぞ……」
「うっ……。すみません、つい」
「――なんてな」
近付いた途端、私をいつものように抱き上げる兄様。
あまりの速さに気付いた時には腕の中だった。
「だ、騙しましたね……!?」
「こうでもしないと逃げられそうだからな」
私はリードを振り切るペットですか。
確かに密着している以上、転移しても意味がない。一緒に移動するだけ。
「どいつもこいつも欲求不満ばかりですか」
私の後ろに控えていたナギサくんが小さな声で毒づく。
ケンカ勃発かと思ったら、兄様は存在ごと無視した。
「リリ、これから時間はあるか」
「あります……けど」
まだ光の二刻だというのに、今日の予定は全て終了している。異世界万歳。
「なら行くぞ」
「どこへですか?」
「竜の住処に」
「! それって――」
「ギュオホムラスの故郷だ」
それだけ告げると兄様はスタスタと廊下を歩き出す。
「に、兄様。ちょっと待ってください」
「そこの人間のことなら、分不相応にもリリに身を守らせているのだから安全だろう。放っておけ」
気掛かりな事を冷たく先制してくる兄様。
ナギサくんには今日も私が結界を張らせてもらっている。
どうやらそれが気に入らないらしい。
「結界は私がお願いしているのです。だからナギサくんを悪く言わないでください……」
「理由はどうあれ、主に身を守らせる下僕などゴミ屑以下と思われて当然だ」
「さっそく悪口! 下僕じゃなくて執事です! いいからナギサくんと話をさせてください!」
鍛えられた胸板を手で突っ張って抗議すれば、仕方ないとでも言いたげな溜め息と共に解放される。
付かず離れずの絶妙な距離にいたナギサくんの元に走り寄ると、若干不機嫌そうに見えた。
……兄様との会話、聞こえてたのかな。
「えっと、ナギサくん」
「何です? ゴミ屑以下の下僕は足手まといだから留守番ですか?」
聞こえてるー!!
「兄様がごめんなさい! そんな風には微塵も思ってないけど、お留守番してもらってても……いい? さすがに竜ばかりの所へは連れて行けないから」
人間しかいないウェンサ帝国とは危険度がまるで違うはず。
私自身も行ったことがないから、どうナギサくんの身を守ればいいのか分からないのだ。
そんな場所へは連れて行けない。
「分かりました。ここで待っています」
「! いいの?」
「連れて行けと駄々を捏ねる程ガキじゃありません。桁違いに危険なのは火を見るよりも明らかですし」
「危険な魔王城へ残ると駄々を捏ねたのは誰だったか?」
嘲笑するように吐き捨てる兄様参戦。
「兄様! さっきから意地悪ですよ!」
「リリ、もういいだろう。時間が惜しい」
「……、はい。じゃあナギサくん、行ってくるね」
返事は聞くことなく、瞬き後にはホムラくんが待つ庭にいた。
「あれ!?」
『兄さん、まさか拉致って来たんすか……?』
急に風景が変わって驚く私を、通常サイズのホムラくんがゲンナリした声で見下ろしてくる。
「合意の上だ」
いつの間にか腰に回されていた手をそのままに、スンッと答える兄様。
転移するタイミングが完全に早かったんですが……。
確信犯ですね。知ってます。
「あの、兄様。なぜ急に連れて行ってくれる気になったんですか?」
「昨夜リリの周りを野犬がうろついていたそうではないか。腸が煮えくり返る思いを鎮める為に、リリと出掛けたくなったのだ」
「野犬……ですか?」
「青と白のデカい犬だ」
うん、ソラだね。
なぜ当然のように兄様が知っているの……!?
あ。セリちゃんか。報告義務だけが憎い!
「経緯はどうあれ、ありがとうございます……」
「駄竜もいなければ二人だけの旅行だったのだがな」
『そんな不健全なことはさせないっすよ! リリちゃんはまだ成人前! ていうか、兄さんもギリまだでしょ!』
非常識の塊みたいなホムラくんに常識を説かれるなんて。
というか、普通に竜に怒られた事実にツボりそうだよ。
「分かっている。リリを傷付けるつもりはない」
兄様はいつものようにホムラくんに言い返さず、私の目を見て続きを口にする。
「昨日は少し焦り過ぎたと反省している。リリを失う怖さに触れ冷静さを欠いてしまった。すまない。……許してくれるか?」
少し元気を失くした口調と、強気に欠けた眼差し。
廊下で会った時みたいに冗談ではなく、本気で後悔していることが分かった。
そうでなくても私の答えは当に決まっているのだ。
「許すも許さないも、私は別に怒っていません。ただ驚いただけです」
「リリ……」
兄様は一瞬驚いた後、ふわりと微笑む。
「そうか。ありがとう」
とても愛おしいものを見るような、あまりに優しい表情をするものだから、心臓がトクンと跳ねた。
『兄さん。リリちゃんに何したんすか。このケダモノ!』
が、ホムラくんの言葉を聞いてすぐに沈下。
さすが空気を読まないことに定評がある(当社比)ホムラくん。自ら地雷原に突っ込むとは。
ほら、兄様にどんどん殺気が募り始めたよ。
「……何だと? ケダモノは貴様だろうが。そのご大層な翼も角も牙も爪も、全部引き抜いてやろうか……?」
『ひえぇぇぇ……!』
毎回こうなるホムラくん。私の中で安定のオチです。




