抑制された共同体
疑いてはならぬ。
問うてはならぬ。
欲してはならぬ。
判断してはならぬ。
信じ、祈るのみ。
私が彼を知ったのは八歳のとき。はじめて師匠の門下生の発表会に出演することを許された折でした。視線は数歩先を見据え、ヴァイオリンを右脇に抱えて、弓は右手の中指につっかけている。眠たそうにも見えたが同時に微痛に耐えるような静かな力みがありました。量の多い頭髪も整えず無礼に取られない最低限の装いであるにもかかわらず、他の出演者並びに聴衆の注意を惹きつけ背筋を堅くさせる空気が彼と共にステージ上に膨張したのを、皮膚感覚として覚えております。
弓をふわりと持ち身体の一部のように元来そこに収まって居たかのように楽器を構えます。伴奏者は気付けば入場していました。その後の事は夢うつつ定かではなく私が記憶を思い違い、伝説の如く華やかな色彩を加えてしまっていると思うので細かくは語りませんけれども、自分がたったいままで積み上げてきたものが如何に薄弱であったか。呼吸に痛みを伴うほど胸が渇いて彼を憧れることで潤おうと欲し、渇きがいつか満たされるかどうかなど考えるに及ばなかった。このとき宿命に似た何かが緻密な刺青となって私の全身の皮膚の裏に刻み込まれたのだと思います。
六年後私は十四歳となり中等科の科目を修め、他の同級生より二年早く高等科に入学することとなりました。史学と美学が専攻です。中等科低学年の高く軽やかな声がないと、学舎は全くの無音で何か別の目的の施設に思われました。高等科は中等科と異なり市の中心から少し離れた場所にあることもある故でしょう。町行く人の声も荷馬車の蹄の音も無く、聞こえるのは時折強く吹く春風が学舎を囲む草叢を走る音だけです。教諭を待つ教室は窓が開け放たれているため風は通りは良く、遠くに風の音を聞くのは心地良いものでした。学生は皆、書き物をしているか小説や学術書を読むかしていて、席を離れて他の学生と会話する様子は殆ど無いようでした。隣に座る肌の浅黒い青年が私に気付き、どうも、といった感じで会釈してくれた程度です。私はしばらく左手の窓の外をそれとなく眺めていたのですが一度聞こえると机に書き付ける音や頁をめくる紙の音を無視できず、私も鞄からベートーヴェンの交響曲第三番の小判の総譜を取り出して眺めることにしました。教科書は今日これから戴くので持っていませんし、師匠から、ベートーヴェンの音楽を学べと指示されてから鞄の中には彼の曲が何かしら入っているのです。
始業を知らせる鐘が響きます。低く、暗い音です。まだ教諭はいらっしゃらないですが総譜を閉じて鞄に仕舞いました。周りの学生も同様に私物を仕舞っているようです。すると全員がゆっくり起立し始めたのです。私もそれに倣い訳も分からないまま立ち上がったのです。
一分ほど経ったでしょうか。私たちは全員無言のまま起立の状態を保っております。学生たちはたまに首を回したり欠伸をする他、慣れた様子で大人しくしています。
ひたひたと廊下を歩く音がしたと思うと前の引戸が開きました。量の多い黒髪に視線が捕らわれました。彼だった。年に一度の門下生の発表会以外では関わりがなく言葉も交わしたことがないが、距離がちょうどステージと客席ほど離れていたためかすぐにわかってしまったのです。黒いスラックスにワイシャツ、タイはしていない。他の教諭は皆正装をしていらっしゃるはずですが、彼は演奏会のときと同じくしていくらか緩い装いをしています。教室の空気は張り詰めた。
教壇に上がる前に彼は小さく、しっかりと教壇に向けて礼をされました。教壇に上がり、私たちの方を向かれると同じく礼をした。すると学生側からどこからともなく「よろしくお願いいたします」と声がし、学生皆がそれに倣って礼をし、「よろしくお願いいたします」と云います。私は何故だか声が出せなかったので長めに頭を下げたのでした。
全員が腰かけたことを確認すると、彼は手元にある書物に手を置いて話し始められました。
「おはよう。本日から第二学期が始まります。各々、時間割と試験日の確認をしておくように。専攻によって異なります。僕は論理学担当のメイ、と申します。第一学期は論理学は無かったと思うので初めての人がほとんどでしょう」
