117話 プライドをへし折るとロクなことにならない
「なぜ……」
「仮死毒です。隷属の首輪を手っ取り早く外すには、これしかなかったので」
対象者が絶命すると首輪は自然に外れる。
事前に調べて知っていた唯一の方法を実行したのだ。
とはいえ、正直ヒヤヒヤした。本当に死んじゃったらアウトだからね……。
ミスティス先生の調合といえど、さすがに怖かった。
でも成功すれば二分程度で心臓が再び動き出す優れもの。
万が一の事態に備えて常備しているのだけれど、まさか自分が使う日が来るとは思わなかった。
相手に使ってその隙に逃げるなりする、いわば防犯用なのだ。
「時間もないので話は後にしましょう」
「!?」
攻撃態勢を取ろうとした仮面エルフよりも先に魔法を発動させ、氷魔法で拘束する。
「そこにいてください」
外れないと悟ったのか、抵抗しなくなったのを確認し部屋の扉を無理矢理こじ開ければ、半透明な壁により外に出るのを阻まれてしまった。
――結界だ。
泣きながら驚いた表情になるエミットくんと目が合う。
「な、なんで目が覚めて……! いや助けてお願い!!」
バンバンと結界を叩き、必死に助けを求めてくるエミットくん。
そのすぐ後ろには建物を破壊しながら歩いて来る、一人の悪魔。
渦巻くように捻じれた白い角は所々鮮血に染まり、身体からは青白い電撃が広範囲に迸っている。
何より両手に持った鉈のような鋭く大きな刃物が、より恐怖心を煽る。
戦闘モードのキリノムくんだ。
エミットくんを守ろうと城に居た軍人たちが立ち向かって行くけれど、触れることすら叶わず次々と感電しては倒れていく。
……死んでないよね?
「仮面エルフさん。一応訊きますけど、結界を解いてくれる気は?」
「…………」
「そうですか。じゃあ、ぶっ壊します」
エミットくんに当たらないよう頭上の空間を狙う。
「……【穿ち砕け! 氷狼!】」
ソラを模した氷の狼が結界目掛けて襲い掛かり、バリンと音を立てて突き抜けていく。
それを合図に卵の殻が剥がれ落ちるように結界が崩れた。
多重結界じゃないなら脆いものだ。
「リリシアさん!」
よほど怖かったのか、エミットくんが力の限り突進して来てバランスを崩しそうになる。毒を盛った相手に縋るとは……。
まあ子どもだし、あの状態のキリノムくんを見れば無理もないかもしれない。
まさに悪魔を体現したような風貌だよ。
「おいクソガキ。誰に抱き着いてんだ。あァ……?」
より一層激しくなる電撃。廊下の壁が跡形も無く吹っ飛んだ。マジか。
「ひぃ……! く、来るな!」
「き、キリノムくん。ちょっと落ち着いて」
「リリシア様。僕は落ち着いていますよ……? 現に誰一人殺していませんから。褒めてください」
「えっ、本当!?」
それは本気で褒めたい!
「はい。ウジャウジャと大量に湧いてくるウジ虫どもを死なせないよう嬲るのは大変でした」
……物凄い惨いな。色々と。
要は帝国軍人を鎮圧したってことだろうけど、素直に喜べない。
「こ、こんなことしてタダで済むと思ってるのか!? 国際問題だぞ!」
「エミットくん。それは通らないよ。私に毒、盛ったよね?」
「っ! 気付いて……!?」
「全部お芝居だったんだよ。証拠の紅茶も取ってある」
「そんな!? あの部屋は魔力封じの結界が――」
「うん。でもあの程度じゃ効かない」
暴露すれば絶望に染まるエミットくん。
これで観念してくれるだろうか。
「いつまでリリシア様に触ってんだクソガキが……!」
両手に持った武器を空間魔法で仕舞い、高速で迫るキリノムくん。
エミットくんの襟首を掴むと廊下の端に思いっ切り投げ飛ばした。
気絶したのかエミットくんはそのまま動かなくなる。
「ちょ、キリノムくん!」
「リリシア様、心配しました」
抗議する私を無視して今度はキリノムくんが抱きしめてくる。
少し震える声と腕に、怒る気がなんだか削がれてしまった。
「……ごめんね」
「一度魔力が完全に消えましたよね? どういうことですか? もしかして、そこの仮面が関係してるんですか?」
「うっ。えっと……、その辺は帰ってから詳しく話すよ」
とりあえずこの惨状を収束させるのが先だ。
仮面エルフだって仲間が迎えに来ると言っていた。そうなる前に獣人たちを逃がしたい。
問題は首輪が――。
「そうだキリノムくん、隷属の首輪は!?」
「ああ。それなら戦闘化した時に取れました」
すぐ近くにある首元を見れば、痛々しく残る首輪型の火傷の痕。
悪魔であるキリノムくんにこれだけ痕が残るなんて、外すのに相当抵抗したのだろう。熱さも想像を絶するものだったに違いない。
目を背けたくなるような酷い傷跡が、その証拠だ。
「っ……。痛かったでしょ」
上級治癒魔法をかけた途端、綺麗に消える傷跡。
でも痛みの記憶まで消すことはできないのだ。どうしたら――。
「リリシア様に何かあったかと想像した方が辛かったです」
「え……」
「あれ? またツッコミなしですか? 本当に大丈夫ですか……?」
「……ごめん、大丈夫。ありがとう、キリノムくん」
切なく笑うキリノムくんを見て緩む涙腺に喝を入れ、今後の作戦を練る為に顔を上げる。泣くのはこの状況を切り抜けてからだ。
全てが終わったら改めて、お礼とお詫びをしよう。
「キリノムくん、地下に居た獣人は?」
「殺してはいませんが、気絶して動けないか骨折して動けないかのどちらかです」
「そっ、……そう。全部で何人?」
「四十弱ってとこでしょうか」
思ったよりは少ない。
それならあまり手間取らず転移できる。
設定されている主人はエミットくんなのか訊くべく本人に近付けば、閉じられたままの目。
頭から血を流している様子もないので、軽い脳震盪かもしれない。
……キリノムくん、一応加減して投げたんだね。
治癒魔法で回復させようとした矢先、ゆっくりと開かれていく瞼。
顔を上げ、私に気付けば憎悪の瞳が向けられた。
「…………許さない。殺してやる」
ギリッと奥歯を噛みしめ、次に放たれたのは無慈悲な命令。
「《起きろ獣人ども! さっさと僕の元へ来て魔王の娘とその従者を殺せ!!》」




