1
人生十八年。
生きていればいろいろある。
高校受験もある。合格して大喜びすることもある。
大喜びの帰り際、突然異世界へ召喚されることもある。
異世界で死ぬような目にあったり、助けられたり、元の世界に帰る方法がないと落胆したりもする。
そうこうするうちに三年もたつし、行く場所がないならと王宮に連れて行かれ、王様に求婚されることの、一度や二度もあるだろう。
その結果、王宮のどこぞ人気のない場所で、怖いお姉さんたちに絡まれることも、まれによくある。
〇
「あなた、自分が陛下に釣り合うとでも思っているの」
人気のない王宮の一角で、彼女たちの一人がそう言って私に詰め寄った。
「ほんと身の程知らずですよね! いったいどんな卑怯な手で陛下に近付いたのやら」
「陛下はこの国で最も身分あるお方。あなたみたいな平民とは別の、もっと優れた生き物ですの。陛下には陛下にふさわしい相手がいますわ。あなたなんてしょせん、物珍しさで傍に置いているだけ。おわかり?」
私を囲むのは三人。たぶん、私に詰め寄ってきた彼女が、一番偉いのだろう。良い栄養を取っているらしく、なにとは言わないが一番大きい。
となると、残りの二人は取り巻きだろうか。偉いらしい彼女に比べると、少しばかりサイズが小さい。
「なんとか言ったらどうなの。この私に声を掛けられて、無視するつもりじゃないわよね」
一歩近づかれれば、一歩下がるしかない。おののきながら退けば、背中にごつごつとした壁が当たる。逃げ場がない。
顔を上げれば、三人の黒い瞳が一斉に私を見ている。まったくこの世界の女子はすごみ方が半端ではない。うかつに失禁しかねない。
――やっぱり、こんな場所に来るんじゃなかった。私なんかのいる場所じゃあなかったんだ。
涙目になりかけた私に畳みかけるように、取り巻きたちが罵る。
「クラリス様相手に、なんて無礼な人! 異世界人ってみんなこうなのかしら!」
「陛下の求婚さえも、返事をしていないんでしょう? そうやって気を引こうっていうんですのね。本当に卑劣な方ですわ」
「あんたなんかが、王妃になれるはずがないのよ!」
とどめのようにそう言って、クラリス様と呼ばれた彼女が、私を壁に押し付けた。壁ドンである。眼前に迫る彼女の顔に、私の恐怖心も底が抜けた。あ、これ死ぬやつだ。
「異世界の化け物なんかに、王妃なんて務まらないわ! あんたに陛下のお子を産んで、この国の母になることができるの!?」
子って。
母って。
詰め寄る言葉に、求婚してきた彼の顔が思い浮かぶ。
「……で」
お前が好きだ。結婚してくれ。そして俺の子を産んでくれ。
なに飾ることなく、どストレートに告白してきた。三段論法かよ。
「で…………」
生まれてこの方、初恋も知らず、異性とお付き合いしたこともなく、なんなら話だってあんまりしたことがない。子供の産み方も保健体育でしか知らない。そんな私のその直球の告白は、レベルが高すぎた。
だから私は、こう言うほかになかったのだ。
全身全霊、心の底から。
「できません!」
むりむり! 産めない!
