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 思えばルノーの旅の目的柄、人型の生き物と会うことはほとんどなかった。


 ルノーは見聞のための旅に出ていたわけで、虫族にとって見聞を広める対象というのは、交流ある他国の魚やら爬虫類がメインなわけだ。

 人間や獣人、妖精の国なども巡ったらしいが、そのあたりは私と会う前に、早々に終わらせてしまっていた。

 だから、魚人の国やトカゲの国、あとはよくしゃべる植物たちの群生地については、じっくりねっとり観光したが、人型の国を訪れることはなかったし、人型の生き物ともほとんど会うことはなかった。

 旅の終わりはそのまま虫の国に輸送され、選ばれし虫たちに囲まれた王宮生活。異国の客が来ても、だいたいが変温動物だった。

 それでも旅の間は、複数の生き物を目にし続けていたからマシだったかもしれない。城に来てからは虫一辺倒。しかもほとんど体の長い多足亜門。そりゃあもうカルチャーショックで自我の崩壊を招きかねないというものだ。

 自分の手足が四本しかないのがおかしいのかも、とか、産卵管を出せないとだめなのかとか、卵を産まない自分は欠陥動物なのかとか、そう考え始めていたあたり、無自覚の狂気に嵌っている。最近だと、服を着ているのは私くらいなもので、とりあえずこれは脱いじゃってもいいんじゃ? なんて思い詰めていた。

 だけど違うのだ。私は人間なのだ。

 だから二本足で歩くし、服も着ているし、産卵管はない。人間だもの。当たり前なんだよなあ。


 そういうわけで、私はこの世界で初めて会った人間姿のシモンさんに、すっかりすっかり懐いてしまったのである。


 〇


 シモンさんと会うときは、だいたいニナと一緒に彼の客室を尋ねる。

 シモンさんはよく外出をしているが、夕方になるとだいたい部屋にこもって、本を読んだり写しを取ったりしているのだ。そのタイミングを見計らい、私はよくお邪魔をしていた。

 要は、仕事の邪魔をしているわけだが、シモンさんはたいてい快く部屋に招き入れてくれる。そこで何をしているかと言えば、だいたいシモンさんの、歴史オタクめいた熱い語りを聞いている。もとい、聞き流している。

 魔人という種族柄か、シモンさんは多種族との交流史に深い興味を抱いている。

 というのも、魔人は他の亜人の特徴を受け持っているためだ。魔人の持つ特徴は遺伝的なもので、自分で加えたり、外したりはできない。この特徴をいったいいつごろ受け継いだのか、どうやって得たのか。それがシモンさんの興味の対象なのだ。

 シモンさんの熱い語りは、異世界人の私には割とさっぱりわからない。

 私には、鏡以外で人間が喋っている光景だけでよいのだ。

 いずれシモンさんが自国に帰る日まで、めいっぱい正気度回復させてもらおう。


 ちなみに、横にいるニナはというと、実はあまりシモンさんのことを快く思っていない節がある。

 シモンさんの部屋に行くと言うと、いつも嫌そうに触覚を振る。じゃあ別に一人でも、と思えども、「未来の王妃様を男の部屋に二人きりなんて!」とついてくるのだ。


「マコト様は、あの男に気を許し過ぎです!」

 シモンさんの部屋を出て、ルノーの部屋に戻るとすぐ、ニナは私にそう言った。

 部屋にルノーは不在だ。もともと忙しい男だが、最近はますます忙しいらしい。一方私も、四六時中引きこもり生活から、シモンさんの部屋を訪ねる生活に変わったおかげで、なかなか顔を合わせられずにいる。

 だからこそ、ニナも声を上げてお説教ができるというものだ。

「嫁入り前の身で、男の部屋に入り浸るなんて許されませんよ! 私がついていなければ、不貞の罪に問われてしまうかもしれません!」

「不貞って」

 そんなそんな。シモンさんは私の倍くらいの年齢なのに。

「シモンさんがそんなことするわけないでしょう」

「わかりませんよ、あんな軟弱そうで気が弱そうで奥手そうで卵産ませたこともないような童貞臭い男だって、男は男です! 油断ならない物ですよ!!」

 えらい言われようやんな。こんな口悪いニナは珍しい。

「だいたい、マコト様が陛下の思い人なのは、あの男だって知っているはずです! なのにあんなに平気で招き入れるなんて、非常識です!!」

「い、いやいや、でも部屋に押しかけてるのは私だし」

「じゃあ押しかけるのやめてください!!」

 ぐうの音も出ない正論。

 わかっている。ニナがシモンさんを嫌ってしまった原因は私なのだ。私がシモンさんに会いたがるから、ニナは不満を抱き、私ではなくシモンさんを責めてしまうのだ。

 いやでもしかし、私の言い分もわかっていただきたい。こんな、目の前に人間がいる状態で、顔も合わせられないなんて生殺しと変わらない。別に何をしようというわけでもなく、ただ話を聞くだけだ。別に二人きりになりたいわけでもないし、ニナの同席だって断然構わない。むしろムカデ百人の中にあって、シモンさんが講義する歴史の授業を聞いているレベルでも構わない。

