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 だが、クラリス様と私の良いとこ探しをする前に、ことは起こってしまった。


 上天気の空が青い、少し風の強い日。私はルノーに呼び出され、光の差し込む謁見室に呼び出された。

 要件はなんとなく察していた。シモンさんが、そろそろ国へ帰ると聞いていたのだ。

 だから、そう、ルノーへの別れの挨拶をするのだろう、と。

 私はルノーの客扱いだから、今までほとんどこういう儀式めいた行事に参加することはなかった。けれど、シモンさんにはずいぶんと懐いていたため、今回ばかりは特別に同席を求められたのだ。

 そう思っていた。


 泥を固めて作られた謁見室は、他の部屋よりもきれいに磨かれていた。

 どこから色が混ざったのか、壁を作る泥には黄色が混ざり、蜂の巣めいた幾何学を描き出している。天井は無数の六角形が組み合わされ、アーチ状に丸くなっていて、これもまた人知を超えた幾何学を生み出していた。

 ルノーがいるのは、部屋の中でも一段高い場所。シモンさんはその壇上の手前で跪いたまま、顔を上げない。

 ルノーの背後には、大臣や宰相が並ぶ。見渡す部屋の壁際には、屈強そうな虫の兵たちが居並んでいた。

 だけど、ルノーが見ているのは私だ。跪くシモンさんでもない。私を見て、私の反応を待っている。


「なんで」

 私は目を見開き、隣のルノーを見上げた。耳に入った言葉が理解できずにいる。

「シモンさんと一緒に、魔人の国に行けって、なんで!」

「お前にはそのほうがいいだろう、マコト」

 ルノーは落ち着いた声でそう返す。周囲の虫たちもシモンさんも、ぴくりとも反応しない。驚いているのは私だけだ。

「そのほうがいいって、どうして」

「少しでも見た目の近い相手の傍のほうがいいだろう? この国には、人間に似た姿のものはいないからな」

 話すたび、ルノーの口がぎちぎちと横に動く。揺れる触覚の動きから、感情は読み取れない。私と視線を合わすため、体半分を起こしたルノーの腹が見える。白い腹は甲冑めいていて、固い光沢を帯びている。体の節ごとに足が付き、関節のつなぎ目が見える。身じろぎのたびに動くその体は、どこか機械めいて見えた。

 どこからどう見ても虫だ。人間との共通点なんて、生きていること以外に見いだせないくらい。

「そりゃ、いないけど……」

「魔人の国なら、人間姿の人々が大勢いる。生活のことは心配するな。シモンさんにすべて頼んである」

「頼んであるって……なんで勝手に、そんな急に!」

「……急でもない」

 ルノーはそう言うと、少し寂しそうに触覚を下げた。

「シモンさんが来てからのお前の様子を見て、ずっと考えていた」

「シモンさんが来てから……?」

 ちらりと、横目でシモンさんの様子をうかがう。シモンさんは変わらず跪いたまま、頭を上げない。

「シモンさんが来てから、お前は嬉しそうだった。城ではいつも、どこか緊張しているようだったのに、シモンさんの傍だと安心しているようだった。……俺の前では見せない表情を、シモンさんの前では見せていた」

「そりゃ……そ、そうかもだけど……」

 いくらルノーでも、見た目はまるきり虫そのもの。そのまま人間のシモンさんとは、同じにはならない。

 でも。

「お前の様子を見て、やっと気が付いた。俺はお前の気持ちを、まるで考えられなかった。お前が異世界から来たことも。異種族の中で暮らすことも。求婚されたお前の立場も」

 ルノーは、私から距離を置くように、少しだけ身を引いた。ぎこちない目の動き、どこか沈んだ声の色。複雑に入り混じった感情が、私には読み取れない。

 人間ではなく、虫同士だったら、わかるのだろうか。

「異世界から来たお前には、俺以外に頼る相手もいなかった。そのことを、俺は少しも考えてやれなかった」

「ルノー、待って、何言ってるの」

 私が止めても、ルノーは言葉を止めない。読み解けない感情のまま、続ける。

「考えればすぐにわかるはずなのにな――――他に行ける場所もないのに、求婚されて断れるはずがない。いくら断っても良いと言ったって、態度や関係は変わってしまうんだ」

「ルノー!」

「マコト。俺が怖いんだろう? 虫人が怖いだろう? 求婚されて、本当は嫌だったんだろう? なのに断りたくても、断れなかったんだ」

 虫人が怖い。

 ルノーが怖い。

 ルノーの言葉に、思考が凍る。何か言おうと口を開いても、何も言えないまま浅い呼気だけが吐き出される。

 間違ってない。虫が怖い。ルノーが怖い。私は王妃にはなれない。異種族だし、子供も産めないし、そんな私に求婚するルノーがわからなくて怖い。

 きっと同じ種族だったら、虫同士だったら、人間同士だったら、きっと交わらない相手なのに。

 間違ってない。そうだけど。

「だけど、もう無理しなくていい。返事ももう、しなくてもいい。お前はシモンさんと一緒に行け」

 頭の中で声だけが渦巻く。なのに、言葉を出せない。

 無言で瞬くだけの私に、ルノーは静かな声で言った。優しくて、悲しそうな声音だった。

「お前が我慢しながら暮らすくらいなら、穏やかで幸せになれる場所で生きてくれたほうが、俺は嬉しい。たとえ、遠く離れても」

 ルノーはそこまで言い切ると、一度頭を振ってから、シモンさんと周囲の虫たちを見回した。

「そういうことだ。みんな、マコトの出立の準備を。――シモンさん、マコトをよろしくお願いします」

「……や」

 ルノーの声をきっかけに、謁見室の虫たちが動き出す。かすかな声を上げても、誰も止まらない。大臣の虫たちが退出しようと歩き出し、シモンさんは「任せてください」と顔を上げる。

「やだ……」

 待って。待って――。

 異種族だし。立場も違うし。どこからどう見ても、虫だけど。


 だけど――――――――。

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