彼はそう云って、黒板に「盟」と記した。左利きだ。彼には苗字がない。いや、ほんとうはあるのだが、ある時以外は名乗ってはいけないきまりになっているのです。声を聴くのは初めてだが、思ったよりも低くなく滑らかでやわらかい声だった。
「よく女性みたいな名前だと云われるのですが、僕自身コンプレックスに思っているのでお気遣いいただけると幸いです。ところで気付いている学生もいるでしょうか。今学期、一人編入しましたので紹介しましょう。フユミコウイチ君。こちらへ」
名指しをされて体が少し強張ってしまうのがわかりました。私は緩やかな階段を下って教壇まで何とかたどり着いたような心持でした。教壇の階段を一歩踏んだところでしまったと思った。
「どうしました」
盟先生は私の挙動に首を少し傾げられた。
「いえ、あのう、この場合礼はすべきでしょうか」
くすくすという笑い、しかし嫌味のない笑い声が所々から起こった。
「ああ、大丈夫。人に教えを授ける時だけでいいよ。だが、いい心遣いです。さあ」
首から上が熱くなりながら教壇に上がると、チョークを手渡してくださった。
「名前を」
「はい」
近くで見ると、先生は結構身長が高くていらっしゃいました。それを多少嬉しく思いながら冬海綱一と書きました。筆には自信がある方なのですが少し萎縮した字になってしまいました。
「ご紹介いただいた、冬海綱一です。専攻は史学と美学です。どうかよろしくお願いいたします」
ぱらぱらと上品な拍手と、数人の学生が「よろしく」と云ってくれました。そのお陰でだいぶ浮ついた身体が重さを取り戻したと思います。
「冬海君は二年飛び級の優秀な学生です。年下だからと甘やかさず、同級生として接するように。冬海君も初めは心苦しいと思いますが、彼らとは敬語無しで話すように」
「はい、先生」
座席に戻り、自分が汗をかいていることに初めて気づきました。初めて彼と、盟先生と言葉を交わすことができたのですから当然と云えましょう。板書が始まり万年筆を手に取ったときに手も震えていました。飛び級が決まったとき両親は大喜びだったのですが実のところ私自身は級友と離れることが寂しいという感情以外は特になかったのです。今は、全身の見えない刺青がうずき、痛みを伴い歓喜していることを主張しています。
先生の板書の文字は左利き特有の多少歪な左払いがありますが意志の感じられる角のある文字です。話しながら熱が入ると走り書きになりますが、それもまた味があって私はそれも含めてノートに写実した。
板書を書き取りながら私はようやく落ち着きを取り戻してきたようです。ふと盟先生の年齢について考え始めました。
高等科の教諭は大学を卒業した者のうち希望者から選出されると聞いていましたので、三歳から五歳までの初等科、六歳から十五歳までの中等科、十六歳から二十歳までの高等科、二十一歳から二十四歳までの大学、というのが通常の期間であるから、盟先生は二十五歳以上であることになります。 しかし以前人から聞いた話によると私より七歳年上、つまり現在二十一歳のはずなのでおそらくは私と同様に飛び級をしているのでしょう。とは云え四年の飛び級とは驚きを禁じ得ません。
その落ち着いた所作から、初めて姿を拝見したときも他の十四歳の人間よりだいぶ大人びて見えました。先生の年齢を知ったときは驚いたものです。先生が教室に入れらたときも年齢的にはだいぶ他の教諭より若いのはずに違和感はまったくありませんでした。やはり本当に聡い人間とはそういうものなのでしょう。学問において天分を持つと評価される生徒が高等科にも何人かいるが、多くは周りに馴染めなかったり授業中に突拍子もない発言をしたり、所作が他の者と悪い意味で違ったりなどしていて子供染みて見える者が多いです。得てしてそういう人たちはどこかで堕落する。堕落というと違うかもしれない。失速すると云ったほうが近い。堕落というのは落ちる前は高いところにいるということであって、 しかし彼らは違います。高いところにいたわけではなく他の人間よりも脳細胞の成長が少し早かっただけなのだ。私の考える天才とは、同じ次元で速く動く類のものではないのです。全く動いていないように見えるのに、なぜかその存在を遠くに感じる。普段の所作は他の者と何ら変わりなく関わり合いもし易い。小池に棲む名のない魚に一つまみの餌を投げ込むようなつぶやきに、嵐の大海を月を映す湖面の如くに変化させてしまうような秘めた熱情が込められているのです。議論など必要なく、愚者が宣った後にただ一言真理の矢を放つ。如何ほどの風雨がうねっていてもその矢の進路は影響を受けません。真理は雲上に在り、彼は雲上に在り、雲上で放たれた矢だからです。
