145話 好きの名前
「? 兄様?」
「そう」
いつもより低い声で返ってくる答え。
急にどうしたんだろう。
一緒に食事をしてくるって事前に伝えたのに、忘れちゃったのかな。
「兄様とはご飯を食べただけだよ?」
「それだけじゃないだろ。アイツの臭いが首や耳にベッタリ付いてる」
「!?」
途端に兄様の甘い行動が思い出されて、ぶわっと顔が熱くなる。
心臓もドクドクとうるさいぐらいに早鐘を打つ。
っ、何これ……!?
「その反応……。何された」
ソラが怖いくらい真剣な瞳で問い質してきて、思わず逸らしてしまった。
どうしてだろう。
なんだか目を合わせていられない。
「えっと、今日は兄様のスキンシップが少し……過剰だっただけ」
「この臭いの濃さ。度を越えてる……!」
剣呑な雰囲気に様子を伺い見れば、鋭い犬歯を覗かせ憤っているソラ。
今にも部屋を飛び出して行ってしまいそうだ。
「そ、ソラ落ち着いて」
「だってこんなの酷い! リリはオレのなのに!」
……ん?
オレの? オレの友達なのに、ってことだよね?
「リリ」
「うん?」
「マーキングしてもいい?」
…………は、い?
「アイツの臭いを上書きする」
「上書きって……」
「酷いことはしない。ちょっと舐めたりするだけ」
言い終わるなりソラが両腕で囲い込むようにして、私をソファーに押し倒してきた。
あれ、なにこの体勢。動けない。
「そ、ソラ? もしかしてご飯の時に、お酒飲んだ?」
「オレは酔ってない」
「じゃあなんでこんなこと……」
「リリが好きだから」
――それは友達としてだよね? という言葉を紡げないくらい、熱い視線で見下ろされる。
やばい。これ駄目だ。
頭が沸騰して何も考えられなくなっていく。
「リリ、顔が真っ赤」
するりと私の前髪を払い、ふっと嬉しそうに微笑むソラ。
「キスしていい……?」
かと思えば色っぽい表情に戻り、私の唇を指でふにっと軽く押しながら許しを請うてくる。
一度もしたことのない場所への問いに、私はキャパオーバーすぎて言葉が上手く出てこない。
も、もう無理……っ!
「無言は肯定って捉えていいの?」
ゆっくりと狭まっていくソラとの距離。
あと数センチで唇同士が触れそうなところまで来た時、思いがけない声が割って入った。
「……う~ん。それはどうかな~?」
突然助け船を出してくれたのは、なぜここにいるのか分からない図書館司書――セリちゃんだった。
「せ、セリちゃん!?」
「……王様の執務室に定時報告へ行った帰りに、ナギサくんに捉まったんだよ~。リリシア様が危ないかもって言うから見に来たの~。勝手に入ってごめんね~」
部屋に戻ったんじゃなかったのナギサくん!
「あの人間、余計なことを……」
「……はいは~い。ソラはそこから退いた退いた~」
セリちゃんがソラの両肩をグイグイ押せば、ソラは抵抗せずに従う。
ソファーの端に追いやられるようにして座ると、ムスッと不機嫌そうな顔をしていた。
「……こら~。ソラにそういうのはまだ早いぞ~?」
「だって……」
「……何があったか知らないけど~、あんまり強引すぎると嫌われちゃうよ~?」
「!!」
私を後ろから抱き起こしてくれながら、セリちゃんはプンプンとソラに説教を始めた。
指摘されたソラは『ガーン』という効果音がピッタリなほど、盛大にショックを受けている。
「リリ、オレのこと嫌いになった……?」
「な、ならないよ。ちょっと、いやかなりビックリはしたけど……」
「本当に?」
「うん」
へにょんとした垂れ耳から一転、ピンッと伸びた耳へと回復するソラ。
尻尾もブンブンと勢い良く揺れていて、言葉にしなくてもすごく分かりやすい。
こういうところは可愛いのに、ソラってあんな艶っぽい表情もするんだ……。
まるで別人みたいで未だに心臓が落ち着かない。
「……よかったね~。でもちゃんと反省するんだよ~?」
「分かった。やり過ぎないよう我慢する」
我慢なの? そんなキリッと宣言することなの?
「じゃあオレは大人しく部屋に帰る。リリに嫌われたくないから」
「うっ、嫌わないってば……。でもおやすみ、ソラ」
「おやすみ。また明日」
ソラはいつものように私の頬にキスしようと近付きかけ、微妙な距離で踏み止まる。
そのままぐっと堪えるように口を真一文字に結ぶと部屋を出て行った。
完全にソラの姿が見えなくなったタイミングで、セリちゃんが若干気まずそうに問い掛けてきた。
「……止めてよかったのかな~?」
「助かったよセリちゃん……!」
ぎゅむっと豊満な胸に飛び込めば、セリちゃんは優しく抱き止めてくれる。
小さな子をあやすみたいに後ろ頭も撫でてくれて、肩の力がちょっとずつ抜けていくのを感じた。
「……よしよ~し。ビックリしたね~」
「うん。ソラのことは大好きだけど、恋愛感情かどうかなんて考えたことなかったし……」
兄様だってそうだ。
好きの種類まで意識したことがなかった。
……でも意識した途端こんなにドキドキするのは、嬉しいと思っている証拠なんだとも思う。
そうじゃなかったらきっとこうはならない。
とはいえ今まで恋愛らしい恋愛なんてしてこなかったから、戸惑いも大きい。
自分の感情なのに持て余してしまう。
どうしたらいいのか分からない。
二人とも大好きな気持ちに変わりはないのに。
「……そっか~。でもそんなに焦って答えを出そうとしなくていいと思うよ~?」
「?」
「……みんな寿命が長いんだから~、ゆっくり考えればいいよ~」
「そういうものなの? 失礼にならない?」
前世の感覚だと、答えを引き延ばすのは良い事とは言えないはずだ。
「……ちゃんと考えない方が失礼じゃないかな~。それに答えを急かすような男はダメだよ~」
「そっか……。ありがとう、セリちゃん」
「……気にしないで~」
セリちゃんの温かな声と手に安心する。
味方だよって全身で言われてるみたいな柔らかい雰囲気に、つい甘えてしまう。
「前から思ってたけど、セリちゃんてお姉ちゃんみたいで傍にいるとホッとする」
「……本当~? 嬉しいな~!」
お互いにギュウギュウと抱きしめ合う。
豊満な胸に埋もれていた私は聞き取れなかった。
セリちゃんがもう一言だけ何か言っていたことを。
「……でもリリシア様がリドとくっついて、セリが妹になる方がもっと嬉しいんだけどな~」




