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「……あの、ご令嬢」
おそるおそる私が呼びかけると、いきった目をしたご令嬢が、なんなのよと睨んでくる。彼女の視線に、うかつに声をかけたことへの後悔が、颯爽と駆け抜けていく。
「変な呼び方しないでちょうだい。私はクラリス・アル・アシュトール。アシュトール伯爵家の長女なのよ」
あ、この人いつかのクラリス様だったのか。お供もいなくて気がつかなかった。虫はなかなか見分けがつかない。
「失礼しました、クラリス様」
「本当、失礼よ。礼儀はなっていないし、言葉遣いも汚いし、異世界人ってみんなそうなの? それとも人間がそうなの?」
たぶん、現代人ならみんなこんなものだと思う。不愉快そうなクラリス様の威圧感に震えながら、私は心の中でひっそり答えた。
「それで、なによ」
黙って小さく震える私に、クラリス様はいら立ったように尋ねた。
「は?」
「なにか用があるから呼んだんでしょう。それとも無意味に呼んだだけっていうの」
「め、滅相もございません!」
「じゃあ、さっさと要件を言いなさいよ!」
鎌のような足で地面を踏みつけると、クラリス様は私にずいと迫ってきた。眼前に、クラリス様のご尊顔がある。硬質な黒い顔に、私はひいっと悲鳴を上げた。
――言わなきゃ殺される!
「え、ええと、る、ルノーってやっぱり――――かっこいいんですか?」
「はあ!?」
クラリス様の触覚がぐわりと震え立つ。目を見開く代わりに、口が大きく横に開く。言っても殺されるやつだこれ。
「なんなの、馬鹿にしてるの!?」
「ひえっ、とんでもないことでございます!」
「格好いいに決まっているじゃない! あんな素敵な方いないでしょう!」
「ですよねっ!」
腕で顔をかばいながら、私はいつクラリス様の怒りの鉄拳が落ちてくるか待っていた。しかし、堕ちてくるのは鉄拳代わりの怒鳴り声だ。
「あんな大きくて立派な体、見たことないでしょう! しかも無意味に大きいわけじゃないわ! あんな濁りなく黒くてつやのある甲殻、あなた見たことあって!?」
「ないです!」
「瞳が光を返すときの、あの整った複眼の精悍なこと、おわかり!?」
「わかりますん!」
「節に沿って等間隔に並んだ足の、繊細で美しいこと。なのに一本も欠けたことがないのよ。なんて逞しいの……!」
――わ、わからない……!
うっとりしたクラリス様の様子に、私は錯乱した。だめだ、美貌のポイントがわからない。
「に、人間に例えたら、どんな感じでしょうか」
「はあ!? 知らないわよ!」
うっかりうっとリス様に水を差せば、雷が落ちたように怒鳴られた。
ですよね。
「黒い体なんだから、やっぱり肌は褐色じゃないの」
「で、でも、腹側は白いですよね。黒いのは、髪だけでもいいんじゃ……」
「じゃあ、白い肌に黒い髪? ちょっと軟弱じゃない?」
「褐色肌だとイメージが固定され過ぎちゃう気が。それに、褐色だと髪が白になりますし、それはちょっと違いません?」
「一理あるわ」
私は地面にしゃがみ込み、木の枝で棒人間を描きながらそう言った。クラリス様がそれを覗き込み、ああだこうだと口を出す。
「それなら、髪は短めがいいわね。長髪のほうが高貴な感じがするけど、どっちかというと野性味ある方ですし」
「それじゃあ短めで。体は大きいほうですよね」
「当り前よ!」
私の後ろから身を乗り出し、クラリス様が食うように言った。
「逞しいお体こそが、陛下のもっとも魅力的なところだわ! 人間の姿だとしても、あなたの倍くらいはあってよ!」
「三メートル越えるんですがそれは」
もはや人間とは言えない。どうにかなだめて、二メートル弱くらいの控えめサイズにしてもらう。
「顔はどうでしょう? 彫りの深い感じ? 浅い感じ?」
「うーん。私は人間族の顔立ちはわからないわね。あなたどっちがいいの」
枝の先で棒人間の顔を示しながら、私は少し首をひねった。薄い顔の美形も良いけど、ルノーはどっちかというと洋風な感じがする。体も日本人サイズではないし、彫りの深い西洋人の顔立ちだろうか。
「……彫りは深めで、見た目から誠実そうなそれでいて……」
「意思の強そうな感じ」
「そうそう」
「目の色は青がいいわ。人間の顔はわからないけど、青って私たちじゃあんま見ないから、好きなの」
黒髪に青い目。遺伝的に生まれない気もするけど、まあいいか。
「服装は――」
棒人間の顔から体に枝先を移し、私はつぶやいた。
「旅人っぽい感じかな」
「王族っぽい感じかしらね」
クラリス様と私は、同時に言葉を発した。声が重なった瞬間、お互い顔を見合わせる。
玉虫色の複眼に、私の顔が無数に映る。一方の私の目にも、クラリス様が映っていることだろう。
