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 なにを隠そう、ここは異世界である。


 魔法があり、人以外の種族が発展し、無数の亜人による王国が乱立する世界なのである。


 人型の生き物や、獣人、魚人、妖精に魔人など、多種多様な生き物がいる世界において、人間とは比類なき弱い生き物だった。獣人には力で勝てず、魚には水辺で勝てず、妖精や魔人には魔法で勝てず、どうにか知恵と数で生き残っているような存在だ。

 そんなことだから、他の生き物に狙われる。特に、肉食動物の亜人には美味しくいただかれてしまう。

 それでも、町中だったらまだましだった。文明の発展した亜人たちの世界では、流血沙汰は好まれない。肉食獣もみだりに獲物を襲ったりはしない。食用肉はきちんと市場に出回っていて、それを調理して食べるのが、文化人たるあり方なのだ。


 だが、運悪く私が落ちたのは、無法地帯のど真ん中だった。

 町は遠い未開の地。岩山のすそ野に広がる、深い森の中で私は目覚めた。

 亜人どころか、野生動物に狙われる日々。見たこともない獣から命からがら逃げ、うっかり出会った虎頭の獣人に助けられ、おののきつつもほっとしたのもつかの間。そのままその日の晩御飯にされそうになったのをさらに逃げ、逃げきれずに追い詰められた先。

 今度こそ助けてくれたのが、彼――虫の亜人たる、ルノーだった。


 ルノーの見た目はまさに虫だ。黒い甲殻に無数の足。長い触覚に横に開く口。不快害虫認定待ったなしの虫の中の虫だった。

 だから、彼が私を背に虎獣人を追い払ってくれても、まったく安心できなかった。今度はこいつに食べられるのかと思った。虎と虫なら、どっちに食われるほうがましだろうか。一口当たりの体積が大きい分、虎のほうがまだ良かったかもしれない。などと死んだ目をしながら考えたものだ。

 だけど、ルノーはそんなことしなかった。震える私の肩に手をかけ、こう言ったのだ。

「大丈夫か? 見たところ家畜ではないようだし、どこか人間族の国から迷い込んだのか? 亜人の密漁は禁じられている。俺が安全な場所まで送ろう」

 こんなん虫に言われても冷静でいられるわけないわな。

 恐怖と不信感全開で、しかしほかに頼る相手もなく、私はルノーと行動を共にするようになった。


 そうこうするうちに、三年弱。

 ルノーとの旅は波乱の連続だった。幾度となく命を狙われ、助けたり助けられたり、異世界へ落ちた秘密を知ったり、虫人と魚人との確執を知ったり、ルノーが実はいいところの御曹司で、人間を食べないのは、野生の生肉を丸かじりする人間がいないのと同じことだと知ったり。語りつくせないほどいろいろなことがあった。二人で危機を乗り越え、いつしかルノーの姿に怯えることもなくなり、いろんな絆が芽生えたりもしたものだけど、語りつくせないので割愛する。

 旅の終わりは、元の世界へ戻れないと知った時だった。

 水が逆に流れないのと同じように、異世界からこちらへ来る手段はあっても、戻る手段はない。どこにも行く当てのない私に、ルノーは手を差し伸べてくれた。

「それなら、俺のところに来ないか」

 三年弱、ずっとルノーには世話になりっぱなしだった。そのうえ、これ以上世話になっても良いものか悩んだりもした。だけど、もうこうなったら一生世話になってやろう。代わりにあいつの役に立てるよう、炊事洗濯雑用でも、なんでもしてやろう。

 そんな気概で連れてこられたのが、この城だった。

 いいところの生まれだろうとは思っていたが、まさか王族とは思わなかった。しかも王太子で、見聞の旅を終えたとき、王位を継ぐとも聞いてなかった。

 四方八方虫だらけ。おまけにここが王宮で、ルノーが実は王子様。だが虫だ。脳みそ揺れそう。

 混沌とした情報に混乱するさなか、私はさらに困惑する告白を聞かされた。

 曰く。

 結婚して、俺の子を産んでくれ、と。



 産むのは卵の間違いじゃなかろうか。

 異世界の王子様のプロポーズに、私は呆けたまま、そんなどうでもいいことを考えるほかなかった。


 〇


 虫の城というものは、いわゆる一つの城とは趣が違う。

 建築術からして違う。

 大きな甲殻類の住む城は、唾液で固めた土造りだ。中はほとんど土塊がむき出しで、人間にはごつごつしくて仕方がない。

 だから私は、異国の客人を通すために作られた、人型用の客間を使わせてもらっている。虫以外の亜人が過ごせるよう、外国から取り寄せたというベッドやら家具類は、おかげさまでなかなか快適である。

「マコト様、また陛下の求婚から逃げられたんですってね」

 ベッドの上でしんみりと座り込む私に、かいがいしく世話をする侍女ムカデのニナが声をかけた。彼女の足の一本には、器用にカップがひっかけられている。ほかの足には、ポットやら皿やらが、なにかと便利に引っかかっている。

