120話 真の狙い
「おっと、全員動かないでください。一人でも動けばこの獣人、殺しますよ?」
乱暴な仕草で前に突き出される、トラ猫柄の毛並みをした獣人。
顔が猫そのものなので歳は分からないが女性だ。恐らくまだ若い。
『何すんのよ!』
「《うるさいので黙って立っていてください》」
その一言で立ち尽くし動けなくなる猫人。
「…………待って、そんな。確かに壊したはず……!」
よく見れば首元には、禍々しい赤い首輪。
「そうですね。エミット様が主になっているものは壊れました」
「!? じゃあ残りは――」
「お察しの通り、私が主となっています。この猫人の分を含めて」
するりと隷属の首輪を撫でる青年執事。
「どうして……」
「訳が分からないという顔ですね。魔法を使われると手に負えませんし、まずはそれを着けてください」
上着のポケットから取り出し私の足元に投げ落とされたのは、猫人の首に嵌まっているのと同じもの。
隷属の首輪だ。
「拾うフリをして何かしたら、猫人をこれで刺します」
口を開くことすら出来ない猫人の喉元に、青年執事は内ポケットから取り出したナイフを突き付ける。
『!!』
「っ、分かった。言う通りにする」
猫人が全く動けない以上、下手に攻撃すれば反動で刺さってしまうかもしれない。
何か良い方法がないか対策を考えながら首輪を拾う。
仮面エルフと同じ手は使えない。
仮死毒の針は仕込んだ靴底から一度引き抜いてしまえば、すぐに使わないと空気に触れ成分が変わってくると、ミスティス先生から聞いている。
エミットくんに使わなかったものを刺したところで、同じ効果は得られない。
本当に仮死状態のまま目が覚めない危険もある。
そうなれば首輪だって取れないし、相手の思うツボだ。
「ああ、そうだ。念話も使わないでください。上の階にいるキリノムさんは残りの獣人で見張らせています。不審な動きがあればどうなるか、分かりますよね?」
きっとキリノムくんではなく、獣人に害を成す。
その方が効果的だと分かっている上での脅しだろう。
先に退路を断たれ、仕方なく首輪を嵌める。
自動調節されるものらしくサイズはピッタリになったはずのに、首を絞めらているような感覚に陥った。
「獣人など見捨てれば助かるのに、本当に甘い人ですね」
「モフモフを愛しているので」
「し、執事さん! なんでこんなことをするんですか!」
静かに牽制し合う私たちの間に、兎人が悲痛な顔で割って入ってきた。
『おい貴様! 皇帝に見つからないよう密かに主人を変更していたのは、オレたちをいずれ逃がす為だと言っていたではないか!』
『どういうつもりだ!』
その他の獣人たちも抗議の声を上げ始める。
随分と良いことを言っていたらしい。
「獣風情がキャンキャンうるさいですね。あんた達の世話をしていたのは、そこにいる魔王の娘を手に入れる計画の副産物にすぎませんよ」
冷めた瞳で獣人たちを見返し、そう吐き捨てる青年執事。
今まで見てきた姿とあまりにかけ離れていたのか、獣人たちは黙り込んでしまう。
……この態度。
獣人の恋人がいるという話も恐らく嘘だ。
私を城に留める為の作り話だったとしか思えない。
「貴方もエルフ側のスパイだった、ってことですか」
「リリシア様は察しが良くて助かります。私は『先生』が失敗した時の保険。最初から期待されていなかったんですよ、彼女は」
やられた。
予感はあったのに、自らその可能性を打ち消してしまった。
「なんで人間の貴方がエルフの協力なんて」
「私、捨て子なんです。そして拾ったのがエルフで、間者となるべく育てられた。それだけの話です」
生き延びる為の選択。その結果がこれだと青年執事は語る。
気持ちが読み取れない、淡々とした顔で。
「もう話はいいでしょう。《リリシア様、こちらへ来てください》」
意志に反し青年執事の元へと勝手に歩き出す足。
すると最初に助けた黒豹と兎人が、私を引き留めようと進路を塞いだ。
途端、青年執事の表情が険しくなる。
「っ、私は平気です。どうか何もしないで」
「グル……」
「ですが!」
「お願いします」
青年執事の目的は私一人。被害者を増やす必要はない。
「涙ぐましい犠牲愛ですね」
この場にそぐわない爽やかな笑顔で青年執事が私を迎える。
罪悪感など微塵も感じられない。
この青年はきっと、芯から歪んでしまっている。
生き抜く為にそうなったのか、それともエルフがそうさせたのか――。
「だんまりですか。まあいいです。では行きましょう。皇帝城が半壊状態となった今、この国はパニック状態。混乱に乗じて国を出ます」
「……その前に一つだけ教えて欲しい」
「? まあ、一つだけならいいですよ」
「貴方が主人となっている獣人はどうするの? エルフの里は遠い。首輪の許容範囲を超えているはず」
「ああ、そんなことですか。訊かなくても分かると思いますが」
「…………口封じ……!」
「その通りです。この城にいる全ての人間を殺した後、自害するよう命令して行きます。途中で制裁が発動しても時間稼ぎにはなるし、放っておけば死ぬ」
想像以上のおぞましい答えに、この場にいる獣人たちが殺気立つ。
だけど青年執事はそんな獣人たちを一瞥し、嘲笑うように言った。
「こちらには人質がいるのを忘れないでください。なんなら見せしめに今すぐ一人殺しますか? 八人いれば充分でしょうし」
そう言われてしまえば全員が動くのを躊躇する。
隷属の首輪が嵌められている以上、たった一言で死に追いやれるから。
「さて。もういいですか」
「……うん、もういいよ。もう黙って」
獣人同様殺気を漲らせた途端、ザアッと一気に凍る地下牢。
青年執事の足も冷たい床に縫いつける。
「!? 《今すぐやめ――」
一層殺気を込めた途端、バキンと砕ける隷属の首輪。
殺気だった獣人たちを見て、キリノムくんが「戦闘化したら首輪が取れた」と言っていたのを思い出した。
なら魔力量が上回る私にも可能なはず。
要は首輪の制御力を超えた存在になれば、耐え切れず壊れる。
攻撃系魔法無効の私に業火の制裁は下されない。なら全力で押し切るのみ。
キリノムくんが身体を張って掴んだ解除法、使わせてもらったよ。
「形勢逆転かな」
近くにいたせいでより一層強い魔力干渉に巻き込まれ、すでに胸元まで凍っている青年執事。
喋れないよう、このまま全身氷漬けにさせてもらう。
しかし凍り続けても尚、負けを認めることはなく新たな一手を打ってきた。
「《獣人ども! 緊急事態命令を遂行しろ!》」
「なっ……。何、それ」
「さあ? 何でしょうね」
初めて見せた下卑た笑みに、思わず怖気が走る。
……まずい。とても嫌な予感がする。
その真意を確かめられることはなく、青年執事は氷の彫像となった。




