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 だからといって、私が虫の卵を産むのは、案ずるよりも難しいと思う。

 進化の枝の、割と根っこのほうで分岐しているのだ。植物に比べたらまだ近いかもしれないが、骨がない分魚類よりも遠いのだ。海から上がるよりも早く袂を分かっていて、今さら同じ道を辿れると誰が思う。

 この国の王様は思っているらしいですよね。割と本気で。

 王様のくせにこんな突然現れた異種族を嫁に迎えようとして、反対が起こらないようにきっちり根回しして、本人の善政もあって、なんとなく全体に人間の嫁も歓迎ムード。クラリス様みたいに気に食わないと思う虫もいるものの、ちょっとしたいやがらせが関の山。後は私の返答次第、みたいな状態にまでなっている。

 問題はその、私の返答なのだ。案じに案じても、決して易いとは思えない事態。どうしたものかとため息が出る。

 かつて、元の世界で平和に生きてきた十五年間。当時の私は、こんなことで案ずるとは思わなかっただろう。頭の片隅に、もしやと浮かぶこともなかった。そんなん想定してたら変態だわ。さらに言えば、今でもたまに、なにを案じているのかよくわからなくなる。

 だいたい、なんでこの年で虫と人との交配について悩まなければならないのか。

 私はまだ十八歳、未成年なのだ。普通なら大学が決まったくらいの時期で、これから夢色のキャンパスライフが待っていて、要するに結婚なんて考えるのは早い年ごろだ。こういうのは、二十歳とか二十五歳くらいになって、もっと大人になってから考えるべき――。

 大人になったら虫の交尾に悩むものなのか? これもうわかんねえな。


 〇


 思い返せば、旅をしていたころはよかった。

 こんな難しいことは考えず、ルノーと二人、生き延びるのに必死だった。王様ということも知らず、責任やら世継ぎやら、こんな生々しいことも考える必要もなかった。

 ――それでよかったのになあ。


 だけど、ルノーは最初から王子様だった。

 あんな生活、長く続かないことは、初めから決まっていたのだ。


 一人、部屋でぽつんと考えていると、不意に扉が叩かれた。

 ニナだろうか。そう思っていた私の耳に、思いがけない声が聞こえてくる。

「入るぞ」

 低い声とともに、巨大なムカデっぽい虫が入ってくる。みんな似たようなムカデ姿でも、彼は不思議と一目でわかる。

「ルノー!」

「急に悪いな。少し話があって」

 ルノーはそう言って、彼の巨体には少しと言わず狭い部屋の中に、カサカサと入ってきた。

 その姿、まさに虫。元の世界で見かけたら、叩き潰しているだろうなあ、母が。


 で、話というのは何かというと。

「近々こちらに、異国の客人が来るんだ。それが人間族に近い種でな。俺の城では、人間族用の客間をあまり用意できていない。……悪いんだが、マコト、その客人がいる間、部屋を代わってくれないか?」

 ということだそうだ。

 人っぽい人がこの城に来るのか。思い返せば長いこと、自分と同じ姿の生き物と会った記憶がない。虫人たるルノーと旅していた関係で、虫人やら魚人やら、あとは爬虫類っぽい生き物はよく見かけてきたが、哺乳類にはなかなか巡り合う機会がなかった。異世界に来て最初に出会った獣人から、ねっとりトラウマを植え付けられたおかげで、獣類を避けていたせいもあるかもしれない。

 だが、人に近いということは、獣人とはまた違う姿だろう。私と同じような見た目かもしれない。ここしばらくは虫ばっかり見てきたせいで、だんだん自分本来の姿がわからなくなってきているので、正直に言えば人と会えるのはかなり楽しみだ。

 ルノーと並んで部屋の中。喜ぶ私の顔を覗き込み、ルノーがちょっと触覚を揺らした。人間でいうところの、ふっと笑った、みたいなしぐさである。

「嬉しそうだな、マコト」

 そりゃあね。虫しかいない世界は、慣れてきたとはいえ、生きているだけで正気度削られている気分になる。人間姿の自分のほうがおかしいのでは。鏡に映る私は、私の本当の姿なのか。などとそろそろ不定の狂気に陥りかけているので、ここらで正気度回復がしたかった。