 彼女はベッドのそばまで這ってくると、近くのテーブルにカップを置いた。それからポットのお茶を注ぐ。

 お茶を飲むのは貴族のたしなみ。肉食虫たちのメイン料理は肉汁か肉団子なのだけれど、他国の文化を輸入したらしい、これだけは安心して口にできる。

「いったい陛下のなにがいけないんです? あんな立派な方、なかなかいませんでしょう?」

「うん、まあ……」

 見ず知らずの異世界人を助けて、こうも親切にしてくれているのだ。悪い人だとは思わない。

 あ、違うわ。人じゃなかった。虫だった。

「民からも好かれていますし、私から見てもとても素晴らしい方だと思いますわ。それに、とてもマコト様を大事にしていらっしゃる」

 そうだろう。旅をしている間にも重々思い知った。ルノーはびっくりするほど良い男だ。優しく親切で、しかしむやみに優しいわけでもない。優しさのための厳しさを持っている。切り捨てなければならないときは決断できる。冷徹ではないが、同情ゆえに盲目にはならない。上に立つものの貫禄がある。

「異種だからと偏見を持つ方でもありませんわ。たしかに、マコト様は人間族ですし、後ろ盾もありません。ですが、陛下はそれも含めて受け止めるおつもりです」

 私はうつむいたまま、ニナの入れてくれたお茶に手を伸ばした。両手でカップを包み込み、所在ない目線をさまよわせる。

「マコト様は、陛下のなにがご不満なんです?」

「不満があるわけじゃないけど……」

 口の中でもぞもぞと言いながら、私は腕組みするニナを見た。

 こぶりなムカデのニナは、体の大きさが私と似たり寄ったりだ。この国の住人らしく、黒光りする甲殻に、白い腹を持っている。節ごとに腕を持ち、腕の先には鎌のような鋭い爪を持っている。メイドらしく首周りにはエプロンみたいな布を巻き付け、頭にひらひらとした、なんかよく見るあれを付けている。

 しかし私の目線は、ニナのその――下半身に向かう。見てはいけないと思いつつ、気にするまいとは思いつつ、どうしても目を向けずにはいられない。

「不満がなければ、なんだというのですか」

「その、文化の壁というか……」

 卵生と胎生の壁というか。

 節足動物門と脊椎動物門の壁でもある。種や属どころではなく、門から違うのだ。

「ええと、ニナ、聞いてもいい?」

「なんでしょ?」

 声量控えめに尋ねた私に、ニナは首をかしげる。今から大変聞きにくいことを伺います。

「あのさ、王妃様って言ったらそりゃ……王様の子供を産まなきゃいけないわけでしょ?」

「そりゃ、まあ……結婚するならそうなりますね」

「そうしたら、あれをなにするわけでしょ……あの、いや、私そういうことよくわからないんだけど……」

「閨でのお作法ですか? 私も知識でしか存じ上げませんが……マコト様はご存じないので?」

 保健体育はやった。完璧で優秀な生徒たる私の成績は満点だった。

 しかし残念、種族が違う。人間用のしか知らないのだ。

 返答に窮する私の表情を見たのか、ニナは腕組みしながら首をさらにひねった。

「なるほど、それが不安なんですね。仕方ありません。私の知っていることでよろしければ、教えて差し上げます」

 ニナはそう言うと、カップやらポットやら、手荷物あれこれを近くのテーブルの上に預け、私の座るベッドの傍までやってきた。

 それから私の前に自分の体の最後部、毒針のあるあたりを示してみせた。

「ここ」

 と言ってニナの足の一本が示すのは、腹側にある、毒針の付け根である。

「ここに臭腺がありますでしょう?」

 ない。

「ここをお互いの針で刺激するんです。弱い毒で臭腺を刺激しますと、ちょっと甘い匂いが出ますでしょう?」

 出ない。

「その匂いが殿方の準備を促すんだそうです。そうすると、殿方は精包を体の外に出されます」

「精包……?」

 聞き覚えのない単語だ。おうむ返しに聞いた私に、ニナが解説を加える。

「殿方の持つ、子供の素の入った袋です。それをもぎます」

「もぐ」

「そして、臭腺の少し上にある貯精嚢に押し込むのです」

「押し込む」

「そして自力で受精させ、卵を産むんです」

「自力で」

 えらいパワーワードの連続を聞いた気がする。

 いや待て。しかし待て。

「もぐって……え、も、もいじゃうの……?」

 子供の素入り袋って、あれでしょ。要するに――あれでしょ。すごく……大きいです……のあれを、もぐ。

 想像して、ないはずのものがきゅっと縮まる気がした。

「もいじゃって大丈夫なの……?」

「また生えてきますわ」

「はえる」

「生えます」

 はえー……すっごい。いっそ草生えそう。

「私が存じているのは以上です。触覚や羽を使ったり、他にもいろいろとやり方があるみたいなのですけれど……まあ、あとは実際にやってみるほかありませんよ。大丈夫、すべて陛下にお任せすればよいのです」

 任せてどうにかなる問題なのだろうか。

 閨での作法がすべて生物の講義に聞こえた。私に必要なのは、保健体育ではなく生物の成績だったのだ。

 だがしかし、生物を学んだところで、虫と人の間に子供は生まれるのか? 生物ではそんなこと教えてくれなかった。訴訟も辞さない。

「……やっぱり、私に卵を産むなんて無理なんじゃ」

「はじめての方はみんなそう仰るんですよ。って母が言ってましたわ、マコト様。案ずるよりも産むがやすし、です」

 ニナはそう言って、上半分の足をわきわきと動かした。

 虫たちで言うところの、ガッツポーズみたいなものだ。


 私もずいぶん、虫の機微に詳しくなったものである。

 日々を多種多様な節足動物に囲まれて過ごすうち、すっかり慣れてしまった節がある。


 異世界や、日本は遠くなりにけり。


 日本どころか、人類からも遠くなっているんだよなあ。

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