弱い人に綺麗事は毒である
朝起きると、隣に置いてあるスマートフォンが緑色に点滅しているのが見えた。
すぐにLINEを開くと、昨日の昼に宮本に送ったメッセージからの返信が来ていた。
「なんで次の日に返信するんだよ。おせーよ」
朝から悪態をつく。今日はあまり良い日ではなさそうだ。
時間は午前7時を過ぎており、そろそろ着替えないと約束の時間に遅れてしまう。こんな早い時間に設定したのが自分のため、言い訳は出来なかった。
田園都市線から見える景色は見慣れた風景だ。長津田で急行に乗り換えて、中央林間には待ち合わせ1時間前には着いた。ここから小田急線に乗り換えるために改札口まで歩いていたとき、見覚えのある顔があった。
ひどく心臓が脈打つのを感じた。
マスク 大きな瞳 首元にあるほくろ
肩甲骨までかかる髪の毛 身長 爪のマニキュア
高校の時とは印象が違う。最後に会ったのが3年前、当り前だ。彼女は茫然としている奴なんかには気付かずに、人ごみに紛れて消えた。
「もし、昔付き合ってたやつを、町で見かけたらどうする?」
待ち合わせ時間10分前に待ち合わせ場所に着いたときには、もうすでに宮本がいた。最初に返信が遅いという愚痴を言うと、「ごめん、ごめん。携帯の調子が悪くてさ」と、流されてしまった。その後すぐに適当な喫茶店に入り、まず切り出した質問が今回の話とはまったく関係ないものだった。
「元カノってこと?さぁ、付き合った事ないから分からんな」
そもそも今、動揺している自分を抑えていることに必死だった。改札前で見かけたのは間違いなく、前に付き合ってた彼女だった。高校卒業を機に、疎遠になっていき、大学先で新しい彼氏が出来たという簡潔なLINEを最後に連絡はとってない。完璧に不意打ちだった。何も構えていなかった。
「いまだに引きずってるのは女々しいとしか思えないな。」
偉そうに、宮本がこっちを見てそんなことを言った。
「その話がもし、フィクションだったとしたら言わせてもらうけど、昔付き合ってたやつを3年経ったのに町で見かけてしまう時点でナンセンスだ」
こいつはたまによく分からないことを言う。
「別に引きずってるとか言ってないじゃん。あと、3年って、フィクションじゃなくて俺のこと言ってるだろ」
「例えばの話だよ」
軽く流される。しかし、むきになって言い返す。
「そもそも、未練とかなくても町で見かける可能性はあるだろ?」
「ないね」
即答された。
「本当に未練がないならもう会わないよ。見かけもしない。そういう風になっているものさ」
こいつはなぜこんなに力強く、こんなことが言えるのだろう。
「そ、そういうものかな」
コクリと頷く宮本。
気付けばいつの間にかジンジャエールが机の上に置かれていた。
電車のドア付近に寄りかかって見る小田急線の景色は見慣れた風景だ。
あの後、結局元々の話はそこまで進まず、喫茶店を出て、カラオケに行った。思いっきり歌った。昼過ぎに二人で昼飯を食べて、軽く散歩した後に解散した。
時間は午後4時。まだ夕焼けが眩しい。
自分はまだ彼女の事を引きずっている。無理に忘れようとしても余計に彼女が濃くなっていくだけだ。意識的にイヤフォンの音量を上げる。日本語訳が分からない英語の歌詞が頭を揺らした。
3年。
3年経っても忘れられないのは女々しいと思う。宮本の言う通りだった。あいつはたまに変に鋭いところを突いてくる。改札で見かけたのも、いつも無意識に彼女を探しているという事かもしれない。反論は出来なかった。
今朝見た彼女の姿がちらつく。忘れられそうにないなと、ため息をついた。
カラオケで歌ってた時、何の前触れもなく宮本がつぶやいた。
「強くなるしかないよな」
なんでそんなことを言ったのか、俺を慰めるつもりだったのか、あいつが何を考えているのか、俺が分かるはずもなかった。
もう少しで中央林間に着く。あの改札で、また俺は彼女を探してしまうだろう。
俺はまだ弱かった。