全ての講義を終えた後、私は二時間の補講を受けることになっています。第一学期の講義を形だけでも受ける必要があるからです。上級生でも試験の点数が低かった者や学び直したい学生が多く受講しているようで、補講ながら教室の座席はほとんど埋まっていた。月曜日の補講の内容は史学でありますが、教壇に立ったのは盟先生その人でありました。
「史学の佐山教諭の都合により、補講では僕が代講を務めさせていただきます」
先生は初めに一言添えて講義内容に入った。
「補講とはいえ虫食いのあるような講義はしたくありませんので、初めから…つまり史学を学ぶ目的から話させていただきます。ここさえしっかり聞いていただければ…あとは寝ててよろしい……というのは過ぎた物言いですが、ここを聞いて、史学を学ぶ必要がないと感じた学生は寝ていてもよろしい。……が、その場合は史学に学ぶ必要性がないという旨を小論文にまとめ後日提出してもらい、僕と議論しましょう。僕を納得させた場合はその時点でこの講義を修めたことにしてさしあげます」
先生は教卓に両手を突き、何も置いていない机上に眼窩を向けて訥々とおっしゃった。間をあけたその話し方は、まるで無言の学生と会話しているようでした。このように文章にして仕舞えば先生の独壇場ですが、先生は確かに学生と何らかの遣り取りをされていたように思うのです。後から他の学生から聞いたところによると、佐山教諭の史学を修めることができない学生があまりに多く、やる気のない学生に嫌気が差して佐山教諭は補講までやってやるか、と盟教諭に丸投げをしたそうです。これも後々、先生と会話するようになってから気づいたことですが先生は怒っておられるとき(無論、他の人間が怒るときとは質も方向性も全く異なるが)言葉が所々で切れる癖があるのです。
「我々が史学を学ぶ目的とは何か。さあ、誰か自分なりの答えを持ってここに座っている人はいるでしょうか」
そして同じく怒っておられるとき、先生は相手の答えが否であると解っていても質問される。学生が答えられないことを知っていて質問をし、まるで相手に「自分には貴方の質問に応えるに能いません」と云わせ言質を取るかのようです。私は先生と関わるうちで、何度この厄介な癖に困らせられたことでしょうか。
「居ないのですか。数学を学ぶ理由は金銭を数えるため?文学を学ぶ理由は恥をかかないため?そう考えている方は今ここで心のうちに懺悔し、改めてください。数学や科学を学ぶ理由は人間の知性に限界があることを知るためです。文学を学ぶ理由は生命の目的を探求するためです……平たく言えばですが」
部屋を埋める学生は静まり返っています。
「中等科まではそのような考がなくてもよいでしょう。中等科の中で高等科に進むことが許された皆さんは、それではいけない。高等科を卒業できない学生は毎年三割を越えますが、その人たちはこれを理解できなかった故です……。では史学を学ぶ理由は何か。古い言葉に、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶというものがありますが、多くこの言葉は誤解されている。史学を学ぶ目的とは、王族や国家、民族や戦争を学び、それを今後の政治に応用するためだと……?……馬鹿げている!」
先生は教卓に向かって静かに怒鳴られた。前の方に座っている女学生の何人かは身を強張らせた。
「失礼。史学はそんな枝葉末節の事柄のために学んでいるわけではありません。無論、史学を学べは結果として政治に役立ちますがそうではない。自分のいる場所、国、文化、民族、その道のりをたどる。個人の生でなく、集団の生の道のりを学ぶ。我々人間全体がこれからどのように歩むべきか。それを考えるためには今までどのように歩んできたかを学ばなければ始まらないのです。それを知ることは、個人がどう生きるべきかという問いを考えるうえでも必要不可欠なことです。人は集団の中でしか生きることが出来ないのだから。これは先に述べた文学を学ぶ理由につながる。学問はすべてどこかでつながっている。僕はそう考えているのです」