 シモンさんが滞在しているそう長くもない間だけ、ちょっとでも姿を見ていたい。そんなささやかな望みまで奪ってしまうというのか。

「マコト様は、陛下のただの友人ではないんですよ! 陛下の求婚を受けられ、いずれ王妃になる御身です! もっと自覚をお持ちになってください!」

「……王妃になるって決めたわけじゃないし」

 ニナのお説教を前に、私は体をちぢこませてそう言った。まだ返事もしてないし。そもそも物理的に求婚を受けられないし。

「まさか、陛下の求婚を断るおつもりじゃないですよね?」

 お断りも物理的にできないんだよなあ。誰だよ産卵管出せって言ったやつ。

「マコト様がお返事にお悩みになるのは悪いことではありません。きちんと王妃になるということをお考えになり、受け止められようとしていらっしゃるのだと思います。ですが! 陛下をいつまでもお待たせさせるわけにはいかないんですよ! そろそろお立場をわきまえられませんと!」

 きちんと考えているかはさておき、だいぶ悩んではいる。私だって別に、お待たせしたくてしているわけではないのだ。

 むしろ私は、ルノーやニナのほうが、私を王妃に据えることに、悩まなさすぎると思う。

 そりゃあ、亜種族の多いこの世界。いろんな姿かたちをした生き物がいるだろう。私ほど、姿の違いに戸惑わないのかもしれないけども。

 それでも魚人やトカゲ人が王妃になったことはない。同じ卵生の生き物さえいないのに、私がどうして王妃になれると思ったのだ。

「……やっぱり、私じゃ王妃になるのは無理があるよ」

「ま、マコト様! なんてこと――――」

「そこまでだ」

 私の弱音に、声を張り上げかけたニナを、誰かが止める。

「ニナ、お説教はそこまででいいだろう。もういい時間だし、そろそろお前も休憩してくるといい」

「陛下……!」

 いつの間にやら部屋へ戻ってきたルノーの姿に、ニナはきゅっと縮まった。物怖じしたように触覚を垂れ、一度私を見やり、「ですが……」と言いかけてから頭を振った。

「わかりました。申し訳ありません、マコト様。ちょっと興奮してしまいました」

 ニナとしては、怒りたくなる気持ちもわかる。別に大丈夫と首を振ると、ニナはもう一度ちらりと私を見やってから、部屋をカサカサと出て行った。

 少し、しょんぼりしているように見える。


 後には、私とルノーだけが取り残された。

 静かになった部屋の中、気まずさは抑えられない。さっきの話の今である。尋常ではない尻の座り悪さを感じながら、私はルノーを見上げた。

 ルノーも私を見ている。部屋の扉の前で、彼もまた座り悪そうにしていた。

 ちなみに部屋の扉は、人間のものと同じ造りではない。壁の上側からのれんのように板を吊り下げ、押し開く造りで、至極使い辛い。そして至極この状況ではどうでもいい。

 気まずい中、先に声を上げたのはルノーだった。

「マコト」

「ひえっ」

「俺はお前が心を決めるまで、いつまでも待つつもりだ。それができる相手だから、お前に求婚したんだ」

 ルノーは言いながら、部屋の中まで入ってくる。無数の手足を交互に動かし、私の横も通り抜けながら、言葉をつづける。

「焦る必要はない。ゆっくり考えてくれ。周りが何か言うかもしれないが、俺はお前が、無為に返事を先延ばしにしようとするやつじゃないと知っている」

「ルノー」

 私は顔を上げ、通り過ぎるルノーの背中を見やった。彼はそのまま部屋の奥にある寝床にもぐりこみ、体を丸めた。

 彼は今日も仕事漬けで、疲れているのだ。眠るつもりだろう。


「だが」

 おやすみの言葉を待つ私に、寝床の中のルノーはつぶやいた。

「お前がほかの男に夢中になるのは、俺もあまり良い気がしない」

 小さな声が静かに響く。ルノーは丸くなった背中を向けたまま、首を振った。

「…………いや、情けないことを言った。忘れてくれ。なんでもない」

 おやすみ、と最後につぶやくと、ルノーはそのまま黙った。

 きっと、今度こそ眠ったのだろう。寝床で丸まったルノーの姿を眺め、私は一人「おやすみ」と返した。

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