139話 労働契約を結びましょう
なんとかアーニャさんたちを宥め職務に戻ってもらうことに成功した。
危なかった……。
また二人になった私とナギサくんは、ソファーで向かい合う形に座っている。私がそうするよう勧めたからだ。
「では改めてナギサくんの勤務条件を話し合おうと思います。いいかな?」
「はい」
「まず私が考えた案を言うから、意見とか要望があれば聞かせてくれる?」
「分かりました」
ではさっき考えたことを。
「まず勤務時間は一日八時間で、週休二日制。勤務内容は執事として私とソラの生活のサポート全般をお願いします」
「ちょっと待ってください」
「早くも異論が……」
「休みが多過ぎます。執事を舐めてるんですか? それに犬の世話は御免です」
初っ端から全否定!
「真っ当な労働時間だと思うけど……。ソラとは割と年が近そうだから、仲良くなれるかなぁって思っ――そんなに嫌な顔しなくても」
めちゃくちゃ苦い顔してる。滅多に表情を変えないナギサくんが。
「そもそもあの犬、年いくつなんです?」
「二十五歳だよ」
「私より年上のくせにあの甘えた……」
「で、でも人間に換算すると少年と青年の間ぐらいだから! まだ未成年!」
「それにしてもないです」
真顔で切り捨てられた。
「えっと、ナギサくんは何歳なの?」
「私は二十二です」
「人間の成人年齢は確か十八歳だっけ。じゃあ私より一つ下だけど、ナギサくんの方が大人だね」
「時間感覚が違うにしても、まさかの年上……」
なぜそんなに愕然とするの。頼りないからだね。知ってる。
「はい、じゃあ次行きます。お給料は月末の一括払いで、大金貨三十枚。住み込みなので三食付、でも食事代等の天引きはしないよ」
「さっきから好条件が過ぎます」
「そうかな……? 危険な職場だし、妥当だと思う」
自宅を危険な場所と言う複雑な心境はこの際、無視だ。うん。
「どうせ使い道がないんです。そんなに貰っても意味がありません」
「あ、買い物に行く心配なら大丈夫。なるべく早く城下も歩けるようにしたいとは思ってるけど、行商の人に来てもらえばいいから」
「は?」
「呼んだらすぐ来てくれるんだよ。その……、来るのが悪魔という点にだけ目を瞑ってもらえたら」
「……どういう事ですか?」
「悪魔商会って言う、悪魔の為の通販みたいなシステムがあるんだけど、色々あって私も利用できるの」
そういえばそろそろ買い物をしないと、商会の元締めであるラーディさんが息子の首を送ってきてしまう。
あれは何年前だっけ。
息子さんが私に攻撃してきたことを不問にする代わりに、以後は買い物無償という約束を交わしたのだ。
なので利用しないと罪の差し引きで息子の首が落ちる。そんなバカな。
しかし悪魔は契約に忠実。本気でやりそうで怖い……。
「悪魔にも色々いるんですね。人を惑わせ不当な契約を交わし、弄んで楽しみ殺すだけかと」
「ほんと不当な契約だよ……」
「はい?」
「な、何でもない! 人間が持つ悪魔のイメージってやっぱりそうだよね」
実際にそんなことをする人はもういない。
昔は悪戯半分でそういう事例もあったみたいだけど、今は人間と関わらないのが通例だ。
でもその所業の酷さ故か、印象の悪さは払拭されないまま今日に至っている。
「まあ悪魔の話は一旦置いておきますが。報酬は要りません。すでに頂いています」
「? 何も支払ってないよ?」
「私の命です。それだけで余りあります」
真っ直ぐな瞳でナギサくんが告げてくる。
そんな風に言われたら、これ以上何も言えなくなるわけない!
「ナギサくん。生きていくにはお金が必要だよ! 綺麗ごとじゃ済まない。いざという時困るよ!」
前世で苦労した私が保証する!
「いざって何ですか」
「え? ……ここを離れる時、とか」
「もう解雇する予定を立てているんですか。酷い雇い主ですね」
「勿論しないけど! ナギサくんが将来、出て行きたいと思ったら私は止めないよ。もうすっかり別人みたいだし」
目を離すと危険だから私の傍にいてもらうよう決めたのに、すでに今のナギサくんは全く問題ない。
蘇生してからというもの、本当に生まれ変わったようなのだ。
ナギサくんは優秀だし度胸もある。
どこでも生きていける、しっかりした人間。
でも人の一生は短い。
やりたいことが見えて望む時が来たら、引き止めないつもりだ。
ソラの時との想いの違いに、自分でも驚くけれど――。
「生憎ですが、私はここで骨を埋めるつもりです。年を取り使い物にならなくなったとしても、追い出さないでください。私が望む条件はそれだけです」
「ナギサくん……」
「どうしても納得しないというなら、報酬は大金貨三枚にしてください。それ以上は受け取りません」
「……うん、分かった」
なら残りはナギサくん貯金として取っておけばいい。
今はその気がなくても、そうなる日が来た時の為に備えるぐらいはしておきたい。無駄に終わっても構わないから。
「もし内緒で貯蓄していたのが発覚したら、無賃金・休日なしに変更します」
「なぜバレた!?」
ラーディさんの時といい、どれだけ顔に出てるの私……。
というか、自ら悪条件にするなんてどんな脅し方なの。効果覿面だよ。
「そんなに追い出したいんですか?」
「違う、誤解だよ! ……ただ、応援できる状態にしておきたいだけ。私には人間とのパイプが無いから、良い職場も人も紹介できない。だからせめて資金面はと思って……」
「……ならそのお気遣いは無用です。もし仮にもそんな日は来ないので」
「い、言い切るね」
「はい。言い切ります」
どこからそんな自信が来るのかと訊くのは、多分野暮だろう。
「じゃあナギサくん。最後に一つだけ」
「?」
「何か困ったことや体調に異変を感じたら、どんな小さなことでも私に言って欲しい。これだけは絶対に守って」
人間にとって手遅れは致命傷になり易い。
気づいた時には遅かった、なんてことになると、大抵取り返しがつかなくなる。
それだけは避けたい。
「善処します」
「返事は『はい』でお願いします!」
「なんですか急に……」
「心配なんだよ。人間はあっという間に死んじゃうから」
……私や前世の両親のように。
「随分と知った風に言いますね」
「え、」
「嫌味ではなく、やけに実感がこもっているなと」
「いや、あの……」
鋭い。さすが元間者だけあって、人の機微には敏感なのかもしれない。
「……まあいいです。意外に博識ということにしておきましょう」
ナギサくん。私のことポンコツだって知ってるのに無理があるよ。
でも訊かないでくれてありがとう。




