さよなら伯爵
出発はその日の夜、伯爵はごく少数の従者とともに馬車に乗り込んだ。見送りは騎士団幹部や高級官僚のみで、ひっそりと、まさに夜逃げ同然に行われた。
「伯爵、お気をつけて。我等一同、伯爵が帝国軍とともに戻られるまで、とにかく、一命を賭して町を守り抜きます」
悲壮感漂うゴールドマン騎士団長が言った。
「うむ。よろしく頼むぞ」
伯爵の色白の顔は月明かりに照らされ、一層、青白くなっていた。わたしはプチドラを部屋に残し、少し離れたところで伯爵を見送っていた。伯爵は心細そうな顔つきでわたしに視線を送っている。
今や伯爵の命はわたしの掌の中にある。あと数時間のうちに、その命を失うだろう。正直な感想として、あまり悪い気はしない。例えて言うと、スイーツのような甘い香り。
部屋に戻ると、わたしは、もう一人の「わたし」に言った。
「プチドラ、頼むわ」
「わかった。本当にいいんだね」
わたしはうなずいた。もう一人の「わたし」は、プチドラが魔法でわたしそっくりに変身しているのだ。本当に瓜二つで、自分でも見分けがつかない。誰にも見破ることはできまい。伯爵は、「わたし」に殺されるのだ。
子犬サイズに戻ったプチドラは、慎重に周囲を見回し、誰にも見つからないように、こっそりと館を出た。プチドラには、「待ち合わせ場所で、従者も含め伯爵一行を皆殺しにするように、しかも複数の戦士と魔法使いに剣と魔法で殺されたかのように見せかけ、何か適当に伯爵の遺品を持ってくるように」と言ってある。
伯爵の死体が発見された時には、遺品をカニング氏の部屋に隠し、カニング氏を犯人に仕立て上げようという素晴らしい思いつき。ポット大臣やゴールドマン騎士団長に限らず誰からも嫌われるカニング氏だから、彼が犯人だという証拠が示されれば、疑う者はいないだろう。
プチドラが出かけた後、わたしは自分の仕事、すなわちアリバイ作りをする。わたしが伯爵とともに町を出るという(偽りの)事実は伯爵しか知らないから、そこまでする必要はなさそうな気もするが、念には念を入れよう。
わたしは廊下で騎士団長と会い、適当に話を交わした。騎士団長は、しきりにポット大臣のことを気にかけていた。大臣は執務室にこもって出てこないらしい。こもるのはいつものことだが、仕事ではなさそうだという。心配なら見にいけばよさそうなものだが、先日に会議で言い争ったばかりなので、少し気まずいとのこと。
わたしはポット大臣の執務室に出向いた。大臣は珍しく一人で酒を飲み、顔を赤くしてぐったりしていた。
「あら、大臣、仕事場でお酒を召し上がるのですか」
「カトリーナさんですか。ははは…… 帝国軍が進駐してくれば、混沌の勢力に勝っても負けても、もはや私は用済み、お払い箱なんです。だから、私の政治生命も、お終いなんですよ」