「お前も、客人が来たら会ってみると良い。面白い話が聞けるかもしれない。――――それでだな、マコト、こっちが大事な要件なんだが」

「はい」

 なんでしょ。

「客人がいる間のお前の部屋なんだが、…………俺の部屋に来ないか?」

 私は一度瞬きをし、ルノーの姿を見上げた。ルノーは少し居心地が悪そうに、視線をそらしている。

「ルノーの部屋?」

「俺の部屋なら、広いし、お前ひとりくらい受け入れられる。人間族向きの家具もいくつかあるし…………ほかに部屋がないわけじゃないが、お前向きではないだろうしな」

 虫たちは、交流があるのが主に魚や爬虫類だ。たまに植物みたいなやつもいる。彼ら用の客間は充実しているが、人やら獣人系の客間はほとんどないと聞いたことがある。

 魚人の客間は水浸しだし、爬虫類の客間は草木が生い茂っている。そりゃあ、人が暮らすには適さないだろう。片づけをして人間用の部屋に作り替えるのも大変だろうし、客がいる間の数日程度なら、なるほどルノーの部屋にお世話になるのが早いだろう。

 どうせ、今までも宿で相部屋だったり、野宿で一緒に寝たりもしたものだ。今さら別に。一向に構わん。

 そう思う私とは裏腹に、誘ったルノーのほうがためらっているようだ。

「男の部屋に泊まるのは不安かもしれないが、お前から返事をもらうまで、俺は絶対手を出さない。安心してくれ。それでも、もし俺がお前になにかしようものなら、そのときは――俺を、食ってくれて構わない」

 食わない。

「無体をした雄への、雌の当然の権利だ。卵を産むときの栄養にしてくれ。お前に食われるなら、俺は受け入れられる」

「食わない」


 さも当然の権利のように共食いを語るのをやめろ。

 その巨体、食いきれねえよ。


 〇


 そういうことで、ルノーと相部屋となってしまった。


 ルノーの部屋は大きい。私よりずっと大きいルノーをもってして、広い部屋だというのだから、私から見たらちょっとした体育館かな? と思うくらいには広い。

 部屋には、ルノー用の大きな寝床がある。腐葉土の敷き詰められたふわふわのベッドである。もちろん王族のため、衛生面には気を使い、腐葉土は実は腐葉土を模した絹の端切れでできている。自分でもなに言っているかよくわからないが、そういうことらしい。

 窓辺には、虫たちが心地よく過ごせるような――なんというべきか、石の下みたいなスペースがある。そこには、壁から突き出た平べったい板状の石があり、ルノーのようなムカデっぽい虫たちが、その下に潜り込むことができるのだ。狭いところが至極落ち着くらしい。

 寒暖を感じない虫のために、冷暖房はついていない。しかし窓から外に出るための滑空用のスペースと、ついたてに隠れた脱皮所がある。頭混乱してきた。

 そんな混沌とした部屋の片隅に、客をもてなす用の、人間用のソファが一つある。こんな場所においてもソファは上等で、私がもとの世界で寝ていたベッドよりも大きくて、柔らかい。それにルノーがどこからともなく毛布の類を用意してくれて、意外と快適に過ごすことができそうだった。


 もちろん、同衾なんてとんでもない。

 同じ部屋に寝泊まりしても、私とルノーは清い関係である。

 虫との爛れた関係ってどんなだ。わかりません。


 〇


 ルノーと同室になってからも、居候である私の生活は、特別変わることはない。

 日々忙しい彼の傍ら、惰眠を貪ったり、やることもなく散歩したり、あるいはまれに、ニナからこの国の文化や風習について学んだり。ニートさながらの生活を送っていた。

 他にできることもないし、さもありなん。養われることに負い目を感じ、手に職を持とうとか、自立しようとか言う意思は、街の光景を一目見て諦めた。

 多種多様の虫たちの行き交う王都の街並み。仕立屋は自分の尻から糸を出しては布を織り、家具屋は自らの歯で木を削り、大工は自分の唾液で土を固めて家を作る。名状しがたいその光景に、私は人間の無力さを感じたことを覚えている。