重い静寂が暫し教室を充しました。先生の言葉は学生全員の鼓膜から脳に伝わり、神経を通して全身を震わせたのがわかります。余りに刺激が強過ぎて皆の脳が休止を求めているのでしょう。他の教諭でその学問を学ぶ理由、目的を伝えようとする方はいないこともなかったが、どれも実用的ながら心に響くことはなかった。盟先生の言葉は、実用からは遠く離れていながら心に強く響き、これまで作り上げてきた無数の砂の城を、その言葉の嵐によって霧散させたのです。
云うまでもありませんがその補講で寝る学生や私語をする学生などはありませんでした。
講義後、私は他の学生が全て帰るのを待ち講義室を出て足早に盟先生の居室に向かいました。聞かねばならないことが合ったからです。
三階、つまり最上階の教諭の居室の並ぶ廊下を盟先生の名前の札を探しながら歩きました。左手には沈みかけた陽が差し込む窓が並び右手には虚飾のない木製の引戸が延々と続いていて革靴の踵が鳴らないよう気を配って歩きました。
一番奥の非常階段に続く扉の二つ手前が盟教諭の居室でした。札にも、盟、と一字だけ刻まれている。他の札と比較して、この札が表になってかかっていることから先生はご在室であることが解りました。引戸の前にたち耳を澄ますと、時折人が歩いて板張りの床が軋むのが聞こえました。聞きたいことは一つだけ。もう一度頭の中でそれを唱えて戸の向こうの先生に呼びかけました。
「盟先生、一年生の冬海です。よろしいでしょうか」
一瞬の静寂と床の軋みが聞こえた後、椅子に腰かける音が聞こえました。
「どうぞ」
私は全身からこぼれている張り詰めた何かを、どうにかして押し殺して引戸に手をかけます。
「失礼します」
部屋の中は雑多としていました。引戸は四角形の部屋の壁の中央に位置し、部屋の両脇には天井まで届く書棚が並んで書物の他にノートや筆記具、黒い粒上の物が詰まった瓶、どこかの湖の畔を描いた絵葉書、古代の作曲家の肖像画、見たことのない小型の絡繰などが鎮座していました。先生の机と椅子の他に、部屋の中央にはテーブルとその両脇には簡易なソファが置いてありました。いま、先生と私の間にはそのテーブルと机が挟まれております。
書棚の一つ一つ物色したいのをこらえて視界の端にそれらをとらえながら、正面に座っていらっしゃる先生に小さく頭を下げました。
「質問があってまいりました。」
「冬海君、なんでしょう」
先生は少し無精ひげの生えた顎先を右手でこすりながら、無表情でこちらを見ていた。ただ見ていた、というよりは、何か私の中にある目では見えない物を待ち構えるような趣がありました。
「先ほどの補講で先生が、史学が最終的に生命の目的を問うためにあるとおっしゃられました。しかし私は初等科のころから、なぜ人は生きているかを大人の方に問うと「問うてはならぬ」と諭されました。幼いころからそう言われ続けていたので、私のこの疑問は五行訓に反するものなのだと理解しておりました」
先生は、私が話している間も右手を細かに小さく動かしておられた。話し終えると眉間に皺を作り何か考えるように視線を右斜め上に投げたのです。私は何か拙い事柄を問うてしまったのかと、若しくはやはり五行訓に背く身に余る思想を欲してしまったのかと焦り、すっかり俯いてしまいました。
五秒でしょうか、数分でしょうか、刻の感覚はリズムを失って宙に散ってしまいました。先生は優しく微笑んで両肘を机について指を組み、私にソファに座るよう手で促しました。
「その質問に答えるのは簡単なんだ」
先生は、講義のときとは違ってくだけた話し方をされた。それもあって、私はなんだか、心配しなくていいよ、と優しく解された気になりました。先生は続けます。
「冬海君、この後急ぎの用事がなければコーヒーでも飲まない?」
「ぜ、ぜひいただきます……コーヒー、ですか?」
飲まない?と云われて思わずお答えしてしまったが、その飲み物の名前が聞きなれないものだった。
「そうだろう、知らないだろうね。つい最近知り合いに作らせたものなんだが、古代文明でこよなく愛されていた飲み物なんだ。僕たちの文明では趣味や嗜好品は意識的に少なくしているとはいえ、これが飲めないのは何とももったいないことだ」