それから、しばし無言のにらみ合いが続いた。
長らく静かな戦いが続いた後、一言。
「――服って着替えられますよ」
「じゃあいいわ」
解決した。
〇
「まとめてみるとですね」
日が暮れかけ、地面に描いた棒人間も見えにくくなったころ、私はクラリス様にそう言った。
「黒い短髪で、白い肌。身長は一メートル九十九――ええと、私より頭二つ高いくらい。ぱっと見はそう見えないけど、意外と筋肉質。彫りは深く整っていて、誠実そうで意志の強そうな顔立ち。目の色は水のように澄んだ青。普段は王族らしい格好だけど、ときどきさっぱりとした旅装束になる。武器は王道に剣を使って、片手で百の敵を薙ぎ切る。戦う姿はしなやかで、野生動物を思わせる。微笑み一つで多種族の女性を虜にするけど、本人はいたってストイック。女性を泣かせるような真似は絶対にしない。体臭は花のように澄んだ良い香り。立ち居振る舞いは、例えるならば黒薔薇のよう。常に優雅で、人を魅了する――と」
クラリス様は深くうなずいた。人間姿のルノーの設定にご満悦のようだ。私もついつい熱くなり、いろいろ設定を付け足してしまったけれど、ルノーのこの国での慕われ方を見るに、もしかしてそう間違っていないのではないかと思ってしまう。
いや、クラリス様から見たルノーは、本当にこんな姿なのだ。誰よりも格好良くて、魅力的な――。
「すごいハイスペックイケメンですね……」
「そうよ! 当たり前じゃない!」
「…………そんな人が、どうして私に求婚したんだろう」
ぼそりとつぶやいて、私は棒人間の横で膝を抱えた。手に持っていた枝も投げ出し、深いため息を吐き出す。
「虫人も人間も関係なく、同じ種族だったら、絶対私のことなんて目にも入らないのに……」
「は、はあ!?」
だってこんなハイスペック王族だ。そもそも知り合うきっかけさえないだろう。仮に知り合ったとしても、取り立てたところのない私に、ルノーが特別何か思うとは思えない。
ルノーが私を目にとめたのは、私が虫人にとっては珍しい人間だからだ。同じ人間同士なら、ルノーは私みたいな容姿で性格の人間を何人も知っているだろうし、なんの感慨も抱くことはないだろう。
「クラリス様」
「なによ」
「私、どうしてルノーに求婚されたんだと思います?」
自信のなさから迷う瞳でクラリス様を見上げれば、彼女は触覚を高く持ち上げ、震わせていた。足も震えて、わなわなしている。
――あ、おこリス様だ。
思うよりも早く、怒鳴られた。
「知らないわよっ! そんなもの、私のほうが聞きたいわ!!」
ごもっともです。
ぷんぷん丸はいきり立ったまま、ずいと私に顔を寄せた。
怒れる令嬢は恐ろしい。これは美人が怒ると怖い現象に相当するのだろうか。震えながら混乱する私に、クラリス様は地面を突き示した。
私が書いた棒人間の隣に、もう一人棒人間を描く。そうして描いた人間をつつきながら、私に向かっていった。
「いいわ、じゃあ次は、あなたの魅力をまとめるわよ! 陛下に愛される魅力がなかったら、食い殺してやるわ!」
クラリス様天使かよ。
〇
あれからうんうんとクラリス様と悩んだが、結局、ルノーに惚れこまれるほどの魅力は見つけられなかった。
どうにかしてひねり出した良いところが、「まじめにふざけたところ」とかいうふざけた内容だったので、そりゃそうだというもの。いつの間にやら夜もすっかり更けていたので、クラリス様とは再戦を約束し、別れることとなった。
去り際、クラリス様は捨て台詞のようにこう言った。
「気を付けて帰りなさいよ!」
クラリス様天使だな。間違いない。
「――それと、あなたそんなに悪くもないわよ。……陛下のこと、まじめに考えているってわかるもの」
「えっ」
「だけどあなた、全部真正面から考えすぎなのよ。相手がどんなすごい方でも関係ないじゃない。あなたが好きだから求婚するのよ? 同じ虫人じゃなく、人間のあなたを」
クラリス様は振り返らない。ただ、後ろ姿に見えるその触角が、少し萎れているように見える。乙女のリボンが夜風に靡き、どこか切なさを滲ませていた。
だが、そんなしょんぼリス様も一瞬だ。クラリス様はぐいっと上体を起こすと、私に振り返って強く睨みつけた。
「もちろん! それであなたのことを認めたわけじゃないわ! ただ、いつまでもうじうじうじうじ悩まれても私が不愉快なのよ! 次はうちに来なさい! じっくりあなたの魅力を見つけてやるんだから!」
勢いよくそう言い切ると、クラリス様は今度こそ振り返らず、カサカサと一目散に駆けて行ってしまった。
私は後姿を見送りながら、黙って手を振った。
異世界に吹く夜風は、少し冷たい。
このあとめっちゃ仲良くなった。