 そういうわけで、毎日を怠惰に過ごすのもいたしかたなし。こうして自分への言い訳も、だいぶ上手くなったものだ。


 〇


 さて、しかし変化というものはあるもので。


 〇


「マコト、ほら、この方がシモンさんだ」

 元は私の使っていた、人間用の客室で、彼はルノーにそう紹介された。

「彼は亜人の中でも、魔人と呼ばれる種族だ。聞いたことがあるだろう? 人間によく似た容姿と、高い魔力。それに、他の亜人の特徴を、体に一つだけ持っている」

 ルノーは説明しながら、もじもじと隠れた私を前に押し出した。心の準備と虎獣人による哺乳類へのトラウマの清算ができていない私は、無防備に前衛に出されて、心臓が止まりそうになる。

「はじめまして、マコト様」

 だが、聞こえてきたのは柔らかい声。恐る恐る顔を上げた私の目に映ったのは、ゆるく巻いた栗毛色の髪を持つ、柔和な男性の微笑みだった。

 二本足で立っている。手が二本だけある。頭には、目が二つ。鼻が一つ。口も一つある。服を着ている。息を吐くと同時に、瞬きをする。まぶたがある。年のころは、三十代の半ばくらいか。おっさんには若く、お兄さんには少々語弊がある。おじにっさんだ。

 すごい。見た目から年齢が想定できる。いや、その前に性別がわかる。見た目からなんとなく性格を想像できる。きっと文化系でちょっとおとなしめで、ついでにちょっとだけイケメンだから、女子中学生からあだ名もらって舐められつつ好かれているタイプだ。

「人間だ……」

 思わずつぶやく私の言葉を、後ろからルノーが訂正する。

「魔人族だ。マコト、失礼だぞ」

 誤差の範囲だ。

「構いませんよ。見た目はほとんど変わりませんからね」

 シモンと呼ばれたおじにっさんは、たしなめるルノーに優しく答えた。

 それから、私に向けてにこりと目を細める。

 人間だ。

「人間そっくりでしょう? 魔人族は人間から派生したと言われているんですよ。もうずっと遠い昔の、伝説の話ですけれど」

 話すたびに口が動く。瞬きをして、首をかしげると強いくせ毛の髪が流れる。すごい、人間だ。

「私は歴史家でしてね。その昔の伝説を調べているんです。陛下にもその関係でお呼びいただいているんですよ」

 シモンさんの言葉は、ほとんど私の耳には入ってこなかった。

 ただ、シモンさんの話す姿を見つめていた。

 口が動き、息を吐き、身振り手振りをするたびに、服が揺れる。瞬きをすると、黒い瞳が光に揺れる。


 私とおんなじだ。


「ま、マコト!?」

 横にいたルノーが、驚いて私の顔を覗き込んだ。シモンさんも驚いている。どうしたのかと首を傾げた私の目元を、慎重な手つきでルノーが触れた。熱を持たない虫の足が、ひやりとする。

 いや、冷たいのはルノーの足ではない。濡れた私の頬が、冷たさを感じている。

 泣いているのだ、と少し遅れて気が付いた。

「どうしたんだ、マコト。どうして泣く? どこか悪いのか?」

 おろおろしたように、ルノーは私の全身を見回したり、触覚で触れたりする。

 しかし私は首を振り、ついでにルノーの体を少し押し返した。

 代わり、シモンさんのほうへ一歩、足を踏み出す。


「……手、触ってみてもいいですか? 髪とか、肩とかも」


 どこも具合は悪くない。

 ただ、うれしいのだ。自分以外の、人間がいるということが。

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