立ち上がって書棚の一角にある黒い粒上の物が詰まった瓶を取り上げられた。蓋を開けると嗅いだことのない香ばしいような、少し酸味のあるような匂いがふわりと私の鼻腔に入り込みました。そこからの工程は中々に奇妙なものでした。その粒、それは植物の種子に見えましたが、それを筒状の絡繰にざらざらと流し入れ、絡繰の上端についている取ってを回します。すると、結構な大きな音を立て始めました。どうやら粒を細かく砕いているようで、できた粉を円錐状の濾紙にスプーンで掬い入れ、沸かしていた熱湯を濾紙に注ぎ、でできた抽出液をコップに注いだのです。熱湯を注ぐとき、瓶を開けたときに味わった香がさらに強く湧き立ち部屋に立ち込めました。
二つのコップに注ぎ終えると、片方を私にくれました。コップは熱く、私は上の縁の方を持ちました。
白い陶器のコップを覗くと中には漆黒の液体が入っています。湯気と共にその嗅ぎなれない豊かな香りを、初めは未知のものに怖気づいて呼吸が浅くなっていましたが、今度は大きく息を吸って味わいました。
「見た目はちょっと不気味だけどいい香りだろう。味もだいぶ苦い。その苦みと香ばしい香りの向こうに、何とも言えない深い味がある。さあ、飲んでみて」
私は云われるがままにその黒い液体を啜った。先生がおっしゃった通り透き通った苦みを透かして見えたのは深い深い味わいでした。今まで味わったことのないものでした。
しばらく二人は言葉を交わさずに時を啜るようにコーヒーを喫したのです。
「では質問に対してお答えしよう」
私よりも先にコップを空にした先生は、赤銅色の水差しから水を注いで数回揺らすと窓の外へそれを捨てた。
「問うてはならぬ……五行訓の二段目の教えだ。問うという行為が何を意味するのかをよく考えてみて。日常では問うと云えば己とは別の人間に答えを求めることだ。そうだよね」
「はい」
「では、生命の目的を問うというのはそれと同じ行為と云えるだろうか。僕は、似て非なるものだと考えているんだ。問いは疑いから生じ、答えを欲することから生じる。つまり疑いてはならぬ、問うてはならぬ、欲してはならぬはひと繋ぎの営み。同じひとつの果実の種子だ」
「……」
そこで言葉をお切りになると、椅子の背もたれに身を預けてしばらく書棚の物列を目でなぞっているようだった。
「判断してはならぬ。判断するとは、とても大きな力を伴っている。自分で認識した世界を疑い、自分の知識と知恵によってのみ答えを導く。世界を疑わなければ判断する必要などないからね。そして判断には責任が伴い判断が間違っていた場合は自ら罰し、正しかった場合は栄誉が与えられる。それはまるで一人の人間の中に国家が生まれたかのようだ。同時に、その大きな責任は生きる上で大きな負担となる。誰だって、判断するより信じていたいんだ。しかし私や君は違う」
先生の言葉。部屋にはそれが充満していた。私はそれがあまりにも息苦しく思考が一本にまとまらない。他者へ問わない問い。自問自答のことか?疑わない問いとは?欲さない問いとは?そもそも欲するとは何なんだ……いま私の粗雑な脳の中には疑いと問いが毒気を振りまいて暴れまわっているような心持です。
「生命の目的を問うとき、自分が生きていることを疑ってはいないはずだ。生命の存在を前提とした問いなんだ。目的の有無を疑っているだろうか。いや、あると確信している。一度は疑ったかもしれないが目的はあるはずだと確信したからそれを問う。では欲しているだろうか。いや、それとは本質的に違う。ただ命を使い果たすだけならばこの問いの答えが必要でないことは、周りの人間を見ていれば容易にわかることだ。欲望としての好奇心でなければ、この問いは何から生じるのか。私はこれを使命と思う。この世に知性をもって生まれたひとつの生命としての使命。使命からもたらされる問いなんだ。使命を果たさなければならないという義務感が僕の背にナイフを突き立てて問わせるんだ。僕は生命の目的への問いは、知性の唯一の義務と定義する。だから冬海君、生命の目的を問うことは義務なんだ。それなしに生を貪ることは生を否定することになる。だから周りの能無しどもは、自己矛盾していることに気付きもせず生きているんだ」