だって私は――――。
「なにをしている!」
割り込んできたのは、低い男の声だった。
その場にいた全員の体が凍り付く。声の主を、誰も忘れるはずもない。
しかし、その声の主を見るよりも早く、私は固い腕に捕らわれた。鋭利な爪で私を傷つけないように、無数の腕が私の体を引き寄せる。
引き寄せられた先は、固い甲殻の胸元。顔を上げれば、私を追い詰めていたクラリス様より、二回りは大きな――――巨大な虫の姿がある。
虫である。長い触覚。私の二倍以上ある長い体に無数の足。体はいくつもの節から成り立っていて、その一つ一つが、黒光りする甲殻に覆われている。腹側の殻は白く、背中の甲殻に比べれば少しだけ柔らかいらしいが、そんなもの私にとっては、青銅器と鉄器くらいの差しかない。固い。
横に開く口には、どう考えても肉食なぎざぎざの歯が見える。大きな黒い目は、よくよく見れば網目状の複眼だ。一見するとムカデに見えるが、ムカデよりも若干体が短い代わり、背中に滑空専用の羽がある。
「お前たち、私の客人になにをしていた」
「へ、陛下……! ええと、私たちは」
クラリス様を中心に、三人組はお互いの顔を見やった。
言うまでもなく、彼女たちもムカデ的な巨大な甲虫である。陛下と呼ばれた彼を前に、震えながら無数の手足をワキワキさせる、その姿も私の身長の倍くらいある。一番大きなクラリス様は、ゆうに三メートルは超えているだろう。
そんな巨躯でありながら、申し訳程度に、触覚の付け根にリボンを結んでいるあたりが淑女のたしなみ。垣間見える乙女心のかわいらしさと言えるだろうか。わかりますん。
「マコト様がおひとりでうろうろしていらっしゃたから、心配で……」
「え、ええ! そうなんです! それで、道に迷われたのかと……ねえ!」
「そうそう! どうしたのかと思って、声をかけさせていただいたんですわ」
クラリス様たちは、どうにかこうにか言い訳を見つけ出したようだ。うまくごまかすためなのか、ほんのりと声が裏返っている。
「そうか」
しかし、彼の返答は冷たい。
「それなら、私がいるからお前たちはもういい。世話をかけたな」
「い、いえっ。それでは失礼いたしますわ!」
語尾を震わせてそういうと、クラリス様は取り巻きを引き連れ、逃げ出していった。その姿もまた虫そのものである。無数の手足を同時に動かし、巨大な割に素早い動きは、あれだ。石の下をめくったらうっかり出てきた虫たちの逃亡する姿だ。
カサカサ逃げる音も消え、静かになった城の裏手。もとより人通りもないその場所で、彼はため息を吐いた。
「まったくお前は、いつまでも俺に心配をかける」
「はい……」
「俺の妃になれば、あんな連中くらい黙らせてやれるのに。お前はいつまでも返事を待たせるつもりだ」
しゅんとうなだれる私を、彼は背後からぎゅっと抱きしめた。男らしい固い腕とか、そんなやわなものではない。体の大きさと相まって、鉄パイプかなにかで押さえつけられている気分になる。しかも両側から、複数の鉄パイプががんじがらめである。
彼はそのまま、体を曲げて私の姿を見下ろした。垂れた触覚が、私の顔をさわさわとくすぐる。細い毛の無数に生えた触覚は、彼の体の唯一柔らかい場所だ。
「断るなら断るで構わないんだ。お前にふられたからって、恨んだりはしない。お前を城から放り出したり、頭から食ったりもしない」
わかっています。わかっています。彼がそんな人間、もとい虫ではないことは、三年も一緒にいた今となっては、重々承知している。
しかし、そういう問題ではないのだ。
「俺とお前が、別の種属であることを気にしているのか? そんなこと、些細なことだ。異種同士の結婚の前例ならほかにもあるし、文句を言うやつは俺が黙らせてやる」
そういう問題でもないのだ。
「マコト、どうか返事をよこしてくれ。これ以上生殺しにされるのはつらい」
できるものなら、私だって返事をしたい。だけどこればっかりはどうにもならないのだ。
「マコト、産卵管の色を見せてくれ。承諾するなら鮮やかな赤を、断るなら、黒く濁らせてくれ」
頭上から、懇願する二つの黒い複眼が私を映している。触覚が乞うように、私の頬を撫でる。
彼は誠実な人である。そんな人に対して、いつまでも中途半端な状態でいてもよいものか。そうやって気を引こうとして、なんてあの人たちの言い分もわかる。内心どうであれ、やっていることは実際その通りだ。
でも――。
「できませえん!!」
私は拘束するいくつもの腕をすり抜け、そう叫んで逃げ出した。
「待て、マコト!」と背中から呼びかける声がするが、待てと言われて待つならそもそも初めから逃げない。
私に王妃は務まらない。
だって私は、生まれてこの方正真正銘一片の濁りもなく人間なのだ。
産卵管ってなんだよ。
そんな器官ついてねーよ!