敗北的かつ平和的に
敗北ー、それは【戦いに負けて逃げること】、つまり敗走という意味を持つ。
平和ー、それは【戦争や紛争がなく世の中が穏やかである】という意味を持つ。
一見、両者の関係は破たんしているように思える。後者は前者の前では意味を持たない。また前者の前でも後者は同様である。敗北とは、勝利を望んだものが勝利を得られずに軍配を挙げれなかったことを指す。つまりは、負け犬である。勝利を得らえなかった者の心の苦しみは計り知れない。かつての時代に栄えたローマ帝国のコロシアムでは、命を投げ出してまで戦いに挑んだ戦士たちの多くは自分の命よりも大切にしているもののために戦ったことであろう。負ければ、それは死を意味する。何たる非常あことであろうか。大切なもののために死んでいく者のことを思うと心が痛む。
それは現代社会においても同じようなことが言えるのではないだろうか。労働という義務(呪縛)に縛られ、身動きができない中で我々は日々を生きている。この「生きている」とは、本来意図する”生きる”という言葉から、もしかしたらかけ離れているかもしれない。労働という縛られた環境のもとで、我々もかつてのスパルタの戦士達のようにそれぞれにとって大切である何かのために戦っていのである。
だから何だ、と思われたかもしれない。争いの中で我々は精神的にも肉体的にもガタがきている。人類史上最も革新的な進化を現在形で進行してきている我々文明人にとって、それなりの代償を抱えることは、ある点でむしろ好都合なのではないかと考える。
いつの時代も我々人類にとって戦いでの勝利とはなにようにも代え難い尊いものである。それは自然界の法則でもあることを忘れてはいけない。この地球、いや宇宙すべてに共通することである。
これはその全てにおいて、絶対不可侵領域を持った唯一のものである。
ぜひあなたにも覚えといてほしい。
それは利益だけを顧みるのではなく、すべてを穏やかに解決し、すべてを中和する作用を持つ能力。
そう、それは『 敗 北 的 平 和 主 義 』である—
そして、その能力を得た唯一の人間がいたー
その名は、
d3\/.45cg45,;xr;032--03
...名は、今はまだない。
<つづく>