書棚に注がれていた視線はいま私の手元にある漆黒の液体に注がれていました。
幼い頃、私はこの世界があまりに閉じられていて恐ろしかった。自分が所属する自治区から出ることは固く禁じられ、古代の文献を読むことも禁じられ、現在扱われている道具以外の物を用いて新たな道具を作製することも禁じられていた。なぜ禁忌なのか。朝礼で唱えることが義務付けられている五行訓を唱えながら、私は常に答えを欲し問うていました。どこかにその答えがあると祈っていました。
先生の言葉とは無縁のその液体を私も見つめました。覗き込む私の顔が見えました。使命から生ずる問い。古代の嗜好品であったその飲み物はやはり私に答えを与えない。その黒さが無常にも宣言しているようでした。
「先生、私は補講の先生のお言葉を聞いたとき、生命の目的を教えていただけるのかと思い喜びました。たった十四年の時間を浪費した自分がその答えを得られるのだと、他の人に対して優越を得たのだと思います……でも、違うのですね先生」
私がそう云ったとき、先生は双眸を幾らか大きく開いて鼻からいっぱいに息を吸われた後、その通り!素晴らしい!とお叫びになった。そして立ち上がり青白くやつれたお顔を多少上気させて微笑まれたのです。
「他者から得られる事柄など幻。理解できても実行できない架空の真実。冬海君、さすが師匠のお弟子さんだよ」
「私が八萩師匠の門下生だとご存知だったんですか」
先生の挙動にも聊か驚きましたが、てっきり先生はお気づきではないと思っていました。
「先日、師匠が手紙をよこして、冬海綱一というとんでもない弟子が高等科に飛び級で入学するからよく面倒を見るようにってね。とんでもないというのがどういう方向なのかが書かれていなかったから、よっぽど質の悪い餓鬼が来るのかと思っていたよ。それはそれで楽しみだったんだがね。それに冬海君、その手紙曰く、ベートーヴェンがあんまり気に食わないんだって?」
先ほどとはまた違う少し怪しげな笑みを私に向けられた。私は恐縮してしまいました。
「気に食わないとまでは……師匠や兄弟子たちが寄ってたかって讃えるのですが、私にはイマイチその素晴らしさがわかりません。モーツァルトやメンデルスゾーンの方がはるかに天に愛されていると思うと、畏れながら師匠に申し上げました」
私は失礼かと思いましたがそこまで云い切ってしまいました。失礼ついでにだいぶ冷めたコーヒーをひとたびに飲み干しました。
「ベートーヴェンは素晴らしいよ。主題の発展にしろ和音の使い方にしろオーケストレーションにしろ。彼と同時代の音楽からは考えられない新しい要素で溢れていて」
「……はい。そうなんですが……」
私が何とか心の中にあるものを言語化しようと口ごもっていると、
「しかしそれだけだ。僕もそんな好きではない。嫌いでもないがね。他の作曲家の曲を練習する時間を犠牲にして、ベートーヴェンの曲を練習しようとは思わない。彼の音楽は譜面を眺めるだけで充分なんだ」
私が飲み干したコップを受け取ると、先ほどと同じように水差しから水を注いでゆすぎ、窓の外にその水を放り捨てた。
「しかし冬海君」
コップを簡易台所に置いて、先生はまた怪しい笑みをこちらに向けた。
「モーツァルトとメンデルスゾーンと比べてしまったら、ベートーヴェンが可愛そう過ぎるよ。色々な意味でね」
後で教えていただいたことだが、書棚に飾ってあった肖像画はモーツァルトのもので、どこかの湖畔を描いた水彩画の絵葉書は、メンデルスゾーンが片手間に描いたものが印刷されたものでした。片手間は言葉が過ぎているとは思いますが、音楽に天分のある人間が描いたにしては私のような凡人には残酷なほど美しい風景画でした。
ところで、古代の文学や歴史を学ぶことは禁忌とされているのに、古代の音楽芸術がこれほどまでこの世界に浸透しているのは何故なのでしょうか。幼少期に音楽を学ぶことなど推奨されているほどです。絵葉書を見ながらそんな疑問が予兆なく浮かびあがってきました。それを考えようとすると、なぜかコーヒーに映った自分の顔が思い出されて胃の底に冷たい何かがぬるりと入り込んできたような感じがしました。コーヒーは飲みすぎると胃腸にあまりよくないとおっしゃっていたので、そのせいかもしれません。